天秤の右腕
09
「わたくしとお友達になってくださいませんか?」
帰り際、ラクスはこう問いかけてくる。
「僕でいいのでしたら」
キラはしずかに言葉を返す。
出会う前の不安は消えている。彼女のそばにいるのはいやではない。しかし、だ。
「ただ、本当に僕でいいのですか?」
プラントには婚姻統制があると聞いている。当然彼女にも婚約者に当たる人間がいるのではないか。それなのに、異性である自分が『友人』としてそばにいていいのだろうか、と思う。
「わたくしがあなたとお友達になりたいのです」
ほかの誰かは関係ない、とラクスは言い切る。
「あなたが気にしないというのでしたら、僕も気にしないことにします」
よろしく、とほほえんでみせる。
「えぇ。これからもいろいろとお話ししてくださいね」
ラクスもそう言ってほほえみを返してくれた。
考えてみれば、プラントで初めての友達だなとキラは心の中でつぶやく。
「モニター越しで良ければ、いつでも」
さすがに自分は自由に出歩けないだろうし、ラクスに足を運んでもらうのも申し訳ない。そう考えてこう答えた。
「十分ですわ」
いっしょに出歩くだけが友人ではないのだし、と彼女はすぐに言葉を返してくれる。
「キラ様とお話しするのが楽しいのです」
「僕もラクスと話していると楽しい」
お互い楽しいからいいよね、とついついうなずき合ってしまった。
キラからのメールに『友達ができた』と書かれてあった。
それは喜ばしいことではないか、とラウは思う。ようやく周囲に視線を向けるだけの余裕ができてきたと言うことだ。
「それにしても、あの男がよく許可をしたね」
過保護としか言い様がなかったのに、とつぶやく。それとも、ギルバートにとっても益になる相手なのだろうか。
そのあたりのこともメールに書かれてあるのだろう。
ラウはそう考えるとさらに内容を読み進めていく。
「おやおや……これは予想外だったね」
確かにギルバートにとってプラスになる存在ではある。だが、それ以上に怖い存在ではないか。普段ならば何があろうともキラに気かづけたくないと考えるだろう。
おそらくは本人からのお願いという名の脅迫にあったのではないか。
「あの男にはいい薬だね」
たまにはそういう状況に追い込まれないと増長するから、とラウはつぶやく。
同時に、キラにとっていい影響を与えてくれるだろうとも思う。
ある意味、あの二人はよく似ているのだ。
ただ、キラの懸念も理解できる。
「そういえば、あの方の婚約者は誰だったかな」
婚姻統制以前に、彼女の父親は穏健派のトップだ。普通に考えて恋愛などできる立場ではない。それは本人もよく知っているはず。
だからと言っては何だが、彼女が唯一わがままを通しているのは歌のことだ。どのような有名な作曲家の作品であろうと、彼女の琴線に触れなければ決して歌わないと聞いている。
キラもよほどのことがなければ自分が望まないシステムを作ることはないし、そういう点で話が合うのかもしれない。
もちろん、邪心をするバカはいるだろう。しかし、そういう輩はギルバートがたたきつぶすに決まっている。
あるいは、それを期待して二人を引き合わせたのかもしれない。
「キラが笑っているなら、それでもかまわないのだがね」
ようやく作り笑顔ではない笑みを浮かべられるようになったのだ、とレイが報告してきた。それを曇らせるものは容赦するつもりはないとも。
もっとも、実際に行動に出るのはギルバートだろうが。そんなことを考えていれば、誰かが入室の許可を求めてくる。
「……何かあったのかな?」
緊急事態ではないはずだ。となれば、個人的なことか。
キラとレイならば無条件で手助けをしたいと思うが、他のもの達の手助けはしたくない。それをわがままと言われても事実なのだから仕方がないだろう。
だが、隊を預かる立場である以上、部下から相談を受けるのも業務の一部だ。
「入りたまえ」
面倒だが仕方がない。そう判断すると入室の許可を与える。
「失礼します」
そう言いながら姿を見せたのはアスランだった。
「先日命じられたレポートを持ってきました」
姿勢を正すと彼はそう口にする。
「ご苦労」
そういえばそういう命令を出していたな、と思い出す。航海中に少しでも戦術をたたき込んでおこうと考えたのだ。
「何か質問でもできたのかな?」
おそらくレポートが入っているであろうディスクを渡してもその場に残っている彼にラウは問いかける。
「いえ。なぜこれが必要だったのか、と思っただけで……質問と言うほどではありません」
なるほど、と納得した。
「一兵士には必要ないが、君たちはMSのパイロットだ。状況によっては隊を指揮してもらうことになる。そのときに付け焼き刃では部下を死地に送るだけだからね」
コーディネイターはナチュラルに比べて人口が少ない。一人でも多く生存させることが隊長の役目だ。
自分の部下達はミゲル以外最高評議会議員の子息である。その立場上、彼らはいずれ隊長にならなければいけない。そのときに慌てないよう、事前に知識を与えておくのも自分の役目だとラウは判断したのだ。
「ご教授ありがとうございます」
律儀にそう告げるとアスランは頭を下げる。
「後は何かあるかね?」
「今は何もありません。これで失礼をさせていただきます」
そういう彼に、ラウはあっさりと許可を与えた。
察しのいい部下とはいえ、やはり今はそばに置いておきたくない。キラからのメールをまだ全部読み終わっていないのだ。
「ご苦労だった」
ラウの言葉を合図に彼は部屋を出て行く。
その後ろ姿がドアの向こうに消えたとき、ラウはようやく先ほどの疑問を思い出した。
「そういえば、ラクス嬢の婚約者は彼だったね」
キラにとって害にならなければいいが。心の中でそう付け加えた。