この手につかみたいもの
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『アスラン……こちらに来て頂けますか?』
アークエンジェルの通信機能が回復したのだろう。ニコルからの通信を受けて、アスランは眉をひそめる。
「何かあったのか?」
普段のニコルならもっとはっきりと理由を告げてるだろう。あるいは自分一人で判断をしようとするのではないか。
その彼がこう言ってくるとは、キラに何かあったのかもしれない……とアスランは思う。
『現在は艦内に敵はいないようですが……こちらでトラブルがあったようです。その内容にキラさんがショックを受けそうなので……』
一応、念のために……とニコルが口にする。
「隊長は?」
『ご存じです……というか、キラさんが席を話している間にあの人が連絡を入れていました。それで、アスランを同席させるようにと言う指示が』
他の二人には帰投の指示が出た……とニコルは補足をした。
「わかった」
クルーゼがそう判断したのであれば自分としては異論を挟むつもりはない。というより、願ったりかなったりだと言えるだろう。
『では、お待ちしています』
ニコルからの通信がキレルと同時に、アスランはアークエンジェルへ向けてイージスを移動させていく。それとは逆に、イザーク達はヴェサリウス方面へとそれぞれの機体を発進させていった。
モニターでそれを確認しながら、アスランは自分を出迎えるために開かれていくハッチの中へとイージスを滑り込ませる。そのまま、指示に従ってデッキの中へとイージスを固定させた。
「アスラン、こちらだ!」
コクピットから姿を見せれば、即座にカガリの声が飛んでくる。どうやら、彼女は自分が来ると知ってここで待っていてくれたらしい。
「すまない」
彼女の前へと移動をすると、ヘルメットを取りながらこういった。
「いや、いい……かなり厄介な事態になっているらしいからな。私たちだけよりもお前がいてくれた方がいいだろう」
間違いなく、キラが倒れるから……と付け加えられたカガリのセリフに、アスランは目を見開く。だが、その表情は次の瞬間にはいつものものへと戻っていた。
「確かに隊長が俺にキラの側にいろとおっしゃるわけだ」
かなり厄介な事態が起こっているらしいとアスランはため息をつく。
「で? キラは?」
「今、機関室の方へ行っている。そちらが終わり次第ブリッジに上がってくるはずだが……どちらに行く?」
まっすぐにブリッジに向かうか、それともキラの所へ行くか。カガリの問いかけに、アスランは一瞬考え込む。
すぐにでもキラの所へ行きたい……というのは本音だ。
だが、それではいったい何が起こったのかわからないままだろう。
「ブリッジに行こう。キラは一人ではないのだろう?」
「あぁ。この船のクルーが着いている。あいつはキラに悪感情を抱いていないから大丈夫だと思うが」
その言葉を信用するしかないな……とアスランは心の中で付け加える。
「しかし、まっすぐにキラの所へ行くかと思っていたが」
「状況がわからないと動きようがないだろう」
自分がおたおたしてはキラのフォローが出来ない、とアスランは言い切った。
「わかった……それなら納得だ」
自分がアスランでも同じ行動を取っただろうとカガリは頷く。
だが、彼女の表情がすぐにこわばったのを見てアスランは目を眇める。どうやら、本気で何かまずい事態が起こっているらしい。それも、キラにとっては倒れるかもしれないほどの衝撃を与えるような……それが何か、と考えてすぐにアスランは答えを導き出す。
「……キラの『友人』とやらに何かあった……と言うところか」
小さく呟いたつもりだったが、カガリにはしっかりと届いてしまったらしい。その細い肩が小さく揺れる。
「あたり……か」
それならば、確かに自分がキラの側にいた方がいいだろう、とアスランは思う。
確かにここはキラが過ごしていた場所で、彼がここのクルーを仲間だと思っていることは知っている。
だが、そんなキラの『心』まで彼らが支えきれるかというとかなり疑問だ。
正確に言えば、カガリともう一人は大丈夫だろう。だが、そのもう一人にその役目を渡したくないと思っている自分がいることも事実だ、とアスランは心の中で付け加える。
「他にもちょっといろいろあったからな」
