この手につかみたいもの

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  45  



 キラの瞳には自分に対する信頼感が見える。
 だから、それでがまんしなければならないのだと言うこともアスランにはわかっていた。
 それでも、おもしろくないと言うのは本音だった。
 しかし、それをキラに気取られてしまったのは間違いなく自分の失態だとアスランは思う。
「……キラ、必要なものはあるのか?」
 自分の斜め後ろを着いてくるキラに問いかければ、彼は小さく首を振った。
「今のところは特に……とりあえず必要だと思うツールはもう組んであるし……」
「なら大丈夫か」
 微笑みを向けながら、アスランは先ほどのキラのセリフについて考えていた。
 彼がいたから正気を保っていられた……というキラの言葉。
 それが、キラがどれだけ追いつめられていたかをアスランに改めて教えた。そして、その理由の一つに自分と敵対していたと言うことがあるだろう。
 不安定になったキラを支えるための手段としての行為であったのなら、彼が最後まで事を進めなかったことも理解できる。もちろん、それだけで終わらせるつもりだったのかどうかまではわからないが。
 ならば、フラガに対するあれこれはキラのために忘れてやることにしよう、とアスランは心の中で呟いた。
「だけど、無理だけはしちゃ駄目だよ」
 自分が側に着いている限り、そんなことをさせるつもりはないけど、と付け加えるアスランに、キラは困ったような表情を浮かべる。
「……いつだって、無理をしているつもりはないんだけど……」
「しちゃうんだよね、キラは」
 自分で認識していないからまた問題なのだ、アスランは付け加えた。
「全部一人で抱え込んじゃおうとするし、無理をしている自覚もない。本当、目が離せないよ」
 心配で、と苦笑を浮かべれば、キラは困ったように視線を伏せる。
「もっとも、他の誰にももうキラを任せる気はないけどね」
 キラは僕のものだから……と囁けば、キラはますます困惑を隠せないという表情を作った。
 そんなキラにアスランはとっておきの笑顔を向ける。
「大好きだよ、キラ……だから、もう二度と僕の側から離れないで」
 キラを取り返してから何度も繰り返し口にしたセリフ。
 そのたびに微妙に変化してきたキラの表情。
 それはキラの気持ちがいい方向へ向いているからだ、とアスランは信じたいと思う。
「……アスラン……もっと他の人の事も考えた方が……」
 キラが初めてそのセリフに対する言葉を口にする。
「考えてるよ。でも、今はキラの方が重要なだけ。キラがどこにも行かないって言うならちゃんとできるんだけどね」
 そうすれば、こんなに焦らなくてもすむんだが……とアスランは付け加えた。
「……馬鹿だよ、君は……僕なんて、そんなに思って貰う価値ないのに……」
 キラがさらに小さな声で言葉を返してくる。その内容に、アスランはため息をついた。
「馬鹿なのはキラの方だろう? 人を好きになるのに価値なんて関係ない。僕の感情をお前が否定しないでくれ」
 言葉とともにアスランは手を伸ばしてキラの体を引き寄せる。
「僕にはキラが必要なんだ」
 腕の中に納めた体が、その言葉に小さく震えた。
 一瞬のためらいの後、キラの腕がゆっくりと持ち上げられる。そして、それはアスランの背へと回された。
 ただすがりついているだけのそれも、アスランには嬉しく感じられる。
「……もっと、君のことを必要としている人たちがいるのに……」
 小さな声で呟かれた声がアスランの耳に届く。その言葉の裏に隠れているものを自分に都合の良いように判断するのはいけないことなのだろうか。
「……ラクスは知ってるよ。僕が君だけを愛しているって事を。それでもいいって行ってくれているから……キラが心配することはない」
 本当はもっとすごいことも言われたのだが、今は伝えないでおこうとアスランは思う。
「……嘘……」
「本当だよ。何なら、次にあったときに確かめてごらん?」
 呆然と自分を見上げてくるキラの唇に、アスランはかすめるだけの口づけを送る。
「アスラン!」
 誰か通ったらどうするんだ、とキラの視線が非難のセリフを告げていた。
「部屋に戻ろう」
「……仕事しないと……」
「わかってるよ」
 その言葉の裏に、行為に対する恐怖を感じてアスランは苦笑を浮かべる。
「今はしない。もっと余裕があるときにね」
 でないと楽しめないだろうと耳元で囁けば、キラの頬が真っ赤に染まった。

