仮面
13
「キラ……せめて、サラダだけは全部食べようね」
もう食べられないと思ってフォークをおこうとした瞬間、アスランの注意が飛んでくる。
「もう、おなかいっぱいだから……」
そんなアスランにキラは苦笑混じりに言い返した。彼にしてみればこれでもかなり食べた方なのだ。だが、それでも半分以上残っているさらに、アスランは小さく溜め息ついて見せる。
「キィラ」
そして、再び彼の名を口にした。
これは、サラダの皿をからにしないうちは許してもらえないだろう。キラは彼の言葉からその意思を受け止める。しかし、本当にもうおなかはいっぱいなのだ。皿の中身のブロッコリーをつつきながら、キラは困ったような表情を作る。
少し行儀が悪いキラの仕草にアスランが何かを言おうと口を開きかけたときだった。
耳にしたものの精神を逆撫でするような電子音が室内に響く。それは壁に設置されていた通信端末から発せられている。
「ちっ」
この部屋に入れられてから今まで一度も使われたことがないそれは、彼に向けられたものではないであろうことはキラにもわかっていた。もちろん、アスランにも同様であろう。小さく舌打ちをすると彼は端末へと歩み寄っていく。
アスランの指が流れるような仕草で端末を操作すれば、モニターに誰かの顔が浮かび上がる。キラが何となく視線を向ければ、それは顔の半分を仮面で隠した人物だとわかった。
「隊長?」
アスランが呟く。
『食事中すまないな。大至急、ブリッジまで来てくれ』
口元に穏やかな笑みを浮かべつつ、クルーゼがアスランに命じる。口調は穏やかでも、命令である以上彼が逆らえないのはわかっていた。
「わかりました」
アスランは姿勢を正すとこう口にする。
それに頷き返すと、クルーゼの姿はモニターから消えた。次の瞬間、アスランの肩から力が抜ける。
「そう言うことだから、キラ」
つき合うって言ったのに、約束を破ってごめん。アスランが言外にそう付け加えているのがキラに伝わってきた。
「……しかたがないよ。それがアスランの仕事でしょう?」
自分で選んだのだから、責任を持つしかないよね、とキラはさりげない口調で続ける。その言葉自体に深い意味はなかった。だが、アスランはそう受け止めなかったらしい。
「……キラ……」
悲しげなまなざしを向けてくるアスランに、キラは違うと首を横に振ってみせる。
「違うよ……何も選べない自分が情けないだけ……」
微苦笑を浮かべつつ、キラは言葉を口にした。
「キラ」
アスランが何かを言いたげに彼の名を呼ぶ。しかし、キラはそれ以上口を開くことはなかった。
あれがキラの涙の理由なのだろうか。
ブリッジへと移動しながらアスランは心の中で先ほどのキラの表情を思い出していた。
『何も選べない自分が情けないだけ』
それは間違いなくキラの本音だろう。暗示に縛られた思考ではなく、本来のキラの思考が導き出したもの。それを自分に告げることをキラがためらっている理由は何なのだろうか。
「やっぱり、あいつらの存在のせいか」
キラが友人だと主張をするナチュラル達。
彼らと出会ったのがいつなのか、アスランは知らない。だが、キラのあの様子を見ていれば、暗示をかけられるよりも早かったのではないかと思う。
「気に入らない……けど、キラにそれを言うわけにはいかないよな」
誰かと同じではなく、自分を特別に思って欲しい。そう思う自分に、アスランは苦笑を浮かべる。
「ともかく、最終的にキラが俺を選んでくれればいいだけだから……」
離れていた三年間を埋めるように努力するしかないか、と呟きつつ、アスランは方向を転換した。その瞬間、目の前に他の三人の姿が現れる。
「アスラン」
彼の姿に気がついたニコルが即座に近寄ってくる。
「彼の所に行っていたのですか?」
「……あぁ……」
ニコルの笑顔の裏に隠れている感情をすぐには掴みかねて、アスランは曖昧に頷くだけにした。
「お姫様はいくらかマシになったのか?」
からかうように言葉を口にしたのはディアッカだった。その言葉の内容に、アスランはかすかに眉をひそめる。
「……お姫様……というのは、キラのことか?」
確認するようにアスランはディアッカに聞き返した。
「少なくとも、お前やイザークのことでないことは確かだろう」
ニコルなら危ないものだが……と付け加えるディアッカをアスランだけではなく残りの二人も冷たい視線で睨み付ける。
「ディアッカの話は置いておいて……様子はどうなのですか?」
雰囲気を変えるようにニコルが改めて問いかけてきた。
「少なくとも、いきなり舌をかむといった行動はなくなったな。その代わり、かなり精神的に不安定になっているが……」
おそらく深層心理から暗示で刷り込まれた部分がなくなりつつあるからだろうとアスランは説明をする。ここまで親切に説明をしなくてもいいのだろうが、今後のことを考えれば、あまりキラの敵を増やしたくない……というのがアスランの考えだった。少なくとも、ニコルは今のところ彼に悪印象を持っていないらしいし……と自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
「そうですか……機会があったらお話をさせて頂きたかったのですけど、まだ、無理そうですね」
でも、そのうちに機会を作ってくださいね、と付け加える彼に、アスランは微苦笑を向けた。
「お前ら、いつまでもくだらないことで時間をつぶしている。隊長がお呼びなのだろう」
今まで黙っていたイザークがいきなりこう言ってくる。
「……お前だって知りたがってたくせに……」
ぼそっとディアッカが呟く。
しかし、イザークはそれには答えない。身を翻すと、さっさとブリッジへと向かっていく。そんな彼の背を見つめながら、ディアッカは仕方がないというように肩をすくめてみせる。
「僕たちも行きますか」
ニコルの言葉に、アスラン達も移動を開始した。
「……いったい、何を考えているんだ、あいつは……」
最後尾に着いていたアスランは小さな声でこう呟く。
ニコルやディアッカの反応も確かに怖い。だが、それ以上にイザークが何を考えているのかわからないことがアスランを不安にさせていた。
と言っても、自分に向けられる感情が……ではない。
彼らがキラをどう思っているのか。
キラが、彼らの感情を受け止めて傷つかないかどうか。
自分はひょっとしてキラを取り戻して弱くなったのかもしれない、とアスランは思う。だが、同時に強くならなければならないとも……
すべてはキラを守るために。