この手につかみたいもの
29
アスランが体内からそれを引き出す。
「……んっ……」
その瞬間、キラが小さく体を震わせた。しかし、彼の行為に対する苦情を口に出すことが出来ないほど疲れているらしい。
「ごめん……ちょっと手加減できなかった」
アスランは苦笑を浮かべると、そのまま放り出されたままのキラの手を掴む。そして、そっと掌に口付ける。
「……やっ……」
その刺激すらも辛いのか、キラは首を小さく横に振った。
「もうしないよ。だから、もう少しだけ、ね?」
こうしていて……と付け加えながら、アスランは腕の中にキラの体を閉じこめる。
体の奧にくすぶっていた熱が冷めると同時に肌寒さを感じていたキラは、素直にアスランの胸に頭を預けた。その仕草に満足したのか、アスランは小さく笑い声を漏らす。
「……アスラン……」
しばらく目を閉じていたキラがかすれた声でアスランの名を呼ぶ。
「何?」
「のど、乾いた」
小さく告げられた言葉に、アスランは頷いた。
「ちょっと待ってて」
キラの体をそっとシーツに戻すと、アスランは身を起こす。その瞬間、キラの体が震えるのがわかった。
彼の腕が一瞬自分を求めるように差し出される。
キラの髪を優しく撫でるとアスランはベッドから抜け出す。自分の背後でキラがため息をつくのがわかった。それがどういう意味を持っているのかいつも問いかけたいとアスランは思う。だが、同時にあまりにいつものことだから深い意味はないかもしれないとも思えた。
グラスに水を注ぐとアスランはベッドの端へと腰を下ろす。そして、床に散らばっている服の中から自分の制服を取り上げると、キラの体を起こしてやった。
「……アスラン?」
「気にしなくていい。どうせ、すぐクリーニングに出すんだ」
それよりも、キラが風邪を引く方が自分には問題だ、とアスランは笑う。そんな彼の表情に、キラは困ったように視線を伏せる。
「ほら、水飲んじゃいな。そうしたら、シャワーを浴びよう」
そんなキラの手にアスランはグラスを握らせた。
よほどのどが渇いていたのか、キラは素直にそれに口を付けると、一気に中身を飲み干す。
「……声、上げさせ過ぎちゃったね……」
やっぱり、抑えが効かなかったか……とアスランは苦笑を深めると、キラの手から空になったグラスを受け取った。
素直に手渡しながらもキラの頬は真っ赤に染まっている。
「本当、キラは変わらないよね」
「アスラン!」
「いいじゃないか。そんなキラは僕だけしか知らないんだし」
連邦軍の奴も知らないだろう? といいながら、アスランは再びキラの体を引き寄せた。
「僕だけのキラだ。そうだろう?」
誰にも渡さない。
そう、それが例え同じ軍に所属しているものでも……とアスランは心の中で付け加える。
「……アスラン、僕は……」
キラが何かを口にしようとした。だが、アスランにはそれを最後まで聞く自信はない。
「それとも、僕以外の誰かがいいの?」
そんなことを言われたら、どうなるかわからないよ、と告げるアスランの瞳の奧に危ない光が浮かび上がる。
「こんな事……アスラン以外としないよ……」
正確にはアスランともしたくない、というのがキラの本音だろう。だが、いくらキラが拒んでもアスランが聞く耳を持たなければ意味はない。
「だから、キラは僕だけのものだろう?」
他の誰かのことを考えるのは許さない、とアスランは言外に付け加える。
その言葉に、キラは瞳を伏せた。
次の瞬間、彼の口から小さなくしゃみが飛び出す。
「あぁ、忘れてた。シャワー浴びよう!」
風邪を引かせてしまうな……と付け加えつつ、アスランはキラの体を抱えると立ち上がった。
「……僕は……アスランの側にいない方がいいんじゃないのかもしれないね……」
ニコル達の話を総合すると、そう思えてしまうとキラは付け加える。
それとも、そちらの方が虚像だったのか。
「確かに、昔からアスランは過保護だったけど……あぁ言う関係は違うんじゃないかな」
