天秤の右腕
18
報告されていくエレカの進行方向を確認していたアスランが不意に立ち上がる。
「そのままN76エリアに追い込んでください」
彼は次の瞬間こう口にする。
そこに何があるのか、この場にいるもの達にわからないはずがない。
「了解」
そこならばこちらにとって有利になる。それがわかったのだろう。他のもの達もやる気だ。
「それとクルーゼ隊長に連絡を」
不本意だが彼がいるといないとでは人質からの信頼度が違うはず。プラントでは自分くらいの年齢で重要な役目を担っているものも多いが、オーブではまだまだ庇護対象だと聞いているし、と心の中だけで付け加える。
「任された」
この言葉にうなずくとアスランは体の向きを変える。
「自分も現地に行って犯人確保に協力してくる」
そう告げると同時に駆け出す。
「……キラ……」
前の事故の時は何もできなかった。ザフトが関わっているというのに、その事実を知ったのは彼が輸送されている真っ最中だったのだ。
いや、キラの時だけではない。
母の時だって、自分はただ呆然と崩れていくプラントを画面越しに眺めているだけだった。
しかし、今度は助けることができる。
「大丈夫。今、俺が行くから」
だから、待っていて。心の中の面影に向かってそうささやく。
「もう二度と大切な存在を失いたくないから」
そのためならどんな頃でもできる。そうつぶやくと、アスランはエントランス前に止められていたエレカに飛び乗った。
アスランからの報告は当然、ラウの元にも届いていた。
「了解した。目標が目的地に入ると同時に周囲をすべて封鎖するように」
相手の返事を聞くよりも早く通話を終わらせる。
「あちらにも連絡しなければならないか」
そのまま別の相手へと回線をつなぐ。
『クルーゼか』
コール音が鳴ると同時に応答がある。と言うことは、相手もこちらが連絡を入れることを予想していたのだろう。
「はい。目標をザフトの敷地内へ追い込みます。その時点でマスコミへ情報の解禁を」
『なるほど。それならば私が動くべきだろう』
ただし、と彼は続ける。
『被害者は出すな。けがは仕方がないが、決して死者は出すな』
そのためならば多少の越権行為はかまわない、と彼は続けた。
「わかっております。現在、最前線での指揮はアスランが執っております」
この言葉にパトリックは一瞬目を見開く。だが、すぐに『そうか』と返してきた。
『民間人への被害は出すな。建物はかまわん』
さらにこんな指示を出してくる。
「わかっております」
悲劇を二度三度と繰り返すのはただのバカだ。それを事前に防ぐことができる人間こそ、真の英雄だとラウは考えている。
だから、ただ戦局を読むのがうまく適当に実力を持っているだけの自分は英雄ではない。優秀な軍人と言うだけだ。
それはサハクの双子も同じことだろう。
彼らは自分たちを『破壊者』『番犬』などとは言うが、決して『英雄』とは言わない。
そういえば、とふとある男のことを思い出す。
あの男は『英雄』と呼ばれていたな、とも。もっとも、それは本人が言い出したのではなく政治的なあれこれでそう呼ばれているだけらしいが。
今度会ったときにはからかってやろう。
そのときにはキラも連れていかなければいけないな。そうも付け加える。
あの男にしても情報だけと本人を目の前にするのとでは安心の度合いが違うだろう。
何よりも、そのときにはきっとすべて思い出の中に収まっているのではないか。
もちろん、それは自分の希望だと言うこともわかっている。だが、そうなるであろうと言うことも経験から知っているのだ。同時にそのためには時間が必要だと言うことも。
その時間をキラから奪わせるわけにはいかない。
だから、とラウはスピードを上げる。
「あの子は返してもらおう」
そして、貴様達の目的はつぶさせてもらう。彼はそうつぶやいていた。
キラの体が地面にたたきつけられるように下ろされる。
「……誘い込まれた、と言うことか」
周囲の気配を探っているのか。それとも状況からそう判断したのだろうか。キラにはわからない。
「どうする?」
「このままでは確実に捕まるが……こいつは殺せないからな」
どうする、と男は仲間に問いかけた。
「今回は放置、と言うわけにはいかないしな」
失敗すれば次の機会はないだろう。それ以前に、間違いなく処分される、ともう一人が告げる。
「強行突破しかないのだろうが……」
今の人数では難しいだろう。
「最優先のそれだけをつれて、後は攪乱のために残すしかないか」
無駄に殺すことはないだろう。一人ずつ適当にばらまいておけば、あちらは回収に手間取るのではないか。その間にこちらは最終手段に出ればいい。さらにそう続ける。
「確かに。それだけは何があろうと確保するように言われていたな」
やはり特許関係か。予想はしていたが全く反省していないのか、とあきれたくなる。
自分たちの被害について誠心誠意謝ってくれればここまではしなかったと言うことも理解できていないのだろう。
そもそも理解できていればこんな戦争は始まらなかったのではないか。そんなことも考える。
「ともかく、お前はそれを見張っていろ。俺たちは残りの連中を適当に放り出してくる」
そう言うと男達は立ち上がる。そして周囲でぐったりとしているもの達を抱え上げると歩き出した。
「殺してしまえばいいのに」
残された男がそうつぶやく。
「まぁ、いい。戻ればお前も人形だしな。そう思えば我慢できる」
その前にシステムを使い物にならなくするぐらいは可能だろう。万が一の時にはその程度の報復は許されるはずだ。
だが、その前にラウが来てくれればいい。
キラはぎゅっと拳を握りしめていた。