空の彼方の虹
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カナードが軽く肩を揺するだけでキラは目を覚ました。
「お起こしして申しありません」
それを気配で察したのだろう。マルキオがそう告げる。
「いえ。お客様の前で眠ってしまった僕が悪いのです」
申し訳なさそうにキラは言い返す。
「お疲れだったのでしょう? 無理はされないことです」
そう言いながら、マルキオは柔らかな笑みを浮かべた。
「コーディネイターとは言え、無敵ではないのです。ただ、少し丈夫で努力をすれば結果が出やすいだけの人間なのです」
だから、あまり自分を過信してはいけない。彼はそう続けた。
「はい」
キラは素直にうなずいてみせる。
「相変わらずいい子ですね、君は」
マルキオはそう言うと笑みを深める。
「カガリ様もカナード君も立派に育っているようですね」
そのまま彼は言葉を重ねた。
「これならば、これをお渡ししてもかまわないでしょう」
膝の上にのせていた鞄の中から、彼は三冊のノートのようなものを取りだした。
「申し訳ありませんが、どれがどなたのものか私にはわかりませんので、確認して渡していただけますか?」
それをミナへと渡す。
「それは、なんですか?」
反射的にカナードが問いかける。警戒しているなとキラには彼の声音でわかった。
「貴方たちの母子手帳、と言うか成長日記ですよ。ヴィア様からお預かりしていたものです」
キラとカガリを彼女から預かったときから、とマルキオは慈愛に満ちた表情で言い返す。
「私たちの?」
「成長日記、ですか?」
そんなものがあったのか。そう言わずにいられない。
しかし、とキラはすぐに思う。それは研究データーと何が違うのだろうか。
以前見せられたユーレンのそれは冷たい数字の羅列でしかなかった。自分は、彼にとってただの研究材料でしかなかったのか、とそう思ったことも事実。
しかし、カガリのそれは違うだろう。彼女は母のぬくもりに包まれて成長をしてきたから、と心の中で呟く。だから、自分とは違うとも、だ。
「キラ君。大丈夫ですよ。あなたが考えている内容とはと違います」
それはヴィアの個人的なものだから、とキラの心を読んだかのようにマルキオは告げた。
「ヴィア様は、あなたが生まれてくるのを楽しみにしていましたよ」
それだけは信じてあげてください。マルキオは言葉を重ねる。
「確かに。ヴィアは私たちにも君たちの成長を逐一教えてくれたほどだしね」
ギルバートが脇から口を挟んできた。
「ユーレンも、間違いなく君たちの誕生を待ち望んでいたと思うよ。研究者としてではなく、父親としてね」
それも信じてやって欲しい。彼はさらに言葉を重ねる。
「カナードを手元に置いて君たちの《兄》としたのも、そのためだろう」
そうすれば、他の誰かの手で理不尽な実験をされる可能性は減る。
「彼は彼なりにお前たちを愛していたと言うことだ」
ミナはそう言いながら、三人にそれぞれ、一冊ずつノートを差し出して来た。
「ヴィアがそうだったとは信じられますが……ユーレン・ヒビキに関しては、信じられません」
カナードがそう呟きながらノートを開く。それにつられるようにキラも自分に渡されたそれの中を確認した。
そこには几帳面な文字で日付と気がついたことが書かれてある。そこには自分の様子もまた細やかに綴られてあった。
「……私のよりも文が長いぞ」
キラの肩越しにノートをのぞき込んでいたカガリがそう呟く。
「それは……僕がお母さんから生まれたわけじゃないから……」
だから、事細やかに書いていただけではないのか。キラはそう言い返す。
「違うな。お前だからに決まっているじゃないか。顔立ちはもちろん、髪の色も瞳の色も、お母さんそっくりだぞ」
それだけでもキラに与えたかったのではないか。彼女はそう言ってくる。
「おかげで、お前は身内の中で一番美人だ」
しかし、このセリフはなんなのか。
「カガリだって美少女って言われてるじゃん」
反射的にこう言い返す。
「着飾った上に、黙って立っていれば、であろう?」
だから、どうしてそんな風に茶化すのだろうか。
「ミナ様……」
「わかってるって。父上にもマーナにもそう言われているからな」
ともかく、とカガリは言う。
「それを残してくれたんだ。最初からちゃんと読めばわかると思うぞ」
だから、今はマルキオの言葉を信じていればいいのではないか。彼女はそう続けた。
「そうしておけ、キラ」
カナードもそう言ってくる。
「……はい」
それにキラは小さくうなずく。
「これで、重荷の一つが下ろせました」
ほっとしたようにマルキオは言う。
「もっとも、これからの方が正念場でしょうね」
少しでも被害が少ないうちに戦争が終わればいい。彼の言葉に誰もが同意をした。