天秤の右腕

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「キラ!」
 エレカから降りた瞬間、アスランの焦ったような声が耳に届く。
「……キラ?」
 間に合わなかったのか。そう思いながらラウは地面を蹴る。そして声がした方向へとかけだした。
「無事か、キラ!」
 何時もの余裕を投げ捨て、そう叫ぶ。
「熱が出ているようです」
 それに言葉を返してきたのは本人ではない。
「アスラン」
「犯人はすべて確保してあります。病院への移送も手配してありますが……」
 珍しくも彼が何かを言いよどむ。いったいどうしたというのか、と思いつつラウはさらに彼に歩み寄った。
「無意識だとは思うのですが、キラがこうですので、どうしたものかと」
 そう続けるアスランの手元を見れば、膝枕をされているキラの指がしっかりとその手首を握りしめている。
「確かに。下手に指を外したら起きてしまいそうだね」
 熱が出ているのは間違いなく今日の一件がキラの精神に負荷をかけたせいだ。それを癒やすには眠るのが一番いい。その眠りを妨げないためには妥協も必要だろう。
「仕方があるまい。君もいっしょに移動したまえ」
 どのみちすでにギルバートが手を回しているはずだ。キラが搬送されるのは彼の元だろう。
 そこまでならばアスランを同行させてもかまわないのではないか。
「その後で軍本部に戻ってくるように」
 いろいろと話しておかなければいけないことがある、とラウは続ける。
「キラと話をするのであれば知っておいた方がいいことがあるからね」
 この言葉にアスランは目を丸くした。
「よろしいのですか?」
 その表情のまま彼はこう問いかけてくる。
「自分をキラに近づけないようにされていたのではありませんか?」
 さらに彼はこう続けた。
「この子の精神状態を確認するまでは、うかつに過去を知っている人間を柄づけない方がいいとギルバートとエルスマン議員が判断されたのでね」
 気づいていたのか、と思いながらラウは言い返す。
「この子にとって何が精神的にストレスを感じることなのか。それがわからなかったからね」
 さらにそう続ける。
「……と言われますと?」
「今のキラにご両親の話はタブーだ。ちょっとしたことでまだパニックになる」
 つまり、とラウはアスランを見つめた。
「月の思い出話は避けてもらわないといけない。だが、君がしたかったのはその頃の話だろう?」
 だから、接触を邪魔したのだ。そう締めくくればアスランは複雑な表情を作る。
「母君のご不幸は知っている。だが、キラも同じように両親を失っていると言うことを忘れないでほしいね」
 それだけではない。体の自由すら奪われている。その意味がわからないわけではないだろう、と言外に付け加えた。
「……はい……」
 「それが受け入れられないなら、次からキラとの面会はないと思ってくれていい」
 最後にこう締めくくる。
 幸い──と言っていいのかどうかはわからないが、今のキラは熱に浮かされている状況だ。アスランのことをどこまで認識しているかわからない。夢だったと言えば、それですむのではないか。
「ともかく、キラを病院へ移送しよう」
 その間にじっくりと考えるがいい。ラウはそう続けると立ち上がる。
 アスランもまた渋々といった様子でキラを抱き上げながら立ち上がった。
「……軽い」
 その瞬間、そうつぶやく。
「それでも太った方だ。こちらに来たときには本当にがりがりだったからね」
 そして、しばらくの間、精神的なものでものもろくに食べられなかった。おそらくコーディネイターでなければ命を落としていただろう。
 しかし、一度壊れてしまったキラの体は割れたガラスを継ぎ合わせたようなものだ。ちょっとした衝撃でまた壊れかねない。
 それがわかっている以上、たとえキラの幼なじみであろうとも厳しい言葉を投げつけずにはいられないのだ。
「君の感情を優先するのではなく、キラの体調を優先するようなら、私たちの誰かが同席の上で再会もあるだろうね」
 選択するのはアスランだ、とラウはそう言うと歩き出す。その後ろを彼は黙って着いてくる。
 さて、彼はいったいどのような選択をするのだろうか。
 考える時間は沢山ある。
 その間、せいぜい悩めばいいのだ。
 心の中でそうつぶやきながらラウは脚を進める。
 アスランからキラを取り上げないのは、これが最後のふれあいになるかもしれないとわかっているからだ。アスランの選択によっては本気で彼を排除することを考える必要がある。そうなったときは、もう二度と彼の耳にはキラの情報が届かなくなるはずだ。
 もちろん、キラに彼の存在を伝えることはない。
 そうなったとしても、キラは不審に思わないだろう。ただ、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべるだけではないか。
 やはりキラには別の友人を作るべきだろうか。
 その前に片付けなければいけないことがあるが、とため息をつく。
「外交に関しては評議会に丸投げかな」
 キラへの賠償金をふんだくってもらわなければいけない。その辺りのことはギルバートにでも任せておけばいいだろう。
 後はあの双子への連絡だろうか。
 大本とは行かなくても画策をしてくれたバカを早々に引退に追い込んでもらい、ついでに大馬鹿息子は傀儡に仕立て上げてしまえばいい。
 そこから大本の情報を手に入れれば後々の処理も簡単になるはずだ。
 そんなことを考えている間に救急車両が見えてくる。その隣にギルバートの姿も確認できた。
「後は彼に任せておけばいいね」
 自分たちは事後処理をしなければいけない。もちろんアスランもだ。
「……はい」
 それがわかっているのだろう。アスランが渋々と同意の言葉を口にした。

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最遊釈厄伝