天秤の右腕
29
キラの突然のわがままに驚いたのはレイだけだった。
「ラウ! ギルも、どうしてキラさんを一人にするんですか?」
キラから『着いてくるな』と言われたこともあってレイは八つ当たりのように問いかける。
「キラが順当に治ってきているから、かな?」
それにギルバートはこう答えた。
「……それはどういうことかね?」
ラウが即座に問いかける。彼にしてもキラのこの様子は予想外だったのだろう。
「キラだって一人になりたいときはある。そう言うことだよ」
ギルバートは微笑みながらこう告げる。
「精神的に落ち着いてきたとも言うね」
「なるほど」
ラウはそう言って納得したらしい。だが、レイはどうしてもできなかった。
「だからといって、今のキラさんを一人にするなんて!」
こう言って二人をにらみつける。
「レイ。キラが心配なのはわかるがね。彼から仕事を奪うのではない」
できることは自分でさせることが必要だ、とギルバートは続けた。そうでなければ意味がないだろうと続ける。
「……ですが……」
「君がいつでも着いていられるわけではないだろう?」
確かにそうだ。それでも、とレイは口を開こうとする。
「私やラウにしてもそうだ」
だが、それよりも早くギルバートは口を開く。
「ここにキラは一人でいることが多くなる。そのとき、自分で自分のことができなければ意味はないだろう?」
その言葉にレイは言い返すことができない。
「だからね。今からなれておく必要があると思うのだよ」
「そうかもしれません。でも!」
なんとかして許可を得たい。そう思いながらレイは口を開く。
「ダメだよ、レイ。君がしようとしていることは優しい虐待だよ」
だが、今度はラウがこう言う。
「……虐待なんて……」
「しようとしているだろう? 手を貸すのは一見、優しいかもしれないが、実は虐待なのだよ」
できること、やれそうなことを先にやってしまうのは……とラウは続けた。そうすれば、その機能がダメになるかもしれないと。
「あの子もそろそろ自分一人でやっていくことを考えなければね」
そう言われては引き下がらざるを得ない。
「キラさんがバカにほだされなければいいけど」
悔し紛れにレイはこう告げた。
「大丈夫だよ。そもそもそんな人間は近づけないからね」
にこやかにギルバートがそう言う。
「だから、君は少し肩から力を抜きなさい」
この言葉に、レイは支部支部ながら引き下がった。
その頃キラは、ようやく手に入れた一人の時間を満喫していた。
と言っても別段変わったことをしているわけではない。パソコンに向かってプログラムを書いていただけだ。
「ここをこうして……うん、これならば今までのものより早くなるね」
手元をのぞき込まれないってこれほどありがたかったのか。そう思わずにいられない。
同時に彼らが自分を気遣ってくれていることもわかっていた。
ただ、レイの場合、それをやり過ぎるのが問題だと言っていい。
「ギルさんぐらい放っておいてくれるといいんだけどな」
そうつぶやいたときだ。ドアの方から控えめなノックの音が届く。
「はい?」
どなたですか、と聞き返す。
「私だが、入ってもかまわないかな?」
そうすればラウの言葉が返ってくる。
「どうぞ」
レイでないことにほっとしながらキラは入室の許可を出す。そうすれば、すぐに彼は顔を見せた。
「随分と楽しそうだが、少しは休憩しないといけないよ?」
そしてこう言うと持ってきたマグカップを差し出してくる。
「そんなになりましたか?」
ほんの一時間程度のつもりだったのに、とキラは首をかしげた。
「ほんの五時間ほどだね」
そう言われて慌てて時計を見つめる。確かにあれからもう五時間が過ぎていた。
「一時間のつもりだったのに」
「まぁ、君が集中していればこうなるだろうと思っていたよ」
ラウは苦笑とともにこう言ってくる。
「それで、レイが暴走している」
「……それでべったりされるのは息が詰まるのですが」
レイに思い切りそばにいられて手元をのぞき込まれるのははっきり言って苦痛だ。もちろん、彼が心配してくれているのもわかっている。それでも、やはりいやなものはいやなのだ。
「なるほど……君としては作業中は一人になりたいと言うことかな?」
「はい」
それ以外は我慢できるが、とキラはうなずく。
「ふむ……そのあたりのすりあわせが必要だろうね」
レイにしてもたかだか五時間ぐらい、キラが部屋にこもっているからと言って騒ぎ立てないでもいいだろうし、と彼はつぶやく。
「そうしてください」
五時間ぐらいなら別に普通だろう、とキラも思う。
「適当な時間に休みを取れるようにしてもらった方がいいですし」
「確かにね」
どちらにしろ、レイを納得させなければいけないわけだが。ラウの言葉にキラも小さくうなずいた。