天秤の右腕
07
「ラクス・クライン……さんですか?」
キラは首をかしげながらギルバートを見上げた。
「クライン議長のお嬢さんで歌姫としても有名な方だよ」
ほほえみながら彼が言葉を返してくる。
「それはレイからも聞いていますが……どうして、僕に?」
彼女にとってのメリットがわからない。言外にキラはそう聞き返す。
「メリット、デメリットと言ったことは考えていないと思うよ。ラクス嬢は純粋に君と話がしてみたいんだろうね」
そういう方だ、とギルバートは笑う。
「まぁ、普段から君のそばにいるのが私やサハクの双子だからついついそう考えてしまうのかもしれないが……そうだね。おとなしくておしとやかなカガリ嬢みたいだと思えばいい」
おとなしくておしとやかという時点でカガリとは似ても似つかないのではないか。
「カガリはおしとやかじゃないですけどね」
天然だけど、と苦笑とともに付け加えた。
「ラクス嬢も不思議な方だよ」
天然とは違うのかもしれないが、とギルバートも微苦笑を浮かべる。
「ただ、ものすごく怖い方でもある」
「そういうところはカガリといっしょですね」
彼女の場合、ほとんどカンだけで正解にたどり着くことがあるのだ。これに分別が身につけば無敵なのに、とよくウズミがぼやいていたのをキラは覚えている。
確かにあれをフォローするのは大変だろうな、と自分ですら思うのだ。そばにいる人間はなおさらだろう。今も何かをしてくれているのか、不安でならない。彼女が何かをやらかしていても、今の自分はすぐに手助けできないのだ。
だが、と思う。
ラクス・クラインという少女がナチュラルに対し偏見を持っていないなら、彼女とのつながりはカガリのためになるのではないか。
「その方はカガリとも仲良くしてくれるでしょうか」
まずはそれを確認したい。そう考えてギルバートにこう問いかける。
「大丈夫だろう。クライン議長は穏健派だしね」
ナチュラルに偏見は持っていない。ただ、降りかかってくる炎を払おうとして動いているだけだ。ギルバートはそう教えてくれる。
「そのご令嬢であるラクス嬢も『ナチュラルは悪だ』と言う考えはもっておられないよ」
だから、後は性格次第だろう。この言葉にキラは安心する。
「なら、大丈夫ですね」
ほほえんでみせれば、ギルバートもうなずいて見せた。
「では、お呼びしてかまわないね?」
断ってほしいと言えばギルバートはそうしてくれるだろう。しかし、相手が相手だから、彼の立場を考えればそれはやめておいた方がいいのではないか。
何よりも、自分が身内ではない相手と話をしてみたかったのだ。
たとえからだが不自由になったとしても、心までそうなってはいけない。ラウが出発する前にそう言ってくれていたし、と胸の中で付け加える。
何よりもギルバートが進めてくる人だから、とキラは判断した。
「はい」
だから首を縦に振ってみせる。
「すまないね。本当ならば君の親戚殿を優先すればいいのだろうが……」
「むしろ、知らない人の方が気が楽です」
以前の自分を知らないから、とキラは言い返す。同情はともかく哀れまれたくないし、と思う。
可能性があるなら最後まであがいてみたい。たとえ二度と歩けなくても自分がかわいそうな存在ではないと主張したいのだ。
「君は強いね」
ギルバートが苦笑とともに言葉を吐き出す。最近、彼はよくこんな表情をする。それが自分のせいならば申し訳ない、と吉良は思う。
「単に意地っ張りなだけです」
だから気にしないでほしい、と言外に告げる。
「その方が父さん達も喜んでくれるだろうし」
もう褒めてもらえないだろうけど、とつぶやく声はキラのうちに飲み込まれた。
ラクス・クラインという少女は春風のようだ。
そのほほえみを見た瞬間、キラはそんなことを考えてる。
もっとも、春風は優しいだけではない。春一番などは大きな被害をもたらすこともある。それでも人々がそれを受け入れているのは、春の訪れを知らせてくれるからだ。
彼女も見た目は柔らかく暖かい。
しかし、中身はしっかりとした自分自身を持っている。それはミナに負けないくらい激しいものではないか。
そんな印象を受けたのだ。
「キラ様は不思議な方ですわね」
しかし、どうやって会話を始めようか。キラがそう悩んでいたときだ。不意にラクスがこんなセリフを口にする。
「そうかな?」
そんなことを言われたことは初めてだ。そう思いながら首をかしげる。
「僕は普通の学生だったんだけど」
少なくともオーブでは、だ。
「あるいは、死にかけたからかな?」
世界がいきなりひっくり返った。その衝撃が強かったからだろうか。そう続ける。
「……申し訳ありません。余計なことを思い出させてしまったでしょうか」
きらの言葉を耳にしたラクスが即座に謝罪の言葉を口にした。
「いえ。事実は事実ですし……僕はこうしてここにいますから」
今はそれで十分だ、と笑ってみせる。
「お強いですわ。私の知り合いは地球でテロに遭ったのですが……未だに部屋から出られないそうです」
部屋から出るとまた襲われるのではないか。その思いが消えないのだとか。
「その気持ちも理解できます。ただ、ここはオーブではないので、僕の場合それで意識の切り替えができたんだと思います」
特に自分は第一世代だし、とそう続けた。
「後は支えてくれる人たちがいたからでしょうね」
それが理解できれば後は早いのではないか。
「……適当に放任されていたのも良かったのかもしれません」
ふっと思いついてこう付け加える。
「放任ですか?」
「えぇ。あまりそばにいられて、しかも哀れみの感情を向けられていたら、きっと今でも抜け出せなかったと思います」
やるべきことは与えられたけれど、あまりべたべたされなかった。だから、いろいろと考えて自分で解決策を導くことができたのかもしれない。
「そうなのですね」
「もちろん、そばにいてくれるのはうれしいですよ。ただ、少しだけ声かけを遠慮してもらえればいいだけです」
そばにいる人たちにはつらいかもしれないが、と付け加える。
「ただ黙ってそばにいるだけで安心できますものね」
ラクスがそう言って笑みを深めた。だが、そこに含まれている色は今までのものと微妙に違う。
ひょっとして、彼女もまた誰か大切な人を失っているのだろうか。
キラの脳裏にふっとそんな考えが浮かんだ。