「……さすがはキラ……と言うべきなんだろうな……」
 アストレイを動かしながら、カガリが呟く。
「……本当に貴方はナチュラルなんですか?」
 その隣で状況を見ていたニコルですら思わずこう口にしたくなるほど、アストレイの動きは滑らかなものだったのだ。
「間違いなく、私はナチュラルだ……コーディネーターだったら、もう少しキラの役に立てるんだろうがな」
 少なくとも、彼を一人で戦わせることはなかったはずだ……とカガリは言う。
「いや、そうであれば、出会わなかったのか、私たちは……」
 それとも、引き離されずにすんだのか……とカガリは心の中で付け加える。
 自分たちが引き離されたのは、キラが『コーディネーター』として生まれてしまったからだ。二人ともコーディネーターか、あるいは予定通りナチュラルとして生まれていれば何も問題がなかったはず。
 しかし、それを口にすることは許されない。
 誰よりも守りたい存在に知られないために。
「……どちらにしろ、起こってしまった事柄は変えようがありませんよ……」
 そんな彼女の本心を読みとったわけではないだろう。それでもニコルはカガリの気持ちを和らげようと言葉を口にする。
「そうだな……今は自分たちに出来ることをするしかないか」
 まずはアークエンジェルを救い出すこと。
 そのための準備に費やせる時間は限りがある。
「悩んでいる暇はないな」
 そんな暇があれば、少しでもアストレイの操縦を確実に身につけておきたい。自分はナチュラルだから、キラのように一目見ただけの機体を動かすことは出来ない。こうして何度も反復して身につける必要があるのだ、とカガリは自分に言い聞かせる。
「……しかし、よくもまぁ、こんなものを訓練もせずに使いこなせたもんだ、あいつは……」
 基本動作を繰り返しながら、カガリはこんなセリフを呟く。
「僕たちですら、訓練なしでMSを使うなどと言うことは出来ません。キラさんが特別なんですよ、きっと。あの人ならどうかはわかりませんが、カガリさんの実力はザフトのパイロットと比べてもかなり上のレベルです。だから、大丈夫ですよ」
 ふわっと微笑むニコルに、カガリも笑みを返した。
「そう言ってもらえるとありがたいな。自信を持ってキラの手助けが出来る……しかし、フラガ少佐のMA、間に合うのか?」
 ニコルのセリフで、未だにゼロの修理が終わっていないことをカガリは思い出す。自分や彼ら、そして、ストライクが出撃したとしても、フラガがいるといないとではキラの精神面では雲泥の差なのではないだろうか。
「間に合わないときは、これのOSをジンにコピーしてあの人にのって貰うつもりだと隊長がおっしゃっていました」
 だからフラガが同行しないと言うことはないだろうとニコルは付け加える。
「第一、あの人がいらっしゃらなければ、皆さん、信用してくださらないのではないですか?」
 キラやカガリがいても、アークエンジェルの乗組員に一番信頼されているのは彼だろうとニコルは指摘をした。
「……キラでも十分だとは思うが……確かに少佐がいた方が確実だろうな。あの人だけが元々の軍人だし」
 軍属の人の信頼感は抜群だ、とカガリは付け加える。
「と言うことは、最悪無理矢理誰かの期待に詰め込んだとしても一緒に行って頂かないといけないわけですね」
 覚えておきます、とニコルは頷いた。
「……ところで、これでいいのか? あとすることは?」
「今のところはありません。キラさんが確認をして修正をするかもしれませんが……その時間があるかどうか」
 今別のプログラムを解析しているらしいことは耳に届いている。そして、それに対する対策も取らなければならないことも。
「結局、キラに全部押しつけているようなものだな」
 こうしてキラが追いつめられていくのか……と思わずにはいられない。
「……そうですね……」
 それに関しては否定することが出来ないのだろう。ニコルも視線を伏せると頷いて見せた。

