天秤の右腕
42
「さて……ああは言ったが……誰に話を持って行くべきかな?」
自分の直接の上司はタッド・エルスマンだが、とギルバートは首をかしげる。彼で大丈夫だろうかと。
「まぁ、あの方も最高評議会議員だ。それに、キラの叔父だしね」
自分の手に余るようなら他の方を紹介してくれるだろう。
そう結論を出すとギルバートは近くにいた職員を手招く。
「すまないが、エルスマン議員のスケジュールを確認してくれないかな?」
「はい」
彼はそう言うとその場を離れていった。
「うまくアポを入れられればいいんだけどね」
その背中を見送りながらそうつぶやく。
「まぁ、お互いの立場もある以上、大丈夫だとは思うが」
キラが関わっていると判断すれば時間を空けてもらえるだろう。
問題があるとすれば、先ほどの彼がこちらの意図を正確に読み取れたかどうかだ。
彼が本当にタッド・エルスマンのスケジュールだけを確認して自分の希望を伝えていないなら、彼は無能だと言える。その場合、ここからいなくなってもらうしかないだろう。そのような無能な人間は評議会議員ビルでの仕事には向いていない。
そんなことを考えていれば、彼がこちらに戻ってくる。
「確認してまいりました。一時間後であれば時間がとれる、とのご返答です」
どうやら彼は的確に自分の言葉の意図を読み取ってくれたらしい。
「ありがとう」
とりあえず面倒な手間は省けたな、と心の中でつぶやきながらギルバートは告げる。
「いえ。では、これで失礼します」
そう言い残すと彼は去って行く。それを引き留めるような野暮なことはしない。イレギュラーな仕事を頼んだのは自分だという自覚があるからだ。
「一時間後か」
それよりもそれまでの時間何をすべきかの方が重要だった。
「少しでも裏付けを整えておくべきかな?」
自分にもその程度のことはできる。
「まずはオーブのコロニーの建造年月日を確認すべきだろうね」
それでかなり絞り込めるだろう。
もっとも、と心の中で付け加える。本命はわかっているのだが。そして、そこにラウが向かっているはずだ。
だからこそ、こちらも動いておかなければいけない。
そう考えるとギルバートは立ち上がった。
部屋に戻ると端末がメールの着信を伝えてくれる。
「さて、どこからかねぇ」
そうつぶやきながらムウはメールを開いた。
「……こいつは……」
堂々と送られてきたのはミナからのそれである。
「ったく……怖いね、あの人は」
ここまでメールを送りつける技量はもちろん、堂々と本名を記しているところもだ。
だが、それも『彼女だから』ですんでしまうような気もする。
彼女と彼女の弟、そしてキラの三人はオーブの中でもトップクラスだ。地球軍のマザーですら平然と侵入するだろう。ここに直接メールを送りつけるぐらいどうと言うことはないのかもしれない。
それよりも、問題は中身だ。
「俺としてはさっさとやめたいんだがな」
地球軍は、と口の中だけで続ける。不本意ながらいつ誰が聞き耳を立てているかわからないのだ。
もっとも『軍を辞めたい』程度ならば皆口にしているから聞かれてもかまわないだろう。中にはもっとすごいセリフを吐いている人間もいるのだ。
そんなことを考えつつ、ムウはメールを開く。
【祖父危篤。早々に戻られたし】
そこにあったのはただ一行。これだけだ。
「じいさま?」
殺しても死なないような爺なら一人知っているが、ひょっとしてそれのことではあるまいな。ムウは心の中でそうつぶやく。
もちろん、本当の祖父ではない。
だが、それ以上に自分達の面倒を見てくれた人物だ。
それが死にかけているなど、とうてい信じられない。あと百年は平然と生きると思っていたのに。
「だが、除隊の理由にはなるか」
肉親の看病と家業を継がなければいけない。そう言う名目ならば軍も拒めないだろう。
万が一上が拒んだとしても、こちらとしては無視してオーブに戻ればいいだけのことだ。
「他の連中には悪いが、除隊届けを出させてもらおう」
で、ミナに連絡をして迎えをよこしてもらうか。
私物と言っても、鞄一つに入るぐらいだ。すぐにまとめることは可能だろう。
【了解。除隊届けをすぐに出す。迎えをよろしく】
メールにはそう返答をする。そして、滅多に使わない紙を引っ張り出すとムウはさっさと除隊届けを書き始めた。