天秤の右腕
24
「失敗したようだの」
男の一人がつぶやくように言葉を口にする。しかし、それは予想以上に室内に響き渡った。
「虎の子まで出したようだが?」
「あれはあくまでも試作品。おかげでよいデーターがとれました」
末席に座っていた青年がこう言い返す。
「ただ、最終的な調整には今しばらく時間がかかりますね」
コーディネイター並みの身体能力を誇るナチュラルがいないわけではない。だが、軍人の中でもそのような人材は少ないのだ。
だからといって、こちら側に着いているコーディネイターに任せるわけにはいかない。
最終的な勝利はナチュラルの手でつかまなければいけない。その前段階でいくら人形を使い捨てにしても、だ。
「もう一つの計画もすでに最終段階です。こちらは微調整をするだけなのですが……」
そのための人手が足りない。そう言って青年はため息をつく。
「本当にセイランは余計なことをしてくれました。あれがオーブにいればいくらでも利用できましたのに」
いっそ、搦め手を使うべきか。青年のつぶやきは他のもの達の耳にも届いた。
「何をするつもりだ?」
「あちらに渡ったもの達の帰国を許可させるのですよ。そうすれば、アスハなりサハクがあれを連れ戻す可能性が高いです」
そうでなくても多少は警戒が緩むだろう。そこでモルゲンレーテにOSの改良を発注すればいい。自分たちの手に負えないと判断すれば、あちらに声をかける可能性が高いのではないか。
「連れ戻さなくても仕事をさせればいいのです」
下手に連れ戻そうとしたからことが大きくなったのだ。
それ以前に、使えるコーディネイターを国外に流出させるようなことをしたのが許しがたい。
「確かに。今回の最大の背信行為をしたのはセイランだな」
「しかも失態を重ねた」
「さて……あのものをどうするべきか」
今回のこともすべてはあれの失態から始まった。そうである以上、責任をとらせなければいけない。
「だからといって、つぶすには惜しいぞ」
「然り。オーブに足がかりは必要だからな」
「息子は適当にバカらしいからの。そばに使えるものを配置すればよかろう」
息子は飾っておけばいいのではないか。その言葉に周囲から賛同の声が上がる。
「では、親の方はいらぬな?」
「責任をとって引退をさせればよかろう」
その後のことはどうでもいい。邪魔になりそうなら処分するだけだ。
彼らにしてみれば、自分たち以外の人間は利用できるかできないかしかない。
ウナトは利用できない存在だと分類された。それなのにくちばしを挟んでくるようなら邪魔にしかならない。それよりは最初に処分しておくべきだろう。その方がユウナを利用するにも有利になる。
「まずは女か?」
「それともギャンブル漬けにするか」
「何。弱みは多い方がよかろう」
そんな老人達に付き合って入られないとばかりに、青年は小さくため息をつく。
「本当に世の中は醜いものばかりですね」
目の前で老人達が嬉々としてどのような手段でユウナの弱みを作りそれによってどう利用していくかを話し合っている。その光景に彼は嫌悪感をにじませた。
しかし、それでも彼らを止めようとはしない。
止めても無駄だとわかっているのだ。だから、少しでも早くこの時間が終わればいいと心の中でつぶやくだけにする。いずれ、彼らも処分してやろう。その日が楽しみだ、と彼は付け加えていた。
キラはもう落ち着いただろうか。それを確かめるには、やはりラウに問いかけるしかないのだろう。
「でも、敷居が高いんだよな」
聞かなければいけない相手が自分の上司だと言うことも理由の一つ。もう一つはアスランの存在だ。
先日の事件の際、何があったのか詳しいことは知らない。だが、ラウが彼を拒絶したらしいという話だけは聞いている。その理由も併せて説明された。だから、ラウの判断がおかしいとは思ってもいない。
何よりも、アスランにも一応配慮しているとディアッカは判断した。
ラウがアスランに求めていることはただ一点。月時代の話をするな、だけだ。それはキラに両親のことを思い出させないようにとの配慮だろう。
今のキラにとってそれがどれだけ重要なのか。門外漢の自分でもわかる。
話題なんて、いくらでも探せるだろうと言うこともだ。実際、以前キラと会ったときに話したことは、ほとんど自分たちの近況だけだった。
他にもプラントの名所やグルメでもいいだろう。絶景ポイントだって、キラなら喜ぶはずだ。
そのくらいの話題ならアスランだって持っているのではないか。
だが、彼がキラと話したいことは今のことではないのだろう。少なくともラウの言動からはそう推測できる。そのせいで彼がぴりぴりしているのもまた事実なのだ。
その結果、隊内部の空気が悪くなっていることも否定できない。
敷居が高くなっているのにはそれも関係している。
「ったく……あいつがあきらめればいいのに」
自分の思い通りにすべてを進めようとするから周囲にきしみが出るのではないか。現実は自分も思い通りにならないものなのに、とため息をつく。
「……ともかく、メールだけでもしていいかどうかを確認しておかないとな」
母さんがうるさいから、とつぶやくとラウの執務室へと向かう。息子というものはどうしても立場が弱いものだ。わかっていても、足取りが軽くなることはない。その理由は言うまでもないだろう。
せめて今日のラウの機嫌が悪くないことを祈るしかない。
しかし、アスランの様子から判断して難しいだろうな、と思う。
「隊長、申し訳ありません。今、よろしいでしょうか」
胃の辺りがしくしくと痛む。
『入りなさい』
すぐに言葉が返ってくる。断ってくれてもよかったんだがなぁ、と思いながらディアッカは足を踏み出した。
「失礼します」
部屋の中へと入れば、ラウが何かの書類を読んでいるのが確認できる。だが、それほど重要ではなかったのか。彼はすぐに視線をあげた。
「何かあったのかね?」
そう問いかけてくる声音は普段の彼のものだ。とりあえず最悪ではないと判断する。
「申し訳ありません。個人的なことなのですが……キラにメールを送っても大丈夫かどうか、それを確認したくてまいりました」
この言葉に彼は考え込むかのようにあごに手を当てる。
「母君が何か言っておいでかな?」
「はい。とりあえず、当たり障りのないことだけになると思いますが……元気かどうかを確認したいと」
まずはそれだけでいいのだが、と言外に付け加えた。
「そのくらいならばかまわないが……事前にサハクのギナの検閲が入る可能性があるね」
苦笑を浮かべつつ彼はそう口にする。
「ロンド・ギナ・サハク様がプラントに?」
「それこそキラの無事を確かめにね」
ついでに、彼は今、ものすごく過保護だからね、とラウは続けた。
「その程度でしたらかまいません」
「なら、許可しよう。できればプラント内の写真も添付してくれればキラが喜ぶよ」
「わかりました」
アーモリーやディセンベル以外がいいだろうな、と心の中にメモをしておく。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「何。あの子のことを心配してくれてのことだろうからね。それに、事前に許可を取りに来てくれるなら、こちらも対処がとれる」
その手順を飛ばさなければ何も言わないよ、と彼は微笑む。そんな彼に一礼するとディアッカはきびすを返した。