トリカエバヤ
32
翌日、キラは熱を出した。
「大丈夫か?」
そう言いながらギナがおろおろとしている。
「大丈夫です。ちょっと体温が上がっただけですよ」
寝ていれば下がる、とカナードは口にした。
「だから、さっさと仕事に行け、くそオヤジ」
廊下をうろちょろするな、と続ける。
「心配なんだから仕方がないだろう」
開き直ったかのように彼はそう言い返す。
「あんたがいても治らないぞ」
むしろ、そうやってうろうろしている気配で余計に悪くなりかねない。そう続ければ彼はショックを受けたかのような表情を作る。どうやら、その可能性をまったく脳裏から排除していたらしい。
「まったく……ミナ様とギナ様の方があんたよりもよっぽど大人だよ」
キラを心配してはいたが、きっちりと仕事に出かけていった。もっとも、帰ってきてから二人がどんな行動に出るかは想像に難くない。
それに比べてこの大人は、と呆れたような視線を向ける。
「今すぐ仕事に行くか。それとも明日からキラと接触禁止を言い渡されるか。どちらがいい?」
「……仕事に行きます」
仕方がない、と彼はそう告げる。
「さっさと行け、ダメ保護者!」
その言葉に、彼は肩を落とすと出かけていく。玄関を出る直前でちらりとこちらを見てきたのが鬱陶しい。あれは引き留めてもらえないかどうかを確認したのだろう。もちろん、引き留めるつもりはない。
「一応気をつけてな。誰に何を言われても言質を取られるな」
そう告げれば彼はとぼとぼと歩き出す。
「ミナ様に怒られない程度に早く帰ってきていいから」
なんとはなしにこう告げる。それにカズキは片手をあげて答えた。これで彼は大丈夫だろう──たぶん。
「……仕事場で大きなミスをしなければいいだけだ」
それが一番心配だな、とつぶやきながらキッチンへと向かう。
「さて……キラの水分補給には何がいいだろうな」
スポーツドリンクか。それとも自作にするか。そんなことをつぶやきながらカナードは冷蔵庫のドアを開けた。
それはどこだったのか。
そして、目の前の人物は誰なのか。
どうして、自分はこの光景を延々と見せつけられなければいけないのか。
すべてがわからない。
それでも、目の前の光景を見ていろと言われる。
誰に?
ふっとそんな疑問がわき上がってきた。
だが、怖くて振り向けない。いや、振り向いてはいけないと誰かが警告をしてくる。
自分に出来るのは、ただ目の前の光景を見つめることだけ。
『いやぁぁぁぁぁ!』
無意識のうちにキラは叫んでいた。
カップに自作のドリンクを入れ蓋をしようとしたときだ。
「いやぁぁぁぁぁ!」
悲鳴が耳に届く。
「キラ!」
反射的にカナードは駆け出す。そのまま蹴破る勢いでドアを開けた。
次の瞬間、ベッドの上で虚空を見つめながら悲鳴を上げているキラの姿が視界に飛び込んでくる。
「キラ、落ち着け」
その様子にカナードは唇をかむ。しかし、すぐに駆け寄ると彼の体を思いきり抱きしめた。
「大丈夫だ、キラ。何も心配することはない。それはただの夢だ」
そう何度も繰り返す。
「だから、お休み」
やがてキラの体から力が抜ける。代わりにその口から寝息がこぼれ落ちる。その事実にカナードは小さなため息をついた。