天秤の右腕

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 キラの視線が窓の外から動かない。
 病院から自分たちが住む屋敷に移動したときには外を見る余裕すらなかったのだ。そのときのことを思い出せば、ずいぶんと良くなってきているように思える。
「あそこは?」
 不意にキラが問いかけてきた。それにレイは体の位置をずらして彼の視線の先を確認する。
「検問所ですね。あそこから先はザフトの施設ですから」
 ギルバートがいるから心配はいらないと思うが、一応確認をしなければいけないらしい。そう続ける。
「身内を人質に取られてブルーコスモスの指示に従わざるを得なかったものがいたらしくてね」
 ギルバートがそう補足してきてきた。その瞬間、キラの表情が曇る。
「あぁ、安心していい。産業スパイのまねをさせられただけだからね」
 あちらにしてみればMSのデーターはのどからでが出るほど欲しいものだ。だから、そんな強硬手段に出たのだろう。
 もちろん、その企みは失敗した。検問所の兵士が挙動不審な彼に気づいてさりげなく誘導尋問をしたそうだ。そして、家族も無事に助け出されたらしい。
「なら、よかった」
 その程度のことはオーブでもよくあったことだから、とキラも口にする。
「だからだろうね。サハクの方が君にあの依頼をしていったのは」
 今頃どうなっていることやら、とギルバートが意味ありげな笑みを浮かべて見せた。
「まぁ、その結果が伝わってくるのは今しばらく先だろうけどね」
 いくらギナとはいえ、そう簡単にプラントに足を運べるわけではない。その事実を考えれば、彼の口からあれこれと教えてもらえるのはかなり先だろう。
 それだけが残念だ、と彼は続けた。
「もっとも、その前に別ルートから連絡が来そうだがね」
 ザフトの情報局とか、と言われて礼は納得をする。
「そうなのか?」
 レイは思わず自分の保護者に問いかけてしまう。
「当然だろう。あれが動き出せば地球軍は混乱に陥るだろうからね。いやでも気づくだろう」
 無能でもない限り、こちらに連絡を入れてくるに決まっている。そうギルバートは教えてくれた。
「一応生命維持には関わらない部分だけ停止するようにしたんですけど」
 さすがにプラントの生命維持関係に関わる部分を止めては民間人まで巻き込みかねないから、とキラは付け加える。
「ギナ様も、それでいいと……」
「十分だよ。悪いのは地球軍とブルーコスモスで、民間人は彼らに踊らされているだけだからね」
 本心はどう思っているのかわからないが、ギルバートはキラにほほえみを向けた。彼が身内以外はどうでもいいという考えをする人間だと知っているのは自分とラウぐらいでいいだろうし、とレイは思う。
「あぁ、ちょっと彼と話をするから待っていてくれるかな?」
 気がつけば検問所の処まで来ていたらしい。ザフトの制服を着た人間が窓越しにこちらをのぞき込んでいる。
「はい。大丈夫ですよ、キラさん。ギルはあれでも評議会議員ですから」
 身分としてはこれ以上にないくらい保証されているのだ。もちろん、その同行者も同レベルで扱われる。だから、フリーパスとは言わなくても他の民間人よりは短時間ですむ。
「以前もそうでしたし」
 そう続ければキラは「そうなんだ」と納得してくれた。
「普段は家を空けることも多いですけど、こんな様子を見れば仕方がないのかなって思います」
 それだけの実績を上げているからこその特別扱いだろう。レイがそういえばキラもうなずいてみせる。
「僕のせいで余計に忙しくなってしまったんじゃないかな?」
 ギルバートさんは、とキラがつぶやく。
「本人が楽しんでいるからいいと思いますよ」
 それに、とレイは続ける。
「キラさんをいいわけに他人に仕事を押しつけているみたいですし」
 評議会議員になってから滞っていた研究をこっそり進めていることを自分は知っている。レイはため息とともに口にした。
「だから、キラさんは気にしなくていいんです」
 忙しいのは自業自得だ。そう言い切る。
「ひどいね。私としてはいろいろと未来のことを考えてやっているのに」
 笑いながらラウが口を挟んできた。どうやら検問はあっさりと終わったらしい。
「確かに自分で自分を忙しくしているのは事実だがね。それでもキラのおかげでだいぶ楽にはなっているのだよ?」
 データーの処理を含めて、と彼は付け加える。
「お役に立てましたか?」
「あぁ。他の連中もほしがるくらいにはね」
 もっとも、あれは渡さないが。ギルバートはそう言って目を細める。
「誰が大切な君が作ってくれたプログラムを渡すと言うのかね?」
 それも無償で、と言われてレイは無条件に首を縦に振って見せた。
「そうですよね。有益なものには対価が必要です」
 家族以外が無償で使おうなんておこがましい、と口にする。
「そこまですごいものじゃないよ?」
 キラは謙遜しているのだろうか。そう言って首をかしげて見せた。
「君にとってはね。私にとってはとても重要な役目を果たしてくれている」
 だから、もう少し自信を持ちなさい。そう言われてキラは小さく首を縦に振って見せた。きっと、ギルバートが嘘やお世辞でそう言っていないとわかったのだろう。
「さて。あと少しで着くね」
 ラウがどのような表情をしてくれるのか楽しみだ。その言葉にキラだけではなくレイも目を丸くする。
「まさかと思いますけど……」
「俺たちが迎えに来ることを伝えていないとか?」
 普通ならば考えられない。すれ違う可能性があるからだ。
 しかし、目の前の相手ならば十二分にやりかねないことをレイはよく知っている。
 そう。
 相手が驚く顔を見たかった。それだけの理由で今までに何度もそのようなことをしでかしてくれたのだ。
「……ラウが報告のために本部に行く可能性はないのですか?」
 あきれたような声音とともにレイは問いかける。
「その心配はないはずだよ。まっすぐに帰ると連絡があったからね」
 だから、今回のことを計画したのだ。そう言ってギルバートは笑う。
「……レイ……」
「今から連絡をして間に合うかどうかはともかく、メールだけ送ってみます」
 端末を取り出しながらそう告げる。
 そして、それが間違っていなかったとわかったのは、それからすぐのことだった。

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最遊釈厄伝