本当にあいつは……とカガリがため息をつく。それがキラを指しての言葉でないことはわかる。
「……キラが壊れなければいいんだがな……」
アスランもため息とともに言葉を吐き出した。
「アスラン?」
ブリッジに戻ってきた瞬間視界に飛び込んできた彼の姿に、いったい何故ここに彼がいるのか……とキラは目を丸くする。
「これからの事を話し合わなければならないだろう?」
そんなキラにアスランは優しく微笑んで見せた。
「……でも……」
アスランとニコルだけで決めてしまっていいのだろうか……とキラは小首をかしげる。
「大丈夫。ちゃんと回線をつないで貰うから。あちらでは隊長達が待っているし」
そう言いながら、アスランはキラに歩み寄ってきた。そして、まだ紅くなっているその頬を掌で包む。
「で? これはどうしたわけ?」
紅くなっているよ、と告げられて、キラは困ったように目を伏せる。アスランにフレイのことを知られてはいけないと思ったのだ。ノイマンに自分が離れてからのことを聞いてからは余計にそう思う。
「……何でもないよ」
無理矢理頬に笑みを浮かべるとアスランの顔を見つめる。
「それよりも……トールとミリーの姿が見えないようなんですけど……何かあったのですか?」
そして、話題を変えるかのようにラミアス達に問いかけた。その瞬間、アークエンジェルのクルーだけではなくアスラン達まで不自然に視線をそらした。
「何か、あったのですね、二人に」
問いかけではなく確認の言葉をキラは口にする。
「……彼らは……侵入者によって連れ去られてしまった……」
すまない……とバジルールが視線を落とした。
「……な、んで……」
わざわざ二人を選んで連れて行ったのか。キラはそう思う。
「まるで……こっちの人間関係を調べ上げていたみたいだな……」
ぼそっとフラガが呟く。
「少佐?」
「坊主にとって、一番影響力があるのか……と考えれば、あの二人じゃないか?」
他の連中と違って、あの二人はどのようなときでもキラの側に立って物事を考えていただろう、とフラガは問いかけるように口にした。
そんなことはない、とキラは言いかけてやめる。
サイやカズイ――それにフレイ――とは、確かに一時的な感情のぶつけ合いや価値観の相違があった。いや、トールやミリアリアだってそうだったかもしれない。だが、彼らはキラだけが実際の戦場にいるという事実をよくわかってくれていた。だから、キラの負担を少しでも和らげようと心を砕いてくれたこともまた事実だ。
もし、彼らと残りの三人、どちらかを先に助けなければならない状況に陥ったら、自分は彼らを選ぶかもしれない……と思ったところで、キラは自分の考えに驚愕を覚えてしまう。
「……そんな……」
音を立てて血の気が引いていくのをキラは感じていた。
「キラ?」
慌てたようにアスランの腕がキラの体を支えてくる。それを感じながらも、キラは彼に視線を向けることが出来なかった。
「どうして……気づかなかったなんて……」
彼らを連れ去った船がアークエンジェルから離れていくのに……とキラは付け加える。
「……ミラージュコロイドと同じシステムを搭載していたとか、ジャマーを使っていたとか、いくらでも考えられるよ、キラ。第一、キラは完全にヴェサリウスの外で起きていることから切り離されていたんだ。気づかなかったとしても当然だ」
だから、そんなに自分を責めるな……とアスランが囁いてきた。しかし、キラはそれを認識できない。
「……僕、のせい?」
自分と関わったから、彼らは拉致されたのだろうか。
いや、そもそも自分のせいでみんなが戦場に身を置くことになったのだ……とキラは自分を責める方へと考えを追い込んでいく。
その理由は何なのか……と考えて、キラはある結論に達した。
「……アスラン……」
そして、その事実について知っているであろう人物の名を口にする。
「何、キラ?」
キラがどうして自分の名を口にしたのか、その理由を予想しているのだろうか。それとも、単にキラの様子が不安なだけなのか。アスランが堅い声音で聞き返してくる。
「……ネイティブコーディネーターの意味を知っているだろう。教えて!」
それが自分を取り巻いている事態の根本的な原因なのだ、とキラは全身で叫ぶ。その声に、アスランだけではなく、ニコルやフラガ、そしてカガリが何かを確認するかのように視線を交わしていた……
