狭間
12
「何の用だね、アスラン?」
面会を求めてきた彼に、クルーゼはそう問いかける。
「……確認させて頂きたいことがありましたので、お邪魔かとは思ったのですが」
アスランにしては珍しく言葉を濁している。その様子に、クルーゼは一瞬眉をひそめた。だが、仮面のおかげでそれは彼にわからないだろう。しかし、アスランはなかなか次の言葉を口にしようとしない。彼がそう言う行動に出るのは、自分の被保護者相手のことが多い、と言うことをクルーゼはここ数日で気がついていた。
「……キラのことかね?」
そう問いかければ、アスランはしっかりと頷いてみせる。
「あの子がどうかしたのか?」
どうやら、それは隊の一員としてではなく、キラの幼なじみとしての問いかけだったらしい、とクルーゼは推測をした。
「今は休息時間だ。個人的な内容でもかまわんが?」
水を向けてやれば、アスランはようやく口を開く。
「……キラを隊長に預けた人間とあのMAのパイロット、同一人物なのでしょうか」
この問いかけに、クルーゼはほんの少しだけ目元を和らげる。
「何故そう思ったのか、聞いてもかまわないかな?」
だが、すぐにその問いに答える代わりにこう聞き返した。
「キラがあのMAについての知識を持っているという隊長のお言葉と、キラ自身から以前ジンのOSを書き換えた……と聞きましたので。しかも、ジンのOSを書き換えたのはザフトにはいる前らしいことをキラが口にしていましたから。そこから、キラがプラントに来るときに正規の方法ではなくジンと連邦軍のMAとで移動したのではないか……と推測しただけです」
クルーゼの問いにアスランはためらうことなく言葉をつづる。ほんのわずかな情報から導き出されたにしては、予想以上に正解に近い彼の言葉にクルーゼは口元をほころばせる。
「その通りだ。地球軍の上層部にキラがコーディネーターだとばれた時点で、MAのパイロットおよびあの子を可愛がっていた整備員達がこっそりをあの子を逃がしてくれたのだよ。もっとも、こちらに連絡があったときはあきれたがな」
その時のことを思い出したのだろうか。クルーゼは感慨深げな口調でアスランに告げた。
「だが、それを聞いてどうする?」
「……万が一の時にどう行動するのがよいのか、判断するための材料にさせて頂こうかと……」
ためらいながら述べられた言葉にクルーゼは何かを考え込むような仕草を見せる。だが、すぐに結論を導き出したらしい。
「少し長い話になる。腰を下ろしたまえ」
彼はアスランにこういうと共に自分もまたいすに腰を下ろした。
「いきなりなんだ?」
数年ぶりで連絡を寄越した相手に、クルーゼはため息をつく。これが平時であれば別段気にしなかった。だが、今は状況が状況だとも思う。
『頼みがある。子供を一人引き取って欲しい』
相手――フラガの方にも余裕がないのだろうか。単刀直入にこんなセリフを返してくる。
「何故私が?」
わざわざ子供を引き取らなければならないのか、とクルーゼはフラガを睨み付けた。だが、彼の方は少しも冗談を言っている気配はない。それは次の言葉で理解できた。
『その子供があの月面衝突の被害者で、第一世代コーディネーターだとしてもか?』
コーディネーターにしても後悔の対象となるそれの被害者、しかも、第一世代の子供が彼の手元にいる。それがフラガだけではなくその子供にとってもどれだけ危険なことか、クルーゼにも想像ができる。しかも、彼の様子からすればかなり切羽詰まった状態らしい。自分に無理矢理回線をつなげてきたことでもそれは想像がついてしまった。
「では引き受けないわけにはいかないな」
幼い同胞を見捨てることは、さすがのクルーゼでもできない。しかも、話を持ちかけてきた相手も相手だ。
「ただ、その後のことは保証しないぞ」
自分で面倒を見るか、それとも施設に入れるかは……と付け加える。
『かまわん。俺はアイツが安全な場所にいてくれればそれでいい』
文句を言うかと思っていたフラガは、すんなりと引き下がった。だが、彼の口調からその少年を大切に思っていることがクルーゼにも伝わってくる。その言葉にクルーゼもフラガが預けたいと言っている少年に興味が出てきた。
「だが、どうするのだ? 引き受けるにしても今そちらからこちらに来る船はないぞ?」
どうやってその子供を自分の元へと寄越すつもりだ、とクルーゼはさらに問いかける。
『……迎えに来てくれればいいだろうが、お前が』
そんな彼に向かって、フラガは平然と言い返してきた。
「ムウ!」