「キラ……食事を取らないと……」
 言っても無駄だとはわかっていながらも、アスランは声をかける。
「……もう少しで終わるから……」
 案の定、顔を上げることもしないでキラは言い返してきた。
「せめて、飲み物だけでもいいから飲みなよ」
 ね、といいながら、アスランはドリンクボトルを差し出す。さすがにこれは飲まなければ、アスランに強引に作業を中断させられると判断したのだろう。キラは素直にそれを受け取った。
「本当は少し休憩した方が効率がいいんだけどね」
 キラの側に腰を下ろしながら、アスランがため息混じりに呟く。だが、キラの耳には届いていないのか――あるいは、聞こえていても無視しているのか――答えは返ってこない。
 もちろん、アスランにしてもそれは予想していたのであえて何も言わないことにした。
 アスランが口をつぐめば、かたかたとキーボードを叩く音だけが室内に響き渡る。
 そう言えば、以前にもこんな事があったな……とアスランは心の中で呟いた。
 いつのことだったか、と記憶の中を探れば、答えはすぐに見つかる。
 幼年学校時代、キラが体調を崩したせいで提出の前日までに宿題を終えられなかったときがあった。
 おそらくそれに関して申告すれば提出期限は延びただろう。
 だが、キラはそれをせずにほとんど徹夜をして課題を完成させた。
 その時も、やはりこんな風に自分は何も知れやれないことにいらつきながら側にいたのだ……とアスランは思い出す。
「……そう言えば、たまにキラは体調を崩していたよな、あのころ……」
 コーディネーターはそんなに頻繁に体調を崩すことはないはずなのに……と口の中だけで呟く。あるいは、キラ自身ではないところに原因があったのではないだろうか……とアスランは考えた。
「……他に何か異常はなかったか……」
 思い出せ、とアスランは自分に命じる。
 しかし、いくら考えても記憶の中のキラはそれ以外におかしいと思えることはなかった。単に自分が知らなかっただけなのだろうか。それともあまりに些細なことで気づかなかったのか……とアスランは眉を寄せる。
 あまりに深く、記憶の中に入り込んでいたせいだろう。
 アスランはいつしかキーボードを叩く音がやんでいたことに気がつかなかった。
「……アスラン?」
 キラの声が耳に届いて、アスランはようやく我に返る。
「ごめん、キラ……ぼうっとしていた。終わったのか?」
 慌てて問いかければ、キラは小さく頷く。
「本当に断片だけだったから確証はもてないんだけど……これは航路の指示を出しているんじゃないかと……で、一応目的地の推測はしてみたけど、一カ所には絞りきれなかった」
 少なくともウィルスではないとキラは付け加える。
「報告しないといけないんだよね」
 キラがため息とともにこういった。いや、別段報告をするのが嫌だというわけではないらしいことはアスランにもわかっている。むしろ早くしたいとキラは思っているだろう。
「あぁ……だが、少しぐらい遅れても大丈夫だと思うぞ」
 だが、それ以上に今は疲労の方が強いらしい。
「そんな顔色をしているのを見ればな」
 血の気の失せた顔の中で瞳だけが輝いている。それはそれで壮絶なまでに人目を引き付けるだろうが、同時に今にも崩れ落ちそうで不安を抱かせるものでもあった。
「……コーヒーを飲む時間だけ貰ってもいいよね……」
 それなのにキラは微笑みを浮かべるとこう口にする。
「もう少し休んでもかまわないと思うが?」
「……でも、少しでも早いほうが……」
 キラはアスランの言葉に反論をしてきた。
「仕方がないね。それが終わらないと眠れないんだろう?」
 一度こう決めたら引き下がらないのがキラだ。だったら、さっさと終わらせて少しでも睡眠を取らせた方がいいだろう。アスランはそう判断をする。
「コーヒーだよね。少し待ってて。持ってくるから」
 キラの頬にキスを送るとアスランは立ち上がった。ついでに部屋の外からクルーゼへと連絡を入れておこうと心の中で呟く。
「ごめんね」
 今にも部屋を出ようとしたアスランの背をキラのこんな言葉が追いかけてきた。
「謝られる事じゃないだろう? 僕が好きでやっていることなんだし」
 それよりも、少しでも体を休めておいて……と言い返すとアスランはそのまま部屋を後にする。
「……コーヒーよりはカフェオレの方がいいよな」
 今のキラには……とアスランは呟く。少なくとも、今のキラの胃には刺激物はあまり良くないだろう。そんなことを考えながら食堂の方へと向かおうとした。
「アスラン」
 そんな彼の耳に連絡を入れなければ……と思っていた人間の声が届く。視線を向ければ、フラガとともにクルーゼがこちらに向かってくるのが見えた。
「隊長!」
 咄嗟に姿勢を正す。
「終わったのか?」
「……はい。キラが隊長に報告に行く前に一休みさせて欲しいと」
 かなり根を詰めていましたので……と言えば、予想通りクルーゼは納得をしたようだった。
「では、いつでもかまわん。都合がいいときに部屋に来るように」
 この言葉を残してクルーゼはその場を立ち去る。
「坊主にちゃんと休めと言っておいてくれ」
 単独行動を許されていないフラガもまたアスランに声をかけるとクルーゼの後を追いかけていく。
「もちろんですよ」
 呟かれた言葉は果たして彼の耳に届いていたか。それを確認する様子も見せずにアスランは動き出した。


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最遊釈厄伝