この手につかみたいもの

BACK | NEXT | TOP

  55  



 アスランの唇が信じられないと言うように自分の背後にいるものに呼びかけている。それも無理はないだろうとラクスは思う。自分自身でさえ、未だにこの状況が信じられないのだ。
「残念だが、間違いなく君の父上だよ、アスラン・ザラ君」
 だが、それ以上にこの老人の声がいやだ、とラクスは心の中で呟く。
 それは、男の声の中に少しも抑揚がないからだ、と、ラクスは判断していた。
 普通の人間であれば話すときにはわずかでも抑揚が生じる。歌を忘れたと言っていたキラだが、彼の言葉には無意識のものらしいリズムが存在していた。そして、それはラクスの中で歌となって響く。だから、彼の歌を聴きたいのだ、と彼女は思っているのだ。
 だが、それを持たない老人の声は、彼女にはノイズと同じレベルでしかない。
「彼は最初から我々の……私の願い通りに動いてくれていた、と言うわけだ」
 そう言う男の声に、ラクスは思わず眉をひそめる。その表情のままキラ達へと視線を向ければ、二人とも顔から血の気が失せていた。
「アスラン! キラ様!」
 咄嗟にラクスは二人の名を呼ぶ。
「ラクス! 大丈夫だね?」
 それに反応を返してきたのはキラだった。
「ミリィも、何もされてないよね?」
 キラの問いかけに、ミリアリアが頷く。同時に、彼の声でアスランの意識が現実に戻ってきたのがラクスにもわかった。
「大丈夫ですわ、キラ様」
 ラクスも二人を安心させようと声をかける。それだけで、キラの表情にかすかに安堵が浮かぶのがわかった。
「それで……俺たちを呼び出した理由は!」
 アスランが何とか冷静さを取り戻してこう口にする。
「さて……何と言えばいいかな……」
 そんなアスランの精神を逆撫でするかのように、老人は言葉を口にする。アスランはそれに逆上しかけて……だが、そんな彼をなだめるかのようにキラがアスランの肩に手を置いた。それだけでアスランは落ち着きを取り戻す。
「……説明する気は、ない……と?」
 そんなアスランを確認してから、キラが言葉を口にする。
 彼の唇から飛び出した声に、ラクスはかすかに目を見開く。彼の声の中に含まれているリズムが、微妙に自分の記憶の中にある『キラ』のものと異なっていたのだ。だが、逆に些細すぎて、あるいは現状に錯乱しかけているのを堪えているようにも思える。
「そうは言っておらん。少なくとも、君に対してはきちんと話をさせて貰うよ。彼は別だがな」
 そう言う老人の言葉に、アスランに対するさげすみを感じ取ったのだろう。キラはにらむような視線を老人に向けている。その視線の鋭さに、ラクスだけではなくミリアリアも驚いたように息を飲む。
「わざわざ一緒に呼び出しておいて、そんなことを言うわけですか?」
 キラは間違いなく自分たちの表情に気づいているはず。だが、それ以上にアスランを馬鹿にされたという怒りの方が強いのだろうか。キラは老人に向ける言葉の刺を消そうとしない。
「……キラ……いいから」
 先にキラが切れてしまったせいだろう。自分のことだというのにアスランは辛うじて冷静さを保っているようだ。
「そう言うけど……あの人、アスランだけじゃない。コーディネーター全員を馬鹿にしているんだよ」
 わかっている? とキラは彼に告げている。その瞬間、ラクスにもどうして彼が怒っているのかわかってしまった。
「……キラ様……」
 彼のそんな優しさが自分を追いつめているとわかっているのだろうか、とラクスは思わずにはいられない。
 そんな彼らを少しでも自由にするためには、自分たちがここにいてはいけない。
 出来れば、彼らの側に行ってその心を和らげてやりたい。
 ラクスはそう思う。
 だが、ミリアリアはどう思っているだろう……とラクスは彼女の顔を盗み見る。どうやら、彼女も同じ思いであるらしい。
 自分たちがいる場所から下まではおよそ5メートル。
 彼女を抱えて飛び降りることが出来るだろうか……とラクスは自問自答をした。だが、悩んでいる暇はない。
「ミリアリアさん!」
 言葉とともにラクスは近くにいた男を振りきる。
 同時にミリアリアもまた肩に置かれた手を振り切って自分の方へと寄ってくる。
「ラクス!」
「ミリアリア!」
 その瞬間、階下から二人の名を呼ぶ声が周囲に響き渡った。