『俺の方は新型MAのテストで出られる。整備の連中も協力してくれるから、キラを連れ出すのには問題はない。後はお前が来てくれればいいだけだ』
できる立場だろうと付け加えられて、クルーゼは苦笑を浮かべる。
「確かに不可能ではないがな。だが、その場で攻撃されないとは言い切れないだろう?」
そんなことはないと知りつつもついついこんな事を口にしてしまう。
『……俺が信用できないのか?』
「いや、信用している。だが、他の者は信用できないのでな」
言外に連邦軍の他の者に見つかったら困るとクルーゼが付け加えれば、
『……大丈夫だ。レーダーに死角がある。そこなら、誰にも気づかれない』
フラガがこう言い返してきた。彼にしては苦渋の選択と言ったところか。
「ならデーターをよこせ。準備ができ次第向かう。そうだな……5時間後にお前の提示したポイントで落ち合おう」
そんな彼の表情を楽しみながらクルーゼはこう告げた。その瞬間、フラガの顔に安堵の色が広がったことを彼は見逃さない。
『わかった。待っている』
この言葉と共にフラガは通信を終える。そのすぐ後、クルーゼの元へ彼からデーターが届けられた。
「さて……アイツをあそこまで本気にさせるとはどのような子供なのか」
気になるな……と呟きながら、クルーゼも腰を上げる。そして、目的地へ向かうために動き始めた。
クルーゼが使用したのは、まだ実戦に配備される前のジンだった。これのテストという名目で出かけるのが一番目立たないと判断したためである。これはフラガのセリフをヒントにしたと言っても過言ではない。
目的地まで付けば、そこには既に見慣れないMAがいた。
『遅かったな』
ゆっくりと近づいていくジンへフラガからの通信が入る。
「無茶を言うな。こちらとてまだまだ実戦前の機体だ。無理はできん」
お前だとて似たようなものだろうと言い返せば、回線の向こうから苦笑が帰ってきた。
「ともかく、用件を早く終わらせてしまおう。こちらとしても余裕がない」
実際、バッテリーの残量とOSの不安定さはクルーゼにも不安を感じさせるのだ。せめて、味方の艦が動いても連邦軍に悟られない場所までは移動したい。
『わかっている。キラ?』
『やっぱり、行かなきゃだめなの?』
フラガの問いかけの後に少し舌っ足らずな声がクルーゼの耳に届く。その声の主は本気でフラガを慕っているらしい。
『約束したろうが。大丈夫だ。心配いらない』
アイツは信用できるから……と付け加えられて、クルーゼは思わず苦笑を浮かべる。
『……わかった……でも、ちゃんと迎えに来てよ?』
そんな彼を無視してMAのコクピットの中では二人の会話が続けられていた。フラガの優しい口調にクルーゼの苦笑が深まっていたなど、彼らは思っても見なかっただろう。
『了解。そう言うことだから、頼むぞ』
フラガの呼びかけと共にMAのコクピットがゆっくりと開かれる。そして、宇宙服に身を包んだ人影が見えた。確かに一人は子供のようである。それを確認してから、クルーゼもコクピットを開く。
次の瞬間、フラガの腕が子供の体を自分の方へと押しやった。
小さな体がまっすぐに自分の方へと向かってくる。
クルーゼは手を伸ばすとその体を自分の方へと引き寄せた。
「ありがとうございます」
彼の腕の中で少年が即座に礼を口にする。その態度に、クルーゼはほんの少しだけ笑みの意味を変えた。
「気にすることはない」
そしてそのまま少年の体を膝の上へと座らせる。
『キラ、いい子にしろ。ラウ。さっさと行け。どうやらお前の母艦が見つかったらしい。こちらにパトロールが向かっているそうだ』
「わかった。では、確かに預かったぞ」
フラガの言葉にクルーゼはコクピットを閉じた。そして、そのままジンを発進させる。もっとも、まっすぐに母艦へと向かったわけではない。フラガが寄越したデーターの通りレーダー網の死角を移動しながら、別方向へと向かった。万が一の事態を考えての行動なのは言うまでもないであろう。
「……ムウ兄さん……」
遠ざかっていくMAを見ながら、少年が小さく呟くのが耳に届く。
「……キラ、くんだったね。ムウからは私のことを何か聞いているのか?」
どう接すればいいのかと悩みつつ、クルーゼはそう問いかける。だが、キラは首を左右に振ることで何も聞いていないと答えた。
「いきなり連れ出されて……着いたらそのまま宇宙服に押し込まれましたから」
「そうか」
予想通りかなり切迫した状況だったのだろうと、クルーゼは判断をする。同時に、膝の上にいるキラの反応に満足を覚えていた。彼はコクピットの中を興味深げに見回したものの、決して手を出したり余計な質問をしようとはしない。おそらく、フラガに言われていたのだろうが、それでもこの年齢でそれだけ自制できるとはかなりのものだ、と思う。
ジンを操りながら、クルーゼはバイザーの中の顔を盗み見る。少女のようにも見える顔が、必死に自分の感情を抑えようとしているのがその表情からもわかった。
「……ムウもずいぶん好かれたものだ……」
「兄さんは……僕を助けてくれたから……」
その言葉の裏にかくされているものまではクルーゼにもわからない。だが、フラガと同じかそれ以上に目の前の少年が彼のことを思っていることだけは伝わってきた。
「いったいどこで知り合ったのか、話を聞きたいところだが……申し訳ない。その余裕はなさそうだ」
しかし、状況がそれを許してくれない。
ジンのOSがいきなりフリーズしたのである。このままでは間違いなく連邦軍のパトロール艇に見つかってしまうであろう。クルーゼは慌ててシステム画面を呼び出す。だが、何が原因なのかとっさに見つけることができなかった。
「……僕、直せると思いますけど……」
クルーゼの耳に、キラのおずおずとした声が届く。
「本当かね?」
口ではそう言いつつも、クルーゼはキラの言葉を信じてはいない。子供によく見られる、見ているうちにできる気になった状況だと思ったのだ。だが、キラが作業をしているうちに何が原因なのかわかるかもしれないとも思う。
「……たぶん……」
「なら、やってみてごらん?」
万が一の時にはバックアップもある。最悪の場合はそちらを使えばいいか、というつもりでクルーゼはキラに任せることにした。
だが、キラがOSに何行か書き加えたところで、ジンは命を吹き返す。
「これで……大丈夫だと思うのですけど……」
驚きを隠せないクルーゼに、キラははにかんだような微笑みを向けた。
「そのようだな」
いい子だ、と彼の頭を撫でてやりながらも、クルーゼは脳裏であれこれ考える。おそらくフラガはキラの身の危険を察しただけではなく、この才能を連邦軍に本人の意思を無視して無理矢理利用されることを恐れたのではないか。
もっとも、それも無理はないと思う。
ザフトの開発局にもこれだけの才能を持った者はいないであろう。
おもしろい子供を預けてくれたものだ、と心の中で付け加えながら、クルーゼは彼を自分の手元に置くことを決める。そして、いつかフラガ自身も、と。自分一人では無理だが、この子供の協力を得られれば可能かもしれない。
だが、それも無事に母艦に辿り着いてからのこと。
クルーゼはジンを再び発進させた。
「……でも、それでよく……」
クルーゼの話を聞いていたアスランが思わずこう呟く。その後に続くべき言葉は彼の口からはこぼれ落ちなかったが、キラの存在を不審がられなかったものだと言いたいのであろうことはクルーゼにも伝わったらしい。
「ナチュラルが、コーディネーターの子供を宇宙服を身につけさせただけで船から放り出したのを偶然発見した……と言ったのだよ。あの子もこの嘘に付き合ってくれたし、それ以上にあの子の怯え方が真実みを帯びていた……と言うべきなのだろうな」
そのせいで、キラの存在は軍人達に同情と共に受け入れられた。もちろん、プラントでもだ。クルーゼに懐いていたと言うことから彼が引き取ると言うことにも異論は出なかったのだろう。相手の言葉だけではないだろうが、と思うが、それを問いかける必要はないとアスランは判断をする。
「……これで満足したかね?」
「はい。お手数をおかけして申し訳ありませんでした」
それ以上に、そろそろ戻らなければ、キラが不審に思うだろう。他の三人は間違いなくチェックが終わったところで部屋に押しかけている。いくら今までアスランがチェックに関わってこなかったからとは言え、あまりに遅れれば何かあったと考えられて当然だ。だから、今聞いた言葉だけで満足することにする。
「いやいい。ただ、このことは他の者には告げぬように」
キラの立場が微妙な以上、作戦が終わるまで連邦軍のパイロットに知人がいるなど知られない方がいいというのは無理もないセリフだ。これが作戦終了後であれば、偶然とも言い切れるだろう、とアスランも納得した。
「わかりました。私の胸にだけ納めておきます」
ただ、相手を連れてきたときにはフォローできるようにしておこうと心の中で付け加えると、アスランは腰を上げる。
そして、クルーゼへと敬礼をすると部屋を後にした。
アスランのその背をクルーゼが満足そうな微笑みと共に見送っている。そのことにアスランは気がつかなかった。