仮面
16
言葉通りフラガが食事を持ってきてくれても、アスランが戻ってくる気配はなかった。他のガンダムのバッテリーがストライクと同じだとするならば、既にフェイズアウトしているのではないだろうか。
単に、任務が終わった後の報告が長引いているだけならいい。
しかし、他の理由で戻ってこられないのでは……と思った瞬間、キラは自分の足下がいきなり崩れ落ちていくような感覚に襲われてしまった。
「……な、んで……」
アスランが戻ってこないかもしれない恐怖はもちろんある。だが、それ以上に、自分が他の友人達よりもアスランの身を心配していることにキラは驚愕を隠せなかった。
確かに、アスランはたった一人の親友で、誰よりも大切だと言い切れる。
だが、友人達も守らなければいけない対象だったのだ。
それなのに、どうして今、一瞬とは言え彼らの存在を忘れていたのだろうか。
「僕は……」
キラの瞳から涙がこぼれ落ちる。
友人達を巻き込んだのは--------例え本意ではなかったとは言え--------間違いなく自分だというのに、そんな彼らを攻撃しているアスランの事を優先してしまっている。そんな自分に、キラは衝撃を隠せない。
それが、昨夜、彼と肌を重ねたからなのか、それともフラガが言っていたように自分がかけられていたという暗示の影響から解放されたからなのか、キラ自身にもわからない。
わからないまま、キラは涙を流し続けていた。
テーブルに置かれた食事は手をつけられないまま冷たくなっていく。
しかし、空腹を感じていないキラにはどうでもいいことだった。
それよりも、早くアスランが戻ってきて欲しい。でなければ、今どうなっているのかだけでも知りたい、とキラは両手を握り混む。
「……アスラン……みんな……」
ともかく、誰も傷つくことなく無事でいて欲しい……
キラは心の中でそう祈る。
そんな彼の耳に、ドアのロックが外れる音が届いた。はじかれるように視線を向ければそこには見慣れたシルエットがある。
「アスラン?」
確かめるようにその名を口にすれば、彼は頷いて見せた。
「ただいま」
この言葉を耳にした瞬間、キラは彼に向かって駆け出してしまう。
「どうしたの、キラ?」
涙の跡を隠すことなく駆け寄ってきた彼の体を、アスランは柔らかく受け止める。
「……な、んでもない……」
問いかけに答えようと口を開くが、どうしたことかうまく舌が動いてくれなかった。そんなキラの言葉を耳にしながら、アスランは微苦笑を浮かべる。
「起きたらいなくなってたから、怒ってるの?」
再度かけられた問いかけに、キラは首を横に振って否定をした。
「……じゃ、どうしたんだ?」
教えてよ、と告げられてキラは悩む。
「……遅いから……何かあったのかって……」
思ったら、心配になっただけ……とキラは付け加えた。
「ごめん……艦内の制圧に手間取っただけだよ。そのおかげで、キラの友達はみんな無事みたいだったけど」
後でちゃんと確認をしてくるから、と言うアスランの言葉に、キラは目を丸くする。
「何で……」
「何でだろうね」
少なくとも、キラは悲しむだろうと笑う彼に、キラは返す言葉を見つけられなかった。
テーブルの上に放置されている食事にアスランが気がついたのは、キラが彼から離れてすぐのことだった。
「キラ……食べたくないと思っても、とりあえず口の中にいれてねって言わなかったっけ?」
あきれたように口にすれば、キラが身を縮める。
「だって……心配だったから……」
誰が、とは言われなくてもアスランには伝わってきた。同時に、彼の口元に優しい笑みが浮かんでくる。
「大丈夫に決まっているだろう? 君がここで待っていてくれるのに、僕が戻ってこないわけがないじゃないか」
口ではこう言いながらも、アスランの心の中は喜びでいっぱいだった。キラが自分のことを第一に考えてくれていたと言うことがその表情からわかったせいでもある。ようやく、自分の所へ彼が戻ってきてくれた……とそんな想いがアスランの中に湧き上がってくる。
「それはうれしいけどね……それ以上やせたら、倒れるよ?」
それに、抱くときにうれしくない……とアスランが付け加えれば、キラの頬が薄紅に染まってしまった。
「アスラン!」
「本当のことだろう? 夕べだけで終わらせるつもりはないし」
これからもするからね、と宣言をすれば、キラの首から上が真っ赤になってしまった。
「ともかく、これじゃおいしくないだろうから、新しいのを貰ってくるよ。一緒に食べよう」
言葉と共に、アスランはテーブルの上のお盆を取り上げる。そして、そのまま部屋を出ようとしてふっと足を止めた。
「そう言えば、これ、誰が持ってきたんだい?」
ちょっとした好奇心でこう問いかければ、
「……フラガ大尉……」
既に癖になっているらしい階級付きでその人物の名を口にする。
「なるほどね」
彼なら納得……と言ったところか。ぽつぽつと聞き出したあちらでの生活の中でも彼がキラを気にかけていたという事実はアスランにも伝わってきていた。その理由がなんなのかは今ひとつわからないが、敵ではないと言うことだけは言えるだろう。
「……キラ、あの人にあって何ともなかった?」
「うん……もっとなんかなるかと思ったんだけど……普通に話せたと思う……」
アスランやみんなのことが心配だったからかな、と小首をかしげてみせるキラに名前を言われた当人は小さく安堵のため息をついた。
「なら、そろそろ部屋から出ても大丈夫かもね……隊長の判断をお聞きしないといけないだろうけど」
ともかく、今はまだ部屋の中にいて、と言い残すと、アスランは通路へと出る。背後で閉まった扉にロックがかかったのを確認して食堂へと歩き出す。
「そうなると、あいつらがうるさいか」
ニコルはまだいい。問題は残りの二人だ。彼らがキラにどんな態度を示すか、アスランにとっては頭が痛い問題である。
それでも、今日保護した彼らが出発する前にキラと合わせてやりたいと思うのもまた事実だ。
「……本当、キラにはコーディネーターだとかナチュラルだとか関係ないんだな」
アークエンジェルを制圧し終えたとき、アスラン達もまた艦内へと足を踏み入れた。ザフトの兵士達が民間人をどうこうするとは思えないが、一応確認のためと、同時にラクスを逃がす手助けをしてくれた人々への礼を言っておきたいと思ったからだ。
だが、彼らはアスランが口を開くよりも先にキラの安否を尋ねてきた。その表情は本心から彼を心配していると伝わってくるものだった。
『……ほんの少しだけですが、ナチュラルに対する認識を改めましたよ、僕は……あの人が彼らを見捨てられなかった理由もわかる気がします』
自分と共に彼らとあったニコルがガンダムへ戻る途中、こう呟いた。他の二人は無言だったが、それについてはどうでもいいとアスランは思っている。
「会わせてやれれば、安心するだろう」
少し前なら、不安で会わせられなかっただろう。だが、今は不思議と穏やかな気持ちでそう口にすることができた。それはいったいどうしてなのか、などと考えなくても理由はわかっている。キラの気持ちが自分に向けられているからだ。
「キラのためにできることはしてやらないとね」
アスランは小さく呟くと表情を引き締める。そして、そのまま食堂へと入っていった。