この手につかみたいもの

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「キラ……疲れているだろうけど、起きて」
 肩に置かれたぬくもりが優しく自分を揺り起こしている。それを認識して、キラはゆっくりと目を開いた。
「……アスラ、ン?」
 自分の顔を覗き込んでいる相手を認識して、キラはうっすらと微笑みを浮かべる。
「うん、僕だよ」
 自然に作られたその表情に、アスランは満足そうに目を細めた。そして、彼の頬に優しく唇を落とす。
「ごめんね。もう少し寝かせておいてあげたいんだけど……ちょっと頼みたいことが出来たと隊長達が」
 呼んでいるんだ、とアスランはキラの耳に直接吹き込む。その感触がくすぐったかったのだろう。キラは小さく笑いを漏らす。だが、思考の方はまだ働いていないらしい。アスランの胸に頬をすり寄せるとあくびを一つした。
「駄目だよ、キラ。起きて!」
 そのまままた眠りの中に落ちてしまいそうなキラを、アスランは強引に起こす。
 と言っても、本当はキラが望むだけ眠らせてやりたいというのがアスランの本音だ。しかし、それをした場合、後からキラがどんなに嘆くかわかっているからここは心を鬼にする。
「でないと、足つきがまずいことになるかもしれないよ」
 こう囁けば、キラはびくっと体を震わせた。
「……アスラン? 何があったの?」
 キラは、恐怖に彩られたまなざしを向けてくる。その表情にアスランは胸を締め付けられるような感覚を感じていた。
 同時に、胸の中を去来していくのは嫉妬心。
 キラにそんな表情をさせる人間達に対するそれは、場違いと言えば場違いなのかもしれない。だが、自分以外のことでそんな表情をされるのはやはりおもしろくない、とアスランは心の中で呟いた。
「はっきりとしたことはわからない。ただ、妙なプログラムがたまに発信されているのを感知したそうだ。断片だけとは言え、保存することが出来たから、キラに見て欲しいって」
 それが解析できれば、アークエンジェルの今の状況がわかるかもしれないよ、とアスランはその感情を隠して告げる。
「……わかった……」
 小さなため息をつくと、キラはアスランの腕の中から抜け出す。そして、ベッドから降りると顔を洗おうとシャワールームの方へ足を向けた。
 その後ろ姿がドアの向こうに消えたのを確認して、アスランは表情を変える。
「本当は、キラの心を占める奴なんてどうなってもいいんだけどね……そんなことを言ったら、キラに嫌われるか」
 だから、妥協してするしかないんだろうが……とアスランは小さくため息をつく。
「その前に俺がこんな事を考えているなんて、知られたくないしな」
 自分を見つめるあの瞳が変わってしまうのが怖い、とアスランは口の中だけで付け加える。
 ようやく、子供の頃のように無条件で信頼しきった瞳を向けてくれるようになったのだ、キラは……それをまたこちらに連れてきたときのような視線に戻ってしまうのは耐えられない、とアスランが考えたとしても無理はないだろう。
「キラの気持ちをつなぎおけておけるなら、何でもするさ」
 気に入らない連中を助けに行くこととかな……と吐息とともにアスランが吐き出したときだ。シャワールームのドアが開いてキラが出てくる。
「キラ……前髪が濡れてるよ」
 その瞬間、自分でも意識する前にアスランの表情が優しいものへと変化していた。苦笑をにじませた声でこう言えば、キラが困ったような表情を浮かべる。
「どうしても濡れちゃうんだから、仕方がないだろう」
 こういうキラは昔と少しも変わっていない。そんな彼に、アスランは思わず吹き出してしまう。
「わかっているよ。キラは昔から細かいことが苦手だもんな」
 その反応に唇をとがらせたキラの頭に彼が持っていたタオルを掛けると、アスランは優しい手つきで髪を拭いてやる。
「……悪かったね……」
「誰もそう言っていないだろう?」
 ほら、出来た……といいながらアスランはキラの顔を覗き込んだ。その瞬間飛び込んできた菫色の瞳には既に怒りは浮かんでいない。
「大好きだよ、キラ」
 その事実に安心をすると、アスランはこう囁く。そして、彼の唇に自分のそれを重ねた。