ここでキラの精神に負担をかけても真実を話すか、それとも最後まで隠し通すか。
どちらを選ぶか、アスランは悩む。
「……知って、どうするの?」
「だって……それが全部の原因なんでしょう? アスラン達が僕を拉致したのも、あいつらがミリー達を連れ去ったのも、全部!」
違うのか、といいながら振り返ったキラの瞳は、興奮のためか潤んでいる。その瞳に自分が弱いと言うことをアスランは自覚していた。
「キラが……傷つくかもしれないよ?」
それでも、キラが事実を知ってどうなるかが怖い。特に、今は友人達のことでかなり精神状態が良くないのだ。
「僕のことなんてどうでもいいんだ! 知っているなら教えて!」
教えて貰うまでは引き下がらない、とキラの視線が告げている。それにアスランは困ったというように視線をさまよわせた。
「教えてやってくれないか? 坊主が納得できないだろうし……連中から聞かされるよりは『親友』のお前から聞いた方がまだましだろう」
そんな彼らに助け船を出すかのようにフラガが声をかけてくる。
「……ですが……」
あるいは、フラガはクルーゼから何かを聞かされているのかもしれない。彼の態度からアスランはそう判断をした。しかし、それが本当にキラのためなのか、と思うと不安がぬぐえない。
「アスラン!」
キラがまっすぐにアスランの瞳を覗き込んでくる。その奧に隠れている光を見つけて、アスランは小さくため息をついた。
「……キラはコーディネーターだけど……同時に、ナチュラルでもあるって事だよ……」
そして、吐息とともにこう告げる。
「……どういう……」
意味がわからないとキラが聞き返してきた。それは、アークエンジェルのクルー達も同じだった。
「キラのご両親が……コーディネイトをした記録はどこにもない……でも、キラはコーディネーターだろう? つまり、そう言うことだ」
ぐらりっとキラの体が揺れる。
「キラさん!」
顔が紙のように白い。
それだけ衝撃が強かったのだろうとアスランは眉を寄せる。だから、教えたくなかったのだと。それでも彼の腕はしっかりとキラの体を支えていた。
「……つまり……キラ君はコーディネーターと同等の能力を与えられたナチュラルだと言うこと?」
「そう言うことなんだろうな」
ラミアスとフラガが確認をするように会話を交わしている。それはさほど大きくない声なのに、ブリッジ内に響き渡ったのは、それだけ衝撃的な内容だと言うことだろう。
「……僕……」
「キラ……君はね、人類の進化の証なんだよ……だから、自分を否定するんじゃない」
キラの心がまずい方向へ進む前に、アスランが制止をする。
「そうですよ、キラさん。キラさんがいるから、僕たちにも未来があると信じられるのですから」
だから、自分自身を持ってください、とニコルも声をかけてきた。
「……キラ……お前の存在が、あるいはナチュラルとコーディネーターの間の溝を埋めるかもしれないんだぞ」
コーディネーターが決して人工的に作られた存在ではなく、人類が行き着くべき進化の形の一つだとするなら、ナチュラルの間にもそんな存在が増えていくかもしれない。自分の子孫がそうなるかもしれないのであれば、ナチュラル達の気持ちも変わっていくのではないか……とカガリがキラに囁く。
「……でも……今は、そのせいで……」
二人が……とキラは感情がこもらない声で口にした。あまりのことに彼は自分が置かれている状況に着いていけないらしい。
「心配いらない。キラが望むなら、僕が彼らを助けに行くから……」
どんなときでも、自分はキラの味方だ……とアスランは繰り返し囁く。それがキラの心に届いてくれることをアスランは期待していた。
「ともかく……キラ君の無事を確認できた以上、拉致された二人を救い出すのが私たちのすべき事だわ」
ラミアスが最終的な結論を出すように言葉を口にする。
「そのためなら、例え後でどのようなことが待っていようとかまいません。彼らに協力を求めます」
そんなラミアスの言葉にもキラは反応を見せることはない。そのキラを、アスランはただ抱きしめていた。
ようやくキラの体に熱が戻ってくる。
まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、アークエンジェル、そしてヴェサリウスに通信が入った。
それは、全ての元凶からのものだった……