この手につかみたいもの
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ストライクのOSだ……と言われて渡されたものを見た瞬間、ニコルは衝撃を隠せなかった。
いや、それは彼だけではない。他の二人も同じだったらしい。
自分たちの中で平然としていたのはそれを作った人間の能力を一番よく知っていると思われるアスランだけだった。
「で、こちらがナチュラル用に開発をされたというアストレイのOSだ」
もっとも、まだ未完成だそうだが……そう言いながら、もう一枚のディスクが彼らに渡される。
「……本当にあの人は……」
どれだけの才能をあの華奢な体に秘めているのか、と思わずにいられない。
「キラはその機械がどう使われたいのかわかるんじゃないか……と噂されていたな」
そのニコルの呟きを聞き取ったのだろう。アスランが言葉を返してくる。
「だから、あれに触れて欲しくはなかったんだけどね」
言葉を重ねながらアスランの視線が見つめているのは、カガリと何かを話しているキラの姿だった。
「……その気持ち、わかります……」
おそらくイザークとディアッカなら別の感想を抱くのだろう。だが、キラの『歌』を耳にしたことがあるニコルは、戦いが彼からそれを奪ったというのであればストライクに触れて欲しくなかったというアスランの気持ちを理解できた。
MSの操縦ならほかにもできる者がいる。
しかし、キラの歌はキラだけしか歌えないのだ。
「でも、時間を巻き戻すことは出来ませんし……ならば、全てを終わらせるのが一番なのではないでしょうか」
少なくとも、この『戦争』から解き放たれれば、キラの中に歌が蘇るだろう。実際、戦いから切り離されていた日々にはかすかに歌らしきものを口ずさんでいたのだ、彼は。
「そうだな……さて、これの中から自分たちの期待に使えるような箇所を探せと言われても……」
ザフトのそれとはまったく異なる理論で組み立てられたそれを理解するまでに時間がかかるな、とアスランがくしょうを浮かべる。
「キラの方は、アストレイのOSを完璧なものにするだけで手一杯だろうし……時間がないというのもネックだな、まったく」
珍しくもアスランがそんな愚痴を口にした。
「そうですね」
時間がないというのは事実。
いや、時間に追われていると言った方が正しい。
アークエンジェルよりも先に彼らの目的地にたどり着いていなければならないのだ。しかも、周囲に知られることなく。
クルーゼが本国とどのