天秤の右腕
06
何の前触れもなく執務室のドアが開く。その事実にカガリは眉根を寄せた。
だが、ウズミは予測していたのか。気にする様子も見せない。
「ウズミ!」
大股に歩み寄ってきたウナトが怒鳴りつけるように彼の名を呼ぶ。
「これはどういうことだ」
そのまま手にしていた書類を机にたたきつけるようにおいた。そばにいるカガリか完全に無視だ。
「……あの事故の後、地球軍は被害者に正式に謝罪していない。その事実に被害者であるキラ本人が不快感を示した。それだけのことだ」
その結果、地球軍に関わることで自分と父が持つ特許の使用を禁じた。
「あの子の権利だ。我々にはどうもできんよ」
それがオーブの法律だ。いくら首長家とはいえそれを翻すことはできない。いや、首長家だからこそしてはいけないのだ。
「だが!」
しかし、ウナトはあきらめきれない様子で詰め寄ってくる。
「何よりも、今のあの子の保護者はアスハでもサハクでもない。プラントのデュランダルだ。その意味がわからぬ訳ではあるまい」
ウズミの言葉にウナトが顔をしかめた。
「そもそも、あの子を手放すことになった原因は何だったのか。お前達がけがをしたコーディネイターの治療をさせなかったからだろう?」
声高に主張していたではないか。そう続ければ、彼としてはこれ以上反論ができないらしい。
「今回の措置を撤回させるには、あの子がオーブで安全に過ごせるようにすることが先決だろう。いや、あの子だけではなくほかのコーディネイター達もか」
自分一人だけ特別扱いをされてもキラは喜ばない。ウズミはそう言い切る。
「……ブルーコスモスがそれを受け入れると?」
「そこまでは私の管轄ではない。私は国内のテロ組織を排除するよう法整備を整えるだけだ」
そうやって国内に以前の姿を取り戻せば、プラントのもの達も『キラを帰しても大丈夫だ』と考えるのではないだろうか。
そこからようやく特許利用の話ができるのではないか、とウズミは言う。
「それまでにどれだけの時間がかかるというのだ!」
「ならば最初からあの子達を国内で治療させれば良かっただけだな」
プラントに搬送するよう強硬に主張したのは誰だった、と告げればウナトは悔しげなうめき声を上げる。
「せっかくの商機を」
その合間にも彼がそうつぶやく声が聞こえた。本当にキラの気持ちについて何も考えていないのか、とあきれたくなる。
「用事がそれだけならばそろそろ退出を。これから客人と会わなければいけないからね」
地球連合に属してはいない北欧の国の大使が来ることになっている、とそう続けた。
「……仕方がないですな。ただし、私はあきらめませんよ」
そう言い残すとウナトは足音も荒く出ていく。
「自業自得という言葉を知らんと見える」
あきれたようにつぶやきながらミナが姿を見せる。
「想定外だったのだろうよ。あの子の特許関係は私が管理していると思っていたようだしな」
ハルマが死んでからしばらくはそうだった。しかし、キラの意識が戻った以上、あの子の意思が優先するのは当然のことだろう。
「キラにしてみれば敵も当然だろうに」
オーブにいれば話は別だったかもしれないが、とミナもうなずく。
「そうそう。愚弟から連絡があった。例のものは完成したそうだ」
これから仕込ませる、と彼女は続ける。
「そうか」
「パスワードに関しては、お前と私のところに定期的に送られてくることになっておる」
これでどちらかに万が一のことがあっても安心だろう。そう彼女は続けた。
「できればお前には無事でいてほしいものだ。私ではギナを制御できん」
「そのときはそれこそキラを呼び戻すしかあるまい」
笑いながらミナが言う。
「それしかないか」
ちょっと助けに来てくれと言うには距離がありすぎる。それでも彼でなければいけないのだ。
「ともかく、お前だけはあまり無理をしないでくれ。これ以上、あやつの胃壁に負担をかけたくない」
「養父殿か。確かに、今しばらく頑張ってもらわなければならぬか。気をつけよう」
さらりと何でもないことのようにミナは告げる。
「そうしてくれ」
本当にブルーコスモスは余計なことをしてくれた。狂犬の首輪を解き放つようなことをしてくれて、とウズミは心の中でため息をつく。
その牙を受けるのが誰なのか。その身で知ることになるだろうとも。
久々に顔を合わせたクルーゼの雰囲気が柔らかくなったような気がするのは錯覚か。
「……ミゲル、隊長の雰囲気、変わったか?」
思わず先輩パイロットの彼にアスランは問いかけてしまう。
「隊長の弟さんの容態が安定したかららしいぞ」
もっとも、その気持ちはわかる。ミゲルはそう付け加える。
「プラントに移送するときにちらっと見たけど、彼が一番症状が悪かった。移送中も何度か心臓が止まりかけたとも聞いている」
ディアッカには内緒だぞ、とそう付け加えられたのは、彼から彼の母親へと伝わらないようにするためか。
「……そんな人間を放り出したとは、別の意味であきれるな」
「全くだ。と言っても、それなりに治療は受けていたらしいぞ。医師としての矜持があったんだろうな」
問題はそれを許さなかったがいやの方ではないか。ミゲルはそう言う。
「オーブも一枚岩ではないと言うことか」
そういえば、キラの親戚だという双子がそんなことを言っていたな。アスランは不意にそんなことを思い出す。
「アスハとサハクは話が通じるが、それ以外の三家はダメだと聞いたな」
正確にはセイランが地球連合よりでほかの二つは声が大きい方につくような連中らしい。
しかし、オーブ国内では建国に大いに尽力をしたアスハとモルゲンレーテと軍の大部分に影響力を持つサハクの力の方が大きいそうだ。
だからこそ、こうして未だにプラントとオーブのパイプが切れていないのだとパトリックも言っていた。
「お前、詳しいな」
感心したようにミゲルが言ってくる。
「幼なじみがオーブの人間だったんだよ。その従兄弟が結構名家の人間だったらしくて、それなりに教えてくれたんだ」
あれは間違いなく自分の家のことがばれていたな、とアスランは今気がつく。だからこそ、あれこれと教えてくれたのだろうとも。だから、今でも自分は民間人のナチュラルには偏見を持っていないつもりだ。
悪いのは上に立つものであり民衆はそれに扇動されるだけと言うのが彼らの主張だった。そうでなければ国を追われることになるのだとも。
「いい人脈を持っていたんだな」
「彼らも同胞だったからな」
「そうか」
ミゲルはそう言ってうなずく。
「また、会えるといいな、そいつらに」
「そうだな」
そのためにはこの戦争を終わらせなければいけないわけだが。その日が来ることを信じて戦うしかないか、とアスランは心の中でつぶやくしかできなかった。