天秤の右腕

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「キラ様、こちらに!」
 言葉とともに使用人の一人が彼の車いすを押し始める。だが、彼らが向かっているのはいざというときに逃げ込むように言われたシェルターではない。
「なぜ、外に?」
 シェルターの方が安全だろう。キラは言外にそう問いかける。
「外であれば助けを呼べますから」
 一見、まともそうな意見だ。しかし、とキラは続ける。
「屋敷の外には襲撃犯もいますよね? シェルターの中で助けを待つようにと言うのがギルさんの指示だったはずです」
 だから行き先を変えて、と命じた。
 それでも使用人は方向を変えようとはしない。
 いや、それ以前に彼はここの人間なのか。
 少なくとも彼の声は初めて聞いた。自分の周囲にいるもの達は全員、ギルバートとラウの目にかなったものだけなのに。
「あなたはシェルターの場所を知らないのですね」
 うちの使用人じゃないな、とは言わない。
「そんなことは……」
「では、シェルターに向かってください」
 キラは厳しい声でそう言う。声を張り上げたのは、周囲にいるかもしれない本当の使用人の耳に届けばいいな、と思ったのだ。
「残念ですが、そのお言葉は聞き入れられません」
 やはり彼はここの家の使用人ではなかったようだ。
「あなたのお命は保証しますよ」
 この言葉にキラは『やはり』と思う。ミナから気をつけるように言われていたが、ここまで食い込んでいたとは思わなかった。
 どうするか。
 彼らが必要なのは《キラ》の体だ。
 おそらく彼らの言葉にうなずくだけの人形が必要なのだろう。
だが、ここまで意識を奪われていないのは、自分の生み出すプログラムも捨てがたいと思われているからではないか。
 しかし、と思う。
 自分がそれを望んでいるかと問われれば、答えは『否』だ。
 オーブに帰るとしてもこんな形ではない。
 本当にどうしよう。
 キラが悩んでいる間にも男は玄関へと進んでいく。他の場所から出ないのは車いすがあるからだろう。
 抱きかかえていれば使用人達に気づかれる。それを避けたいのではないか。
 いや。単に男を抱きかかえたくないだけかもしれない。
 その気持ちはわからなくもないが、とキラは心の中でつぶやく。ラウとギルバートの過保護ぶりを知っているなら、そうするべきだったのに、と続けた。
 そう。
 キラの車いすが玄関をくぐった瞬間、屋敷内に警報が鳴り響く。正確に言えば、車いすに取り付けられたセンサーが正式な手続きを踏まずに屋敷飼いに出た瞬間、警報が鳴る。そういうシステムをギルバートに頼まれてキラが作ったのだ。
「な、んですか、これは」
「僕が自由に動けないので、万が一を考えて設置されている警報ですよ」
 屋敷の人間ならば皆知っていることだ。キラはそう言い返す。
「すぐに誰かが来るでしょうね」
 この言葉に初めて男の顔に焦りのような表情が浮かぶ。
「姑息な……」
「卑怯な手を使って本人の意思を無視した行動に出るよりマシでしょう?」
 キラは冷静に言い返す。だが、それが男の逆鱗に触れたようだ。
「優しくしていれば図に乗って」
 言葉とともにキラの体は車いすから投げ出された。そのまま激しく床にたたきつけられる。
「っ」
 その衝撃でキラの意識は闇の中に沈んだ。

 屋敷内にキラがいない。しかも、彼の車いすだけが残されていた。
 そこから導き出される答えはただ一つだろう。
「……まさか屋敷内にまで入り込んでいたとはね」
 あきれたようにラウが言う。
「セキュリティを強化するために外部の人間を入れたのが失敗だったね。一応信頼できる業者だったのだが」
 ギルバートはそう言い返す。
「あるいはそこのチェックすらもすり抜けられるように経歴を偽造していたかだ」
 どちらにしろプラント内部に大がかりな組織ができつつあるのだろう。それはあまりうれしいことではない。
「地球連合からの移住者は少なくないしね」
 困ったことに、と彼はさらに言葉を重ねた。
「ともかく、キラを早々に取り戻さなければ」
「……行き先は宇宙港かな?」
 ラウはそうつぶやく。
「おそらくね。キラを生きてオーブに連れ戻さなければ、あちらの希望は叶わない」
 万が一、キラが妻子を持たないまま死亡した場合、彼の持つ権利はすべてラウへと委譲される。それでは彼らの希望が叶えられない。
「混乱に乗じて連れ出すつもりだろう」
「では、あちらで検問をするしかないね」
 そう言ってラウはため息をつく。
「こうなるとわかっていれば無理をして帰ってこなかったものを」
「しかたがあるまい」
 自宅が襲撃をされていると知れば、誰であろうと戻れる状況なら戻ってくるだろう。それが人として当然の感情だ。
 あと少しタイミングがずれていれば間に合っていた可能性が高いのだし。ギルバートはそう口にする。
「それに、君がここにいてくれるからこそとれる手段もある」
 違うのか、と言われれば否定できない。
 確かに自分の権限であればザフトに空港で検問をするように指示が出せるだろう。まして、拉致されたのがあの事件の被害者だとすればなおさらだ。確認はしていないが、他にも拉致されたものがいる可能性もある。 「ただ一つ問題がある」
 ため息とともにラウは言葉をはき出した。
「問題?」
「今すぐ動かせるのはアスラン・ザラだけだ」
 その言葉にギルバートは難しい表情を作る。
「……それは別の問題が出てきそうだね」
 彼が今でも《キラ・ヤマト》に執着しているらしい。その話は聞こえている、とギルバートも顔をしかめた。
「それ以上にキラを取り戻すことの方が重要だが」
「確かに」
 仕方がない、とラウはため息をつく。そして、すぐに意識を切り替えると動き始めた。

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最遊釈厄伝