 その後盛大にすねたキラは、アスランになだめすかされてブリッジへと向かった。
「遅かったな」
「……ごめんなさい……寝てたので……」
 苦笑混じりに声をかけてくるフラガに、キラは思わず肩をすくめてしまう。
「疲れているところ、申し訳ないな。アスランから話を聞いていると思うが」
「……データーの解析をすればいいのでしょうか?」
 クルーゼの言葉にキラはこう聞き返す。
「そうしてもらえればありがたい。連邦の艦とこちらのものとは基本OSが異なってはいるが、万が一という可能性も否定できない」
 ヴェサリウスまでハッキングされては打つ手がなくなるだろうというクルーゼの言葉はもっともなものだ。
「わかっています」
 頷くキラに、クルーゼは優しげな笑みを浮かべる。
「では頼もう。データーはこのディスクに入っている。ここよりも部屋の方がやりやすいのであれば、そちらで作業をしてくれてもかまわない」
 この言葉に、キラは一瞬どうしようかと悩んだ。だが、アデス達の視線を感じていては集中できないこともわかっている。
「では……部屋でさせて頂きます」
 使い慣れたパソコンの方が作業をしやすいだろうと判断してキラはこう口にした。
「わかった。アスラン、彼の側に着いているように」
 言われなくてもそのつもりだったのだろう。アスランはしっかりと首を縦に振っている。
「坊主、焦らなくていいからな」
 それよりも確実に仕事をしろ、とフラガが声をかけてきた。彼の口調は初めてあったときから少しも変わっていない。いや、彼だけではなくアークエンジェルのせい美人達もそうだった、とキラは思い出す。
「はい、少佐」
 そして、そんな彼の態度はいつも自分を安心させてくれるのだ、と。
「……あ〜……その、なんだな……ここでそれはまずいと思うんだが……」
 不意にフラガがこんなセリフを口にする。その理由がわからずにキラは思わず小首をかしげてしまった。
「一応、俺は『投降者』だからな」
 声を潜めながら付け加えられたセリフに、キラはますます意味がわかないという表情を作る。
「……でも、少佐は少佐でしょう?」
 それ以外に何と呼べばいいのかわからない、とキラは口にした。
「そこまで気にすることはない。キラ君、呼びやすいように呼べばいい」
 二人の会話を終わらせるようにクルーゼが口を挟んでくる。
「……俺の時とずいぶん態度が違うな」
「素直な子供と、相性の悪い大人を同レベルに考えるつもりはない」
「そう言うセリフを言うわけ? なら、何で俺をここに連れてきた?」
「女性と同じ部屋にお前を置いておけるか」
 いきなり目の前で繰り広げられた会話に、キラは目を丸くした。いや、キラだけではなくアスランも同じ気持ちだったらしい。信じられない者を見ているようなまなざしで自分の上官を見つめている。
 だが、ある意味これが日常なのか。アデス以下ブリッジのメンバーは動じる様子を見せない。
「……キラ……」
 さすがにいつまでも見学しているわけにはいかないと判断したのか。アスランが声をかけてきた。
「……少佐って……結局、どこにいても自分のペースを崩さない人なんだね……」
 それがわかっていながらも、キラはこんなセリフを口にしてしまう。
「だから、安心できるのかな?」
 付け加えられた言葉は、間違いなく無意識のもの。
「キラ!」
 それにアスランの瞳に一瞬だけ冷たい光が浮かぶ。
「あ、ごめん……部屋、戻るんだったね」
 しかし、キラが視線を向けたときにはもう、それは消えている。だから、彼が気づくことはなかった。
「あぁ。早く作業を開始した方がいいだろう」
 ふわっと優しい笑みを浮かべつつアスランは言葉を返してくる。
「うん」
 差し出してくる彼の手を取りながら、キラはそれでもそんなアスランの反応にどこか違和感を感じずにはいられなかった。
「……あのね、アスラン……」
「何?」
 そのことを問いかけようとしたのだが、彼の笑顔にキラは言葉を失う。
「んっと……フラガ少佐は、あっちでの、僕の保護者代わりの人で……だから、アスランとは違うから……」
 あの人のおかげで自分は何とか正気を保っていられたのだ……と口にすれば、アスランの雰囲気がほんの少しだけ柔らかくなる。
「わかってるよ、キラ。君があちらの連中も大切に思っていることはね」
 そう言うアスランを、キラは信じるしかない。
「だから、ちゃんと手伝ってあげるよ」
 アスランのこの言葉にキラは嬉しそうな笑みを浮かべた。


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最遊釈厄伝