 二人の華奢な体が手すりを乗り越えた。
 それを認識した瞬間、アスランは咄嗟に落下地点を推測する。同時に彼はその場所へ向けてかけだしていた。もちろん、隣にいたキラも同じだった。
 いくらコーディネーターとは言え、ナチュラルの女の子を抱えてそんなことをすれば怪我をしないわけがない。
 しかも、ラクスのことだ。彼女に怪我をさせないようにするに決まっている。
 おそらく、彼女がキラがラクスを逃がしてくれたときに手助けしてくれたという女の子なのだろうとアスランはラクスの態度から推測をしていたのだ。
 差し伸べた両腕に衝撃が走る。
 次の瞬間、ぬくもりと体重がそこにかかってきた。
「……よかった……」
 キラがほっとしたようにため息をつく。
「本当に貴方は……」
 無茶をする……と腕の中のラクスにアスランが告げれば、
「皆様のおそばにいた方がよいかと思ったのですわ」
「キラの顔を見たら、側に行きたくなったのよ」
 女の子二人はこう言い返してくる。
「だからといって、こんな無茶をするなんて……」
 キラが吐息とともに言葉を口にしたときだった。周囲に銃声が響き渡る。同時に、アスランは腕に何かで殴られたかのような衝撃を感じた。
 次に襲ってきたのは、焼け付くような痛み。
「アスラン!」
 キラの叫びがアスランの耳に届く。同時に、ラクスの手が心配そうにアスランの左腕へと触れてくる。
「……何を!」
 キラが上にいる連中に怒りがこもった視線を向けていた。
「お嬢さん方がこれ以上おいたをしないようにね。さすがに女性の肌に傷を付けるのは気が引ける。かといって、ナチュラルの彼では怪我の完治まで時間がかかるだろう? 消去法で、彼に責任を取って貰うことにしたのだよ」
 彼ならすぐに治るだろうしね……と告げられて、さすがのアスランも唖然としてしまう。確かにそうなのかもしれないが、今、自分自身が感じている痛みがなくなるわけではないのだ。
「……勝手な……」
 痛みに顔をしかめているアスランをかばうような位置に移動をしながらキラが呟く。アスランの背後で彼の体を支えているのはトールだ。ラクスとミリアリアは、アスランが持っていた緊急キットを使って怪我の治療を行っている。
「コーディネーターは我らが作り出したものだ。我らがどうしようとかまうまい」
 ジョージ・グレンを始めとしてな、と口にした老人へ向けるキラの視線がさらに険しいものになっていった。
「……キラ……」
 痛みに目を眇めながら、アスランは彼に声をかける。
「落ち着け、キラ……冷静さを失ったら負けだぞ」
 カガリがアスランを代弁するように言葉を口にした。同時に、彼が先走らないようにとその体を背後から抱き留めている。
「……わかっているけど……」
 悔しいのだ……とキラは口にした。
「コーディネーターをこの世に生み出したのはあの人達なのだとしても、アスランや他の人が僕に向けてくれる感情まで作ったわけじゃない! みんな、今、生きているのに!」
 その思いは間違いなくキラの本心から出たものだろう。彼がそう思ってくれていることがアスランには嬉しい。同時に、父親であるパトリックがかすかに表情を変えたのがわかった。
「……そう思うのであれば、我々に協力をして貰おうか」
 キラの言質を取ったというように、老人がほくそ笑む。
「……僕に出来る事なんて……他のコーディネーターでも出来ますよ」
 敵意を隠すことなく、キラが言い返す。
「君だけしかできないことがあるのだよ」
 老人が意味ありげに口元をゆがめた。
「本当なら、ずっと我らの元で育って貰う予定だったのだがね、君には」
 選ばれた人間としてね……と言う老人の言葉に、カガリの肩が揺れる。
「それは……幸運でしたね。あなた方に育てられなかった自分が」
 それに気がついたのか。キラはさらに言葉に棘を含ませながらこう言い返す。
「ぼくは特別な存在なんかになりたくない。みんなと一緒に平和に暮らしていけたらそれで良かったんだ」
「……君がどう思おうとかまわないがね……協力してくれるのかな?」
 キラの言葉にため息をつくと老人はこう問いかけてくる。
「それとも、もう一人ぐらい傷を負って貰った方がいいのか」
 こう付け加えられた言葉に、老人がキラの言葉に憤慨していたと言うことがわかった。キラ自身、悔しそうに唇を咬んでいる。
「……何をしろ、とおっしゃるんです?」
 そして、吐き出すように言葉を口にした。
 どうやらキラは、クルーゼ達が助けに来ることを信じて、時間を稼ぐことにしたらしいとアスランは推測をする。それは自分が怪我を負ったからだと言うことも。
 キラを守るために着いてきたのに、逆に守られていては意味がないのでは……とアスランは唇を咬んだ。
「アスラン……動けます? キラ様から離れない方がいいと思うのですけど、私たち」
「そうですね。万が一、逃げるチャンスがないわけでもないでしょうし……」
 それよりも、これ以上キラに負担をかけるような真似はしたくない。幸い、以後貸せば傷が痛むものの我慢できないほどではないとアスランは心の中で呟く。
「簡単なことだよ。そのコンピューターを起動して欲しい。それを作った男は、起動のためのパスワードとして君の生体データーを組み込んだ。つまり、実質的に君以外起動することが不可能なのだ」
 それがなければ、既に世界は自分たちの思うがままだったのに……と老人は口にする。キラを巻き込んだ制作者には恨みすら感じるが、同時にあの老人達が世界を手にしていなくて本当によかったとアスランは思う。
「……起動だけすればいいのですね? 後のことは責任もてませんよ、ぼくは」
 そんな彼の耳に、キラの意味ありげなセリフが届く。
「……キラ?」
 その言葉の意味を問いかけようか、と思ってアスランはやめる。それ以上に今は重要なことがあるのだ。
「かまわないよ。起動さえしてもらえれば」
 キラの言葉の裏に隠されているものに気がつかないらしい老人は言葉とともに満足そうな笑みを浮かべている。
 キラが何を考えているかわからないが、少なくともクルーゼ達が来るまで時間を引き延ばしてくれることをアスランは祈ることにした。


BACK | NEXT | TOP


最遊釈厄伝