狭間

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  09  


 翌日からキラの作業は何故か増えてしまっていた。
 ストライクだけではなく他の機体のOSのチェックも回されてきたのだ。
「……まぁ、いいけどね」
 必要なことだとわかっているから、とキラは呟く。だが、できれば一人ができる仕事の量を考えて欲しいとは思う。とは言っても、頼られると嫌だと言えないのがキラの性格だ。
 少しでも早く終わらせたいと思うからか、キラはついつい食事を忘れてしまうことが多くなっていた。
「えっと……これはこれで終わりかな?」
 ならば、今日は終わりにしようかと呟きながら、キラは立ち上がろうとする。だが、どうしたことか腰を上げた瞬間、視界が歪んでしまった。
「あれ?」
 そのまま、ふわっと前に倒れてしまう。ゆっくりと体がデッキの床へと落ちていく。
「キラ?」
 隣で作業をしていたらしいイザークが、慌てて彼の名を呼ぶ。ついでとばかりに、彼の体が床にぶつかる寸前で抱き留めてくれた。
「どうしたんだ、お前は」
 あきれたような声が頭の上から降ってくる。
「……ちょっとめまいがしただけだよ……大丈夫」
 失敗しちゃったと苦笑を浮かべながら告げれば、頭の上で盛大なため息がした。
「どこが大丈夫なんだ、お前は。体調が悪いなら、医療室へ行け」
 キラがここ数日忙しかったことを彼も知っているのだろう。何なら連れて行ってやるから……と彼にしては珍しいセリフを口にする。他の誰かが耳にすれば、そのセリフに驚愕の声を上げたのではないだろうか。だが、幸か不幸か、ここには二人しかいない。
「そこまでしなくても、大丈夫だと思う」
 抱えられたまま歩き出されたキラが、慌てて口を開く。
「何故だ? たかが過労と言っていると後々大変なことになるぞ」
 真顔で問いかけてくるイザークに、キラは小さく身を縮ませる。
「……たぶん、ご飯抜いたせいだから……」
 そして、さらに小さな声でこう告げた。
「はぁ?」
 さすがにこれにはあきれたらしい。イザークは足を止めるとキラの顔を覗き込んでくる。
「忙しくてさ、ご飯、食べるの忘れてたのをさっき思い出したんだよね……たぶん、そのせいだと思う」
 だから、医療室に行く必要はないんじゃないかと……とキラはさらに小さな声で呟くように口にした。
「……お前は……」
 イザークが何かを言おうと唇を開きかける。だが、いい言葉が見つからないのか、すぐに声にはならないようだ。
「……心配かけて、ごめんね」
 キラがそんなイザークに謝罪の言葉を告げた。
「そう思うなら、ちゃんと飯ぐらい食え! 体調管理も任務の一環だ!」
 このセリフにようやくイザークの中で怒りが言葉になったらしい。デッキ内に響き渡る声でこう叫ぶ。
「だから、ごめんってば……」
 自分でもまさかめまいを起こすようなはめになるとは思わなかったのだ、とキラは付け加える。
「……ともかく、食堂までは運んでやる……」
 飯を食って、さっさと休め……といいながら、イザークは移動を開始した。
「自分で行けると思うんだけど」
「で、途中で力尽きているのを拾うのか? だったら、最初から連れて行った方がましだろうが」
 キラの言葉をイザークは途中で遮る。彼の全身が、それ以上の反論を許さないと告げていた。だが、それならそれで、もう少し体勢を何とかして欲しいと思う。いわゆるお姫様だっこと呼ばれる状況は、キラとしても恥ずかしい。これがアスランだけではなくクルーゼの耳にまで入った日には、後々何を言われるかわかったものではないだろう。
 しかし、それをイザークに言っても無駄だと言うことは想像できてしまった。
 めまいがひどくなってきたのもまた事実。キラはため息と共に彼の胸に頭を預ける。
 そんな彼の仕草に、イザークがほんの少しだけ笑ったような気配が伝わってきた。

「最近、アイツと仲いいじゃん」
 ディアッカが楽しそうに声をかけてくるのに、イザークは視線も向けようとはしない。
「そう言えば、そうですよね。こちらにもしょっちゅう来ているようですし」
 それもアスラン抜きで……とニコルまでがディアッカの言葉尻に乗ってきた。
「たまたまだ。デュエルにバックアップユニットをつけるに当たって、OSの調整が必要だからな。俺よりもあいつが手を出した方が完成度が高い。悔しいが……」
 デュエルは開発ベースになった機体だ。他の四機に比べてもその機動性が劣るというわけではない。だが、逆に言えば決定的な特徴を持っていないと言う事でもある。いざということを考えれば、その攻撃力を少しでも上げておいた方がいいことは言うまでもないだろう。
 そして、近々行われるであろう戦闘を考えれば、少しでも早くその完成度を高めておくことが必要だ。だから、クルーゼはキラにイザークの補助を命じたのだし、イザーク自身それを受け入れたのだ。
 彼が認めざるを得ない実力を、キラは示していた……という理由もある。
 だが、それだけではないこともイザーク自身自覚はしていた。
「……どこまで本当なんだか……」
 キラとアスランほどではないが、イザークとディアッカもそれなりにつきあいが長い。そんな彼が何かを感じ取ったというように口元に笑みを浮かべながら言い返してくる。
「それ以外に何があると言うんだ?」
 だが、イザークはしれっとした口調で言い返す。
「……意外と面倒見がいいからさ、お前。わざわざアイツを引きずって食堂に行ったのは一度や二度じゃないだろう?」
 そんなイザークに、ディアッカはしっかりと証拠を突きつける。
「アイツは作業に熱中すると飯を食うのを忘れるようだからな。倒れられては困る。だったら、先手を打った方がましだと言うだけだ」
 何なら、お前らもちょっかい出せばいいだろうとイザークは付け加えた。
「……それは……知りませんでした……」
「俺だって知りたくなかったがな。目の前で何度も同じこと繰り返されては嫌でもやらざるを得ないだろうが」
 アイツには学習能力というものがない、と憤慨したように口にするイザークに、他の二人は意味ありげな笑みを浮かべる。
「そう言うことにしておきます」
「だな」
 ニコルとディアッカは顔を見合わせて頷きあった。その表情がカンに障って、イザークが彼らを怒鳴りつけようとしたときだった。
「イザーク」
 話題の主がドアから顔だけ覗かせてイザークの名を呼ぶ。
「……何だ?」
 それに気勢をそがれたと言うようにため息をつくとイザークは言葉を返す。
「邪魔した? デュエルのOSの修正終わったんだけど……」
 キラが言葉を口にしながら三人に歩み寄っていく。
「そうか。わかった」
 だが、彼が辿り着くよりも早くイザークが腰を上げた。そして、自分の方からキラに歩み寄ってくる。
「イザーク?」
 いったいどうしたのだろうか、と言うようにキラが小首をかしげて見せた。
「何でもない。気にするな。それよりも、OSのチェックだったな。行くぞ」
「ちょっ、ちょっと……」
 そんなキラの腕を掴むと、半ば引きずるようにしてイザークは部屋から出て行く。
「……よっぽど気に入ったんだな、あれ」
 その後ろ姿が見えなくなったところで、ディアッカがぼそりと口にした。
「ですね。まぁ、あの人の実力を見ていれば納得もできますけど……それよりも、僕としてはアスランの反応が怖いですねぇ」
 幸か不幸か、今は本国に戻っているが……とニコルは付け加える。
「それを言うなら隊長じゃないか?」
 一応保護者だし、かなり溺愛しているらしいし、とディアッカが言い返す。
「気にしないんじゃないですか、隊長なら」
 だが、ニコルの認識は違ったらしい。
「何でそう思うんだ?」
「……自信じゃないですか。キラさんの信頼を得ているという……」
 だからキラの判断を尊重しているのではないかというニコルのセリフに、ディアッカも納得するしかなかった。

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最遊釈厄伝