この手につかみたいもの
57
「ど、どういう事だ!」
老人――連邦評議会議員・ブラウが状況が飲み込めないというように叫ぶ。それを『キラ』はあきれたような視線で見つめていた。
「だからお聞きしたでしょう? 『ボク』の認証コードでかまわないのかと」
くくっと笑い声を漏らしながら『キラ』は説明の言葉を口にする。
「最初からそのようにプログラムされていたんだよ。キラではなくボクがこれを起動したとき、全てのデーターを破棄するように……そして、戦時中にここに来たときには、必ずボクが表に出ているようにね、と」
ボク達を生み出した人の最後の良心だったというわけ。
こう言いながら、『キラ』は周囲に視線を流す。案の定、アスラン達が信じられないという表情を作っている。この事実を知った彼らがキラをどう思うか、不安にならないわけではない。だが、ここまで来た以上、隠しておくわけにもいかないというのは事実だった。
「……お前は……誰、だ?」
ようやくブラウがそれだけをのどから絞り出す。
「本当にわかっていないわけ? ちゃんと認証コードを提示しただろう、ボクは」
それとも、それがわからないほど惚けたのかと『キラ』は笑った。その表情はキラのものとはまったく違う。自分とキラの違いを明確にしておけば、彼の友人達の認識が違うだろうと判断しての行動だ。
「……そんなはずはない……お前の本体はここにはない……」
お前は『キラ・ヤマト』のはずだ……と付け加える彼は、どうやら現状を認識したくないらしい、と『キラ』は判断をする。
もっとも、それは周囲の者たちも同じらしい。ただ一人、パトリック・ザラだけは違っていたが……
「……お前らがキラの脳にボクとシンクロをするためのバイオチップを埋め込んだんだろうが。それが予想以上に動作しているだけのことだ」
彼らのそれ以上にな、と付け加える『キラ』の脳裏に浮かんだのは、ここにいる者たちもよく知っているはずの顔だった。
「少なくとも月の蝕に入らなければ、十分、シンクロできるな」
そのための経路は十分に整備されている。シンクロできなかったのは、アークエンジェルがデブリにたときだけだ、と心の中で呟く。
「……まさか……キラの戦い方が変わったのは……」
アスランが震える声で言葉を吐き出した。どうやら、彼は今目の前にいる『キラ』とキラが別人だと認識したらしい。
「ボクが表に出ていたときだな。この子を殺すわけにはいかなかったからね」
そして、これ以上キラの心を傷つけないためにも……と付け加える。
「……お前に、お前にそんな思考があるわけがない! お前の存在は我々が……」
「プログラミングしたものだ、と言いたいわけ? 残念ながら、ボクのシステムの中心にあるのはあなた方の脳と同じものだ。思考だって出来る。それをボクはキラから学んだからね」
そう、誰かを好きになることも、憎むことも、喜びや悲しみも全てキラのそれから学んだ。
そして、それは彼の認識を広げるのに十分なものだった。
自分たちの存在が間違っていると判断できる程度には。
だから、彼は全てを終わらせることにしたのだ。
と言っても、これほど急に事を進めるつもりはなかった。もっとゆっくり、キラに負担をかけない方法で終焉を迎える計画を立てていた。それを打ち壊したのは、プラントと地球の戦争だったと言っていい。
逆に言えば、彼ら――と言うよりは彼の方か。もう一人の方はあれだけ側にいたのに『キラ』の存在に気づかなかった――と出会えたと言うことは幸いだったのだが。
「……作られたものにだって、心は宿るんだよ!」
きっぱりと言い切る『キラ』に、パトリックがうっすらと微笑みを浮かべる。もっとも、それは『キラ』以外気づかなかっただろうが。
「ナチュラルはもちろん、コーディネーターだって、お前達の道具じゃない。お前達の存在を排除するためなら、ボク達は何でもするさ」
自分たちの存在を無にしてもね、と『キラ』は笑う。
「……これ以上、何かをする気なのか!」
怒りに震える声でブラウが叫ぶ。
「これ以上じゃない。全ては開始されたのさ」
ここのデーターが消去されたのを合図にして……と彼は付け加えた。
「……まさか……」
「そう。ボク達は自分たちの存在を無にすることを選択していた。それが遅いか早いかの違いはあったが、全て計画通りだというだけだ」
前世紀の遺物など、これからの未来には必要ない。
この『キラ』の言葉にアスラン達が驚いたように視線を向けてきた。だが、ブロウには気に入らなかったらしい。
「そのような戯言、認められるか!」
言葉とともにブロウは手を挙げる。
「例えどれだけ貴重な存在だろうと、私に逆らうのなら必要ない!」
男達が『キラ』へと銃口を向けた。
「やめろ!」
反射的にアスランがキラへと駆け寄る。そして、その体をかばうように抱きしめた。
それとほぼ同時に周囲に銃声が鳴り響く。
「キラ!」
カガリ達の悲鳴がその後に続いた……
キラをかばうことによって訪れるはずだった痛みを感じない。それどころか、自分の体は何か温かいものに包み込まれている。
「……パトリック……」
耳に呆然とした『キラ』の声が届く。
その言葉がアスランはすぐに理解できなかった。
「ザラ様!」
次にアスランの耳に届いたのはラクスの悲鳴。
彼女が口にした言葉に、アスランは慌てて振り返る。
「……父上……」
自分たちをかばうようにして銃弾をその身で受け止めていたのは、パトリック・ザラだった。
「どうして……」
信じられないと『キラ』が呟く。
「……作られたものの最後の意地だよ……君たちは……我々の未来に必要な存在だ……」
死なせるわけにはいかない、と言う父親に、アスランは言うべき言葉を見つけられない。
「……馬鹿だね、君は……」
ため息とともに『キラ』が吐き出す。どうやら、彼と知り合いらしいパトリックは口元をゆがめて見せた。
「……生涯に一度ぐらい、馬鹿になっても良かろう……」
言葉を口にしたかと思った次の瞬間、パトリックは咳き込む。同時に彼の口から血があふれ出す。どうやら、弾丸が彼のはいを傷つけているらしい。
「父上!」
崩れ落ちそうになる彼をアスランは支えようとする。しかし、その体重を受けた瞬間、腕の傷が痛む。そのせいで支えきれなかった彼に気づいて『キラ』が慌てて手を差し出してきた。
「……馬鹿な男だな……そのまま見過ごしておれば、プラントの覇権ぐらいくれてやったものを」
ブラウがあきれたような口調で吐き捨てる。
「それほど息子達と一緒に死にたいのであれば、希望通りにしてやろう」
せめてもの慈悲としてな。せせら笑いながらそう付け加え、ブラウが他の者たちにさらなる射撃を命じようとした、まさにその時だった。
上方から続けざまに銃声がとどろく。
それに呼応するかのように、ブラウの周囲にいた男達が倒れていった。
何事かと視線を向ければ、見慣れたパイロットスーツを身につけた者たちの姿が目に入る。
「クルーゼ隊長!」
「フラガ少佐!」
ラクスやトール達の歓喜に満ちた声がアスラン達の耳に届く。
だが、アスランは声を出すことすら出来ない。
パトリックの怪我を調べていた『キラ』が小さく首を横に振るのが視界に映っている。
その意味を理解したくなくて、アスランは唇を咬んだ。
「……お前達は……」
アスラン達をかばうように、クルーゼとフラガが手すりを乗り越えて飛び降りてくる。しかも、クルーゼは今まで外したことがない仮面を取り去り、その素顔をさらしていた。
「残念ながら、あんたらによって好き勝手された身でもな、一応、感情というものがあるんだよな」
「もう二度と、私たちのような存在をこの世界に生み出さないために、我々は袂を分かったというわけだ」
そして、彼も……とクルーゼが付け加えた相手が誰なのか、その名前を口にしなくてもその場にいた誰もが理解をする。
同時に、彼らがそれほどまでに確固とした意志を持って自分たちを『敵』という立場においていたのか、と。
クルーゼとフラガ。
微妙な差違があるとは言え、彼らの顔はうり二つだったと言っていい。つまり、彼らの間には血縁関係があるということなのだろう、とアスランはぼんやりと思った。
そして、今まさに死に逝こうとしている『父』もまた、自分の新年のために行動していたのだと。
「……認めん……認められるものか……」
ただ一人残されたブラウが、見苦しいまでに現実を否定しようとしている。
「認めたくなくても、これが現実だ」
『キラ』がきっぱりと言い切った。
「……全てはお前が……」
その瞬間、ブラウの濁った瞳が『キラ』を見据える。
「お前が裏切らなければ……」
言葉とともに震える手が拳銃を取り出す。そして、キラの心臓へと銃口を向けた。
「キラ!」
しかし『キラ』は少しも逃げだそうとはしない。パトリックの体を支えたまま、真っ直ぐにブロウを見つめている。
一体どうして……とアスランが思ったときだ。
ぐったりとしていたはずのパトリックが、それまでとはうってかわった早さで体を翻す。
彼の手に握られていたのは、キラが身につけていたはずの拳銃。
その銃口から放たれた弾丸は、ブロウの額を撃ち抜いていた。
「父上!」
アスランの目の前で完全に力を失った……というようにパトリックの体が崩れ落ちていく。
「……ザラ委員長閣下?」
その姿をクルーゼが呆然と見つめている。
「すまんな……君に討たれてやることが出来なくて」
かすかな息とともに吐き出された言葉。その意味をアスランもクルーゼも理解できないと言うような表情を浮かべていた。いや、他の者たちも同様だと言っていい。
「……本当に馬鹿だね、君は……まだまだ、導くものが必要だろうに……」
ボク達と違って、君は『肉体』を持っているのだから……と言いながら『キラ』が彼の体を抱え起こす。
「道連れがボクなのは妥協して貰うよ。さすがに、これ以上はキラが保たない」
既に自分では閉じることが出来なくなったパトリックのまぶたを、その細い指がそうっと閉じてやる。そのまま、キラもまたゆっくりと自分の瞳を閉じた……
「ち、ちうえ……キラ!」
アスランの唇から悲鳴のような叫びが飛び出す。
そんな彼の前で、二人の体が倒れ込んだ……