第一、彼には婚約者がいるだろうとため息をつきながら、キラは最後のキーを叩いた。
次の瞬間、キラが使っているパソコンに接続されていた音源装置から音が流れ始める。それはきれいなアンサンブルを奏でていた。
「……何とかなったかな……」
やがて、とても人工のものとは思えない柔らかな声が優しい子守歌が室内に流れ始める。その選曲はキラが選んだものだった。どうして、と言われてもよくわからないが、無性に今この曲が聴きたくなったのだ。
愛し子よ
貴方の幸いを祈りましょう
私の腕の中で
眠る貴方の
声のイメージが『母親』だからだろうか。
それとも、思い出せる曲が他になかったからか。
キラ自身にもそれはわからない。
愛し子よ
貴方の悲しみが消えますように
私の腕の中で
見る夢の中から
繰り返される優しい曲に、キラの唇から歌とは言えないつぶやきがこぼれ落ちる。
だが、それですら出来なかった自分を知っているキラには、そんなつぶやきですら驚きを隠せなかったらしい。
「……僕……」
もう歌うことなんて完全に忘れたと思っていた……とキラは呟く。
戦いの中で、そうする気持ちすら疲弊していたのだと……
こうしてすべてから切り離された空間に置かれていたせいで、自分の気持ちがいやされたというのだろうか。
それとも、彼の激しいまでの熱情が自分の中で凍り付いていたものを溶かしたのだろうか。
「もう、歌なんて歌えないと思っていたのに……」
またいつか、昔のように歌えるようになるのだろうか。
「でも……僕が歌うことが許されるのかな……」
この手は同胞達の血で汚れているのに、とキラは口の中だけで呟く。その多くは顔も知らない人々だ。だが、実際に言葉を交わした『彼』と『彼女』のことは今でも忘れることが出来ない。
殺したくなかったのに殺さざるを得なかった。
自分たちの立場からそうする以外になかったのはわかっているが……だからといって許容できるわけではない。
「僕は……」
「歌ってもいいに決まっているだろう?」
背後からアスランの声が届いて、キラは体を硬直させる。
「そうですよ、キラさん。歌いたいと思う気持ちを止めることは誰も出来ませんって」
どうやらアスランだけではなくニコルもいるらしい。あるいは、他にも誰かいるのだろうか。そして、今の独り言を聞かれてしまったのか……と思いながらキラは振り向いた。
「……二人とも、仕事はいいの?」
そこにいたのが二人だけだったことにほっとしながら、キラは問いかける。
「食事の時間だからな」
とアスランが言えば、
「音楽が聞こえてきたので、つい」
ニコルはニコルで微笑みながらこう告げた。
「でも、それどうしたんですか? この前からいじっていた奴ですよね」
とても合成だとは思えませんが……とニコルは興味深げに口にする。
「アスランが、ラクスにあげるハロに組み込みたいからって……どうせ、することもなかったから……」
「ハードの方は作ってあったんだが、システム構築が面倒で放っておいたんだよ。でも、もうじき本国だからな」
また催促をされる前に渡してしまった方が気が楽だ……とアスランは苦笑混じりに付け加える。
「……そんな風な性格には見えなかったけど?」
小首をかしげつつキラが問いかける。主語が抜けているが、誰のことをさしてるのか十分理解できる。
「ラクスもニコルも、音楽のこととなれば性格が変わる。覚えておいた方がいいよ、キラ」
言外に込められている言葉の意味がキラにもわかってしまった。
彼女がまだアークエンジェルに保護されていたときの会話をキラは忘れていない。
「大丈夫だよ、キラ。だからといって、彼女が無理を強いることはないから」
キラの心の傷が完全に癒えないうちは無理矢理歌わせたりしない、とアスランは付け加える。
「でも、お聞きしたいという気持ちもまた事実なんですけどね」
いつでもいいですから、お願いしますね……とニコルに言われて、キラは泣きたいのか笑いたいのかわからない表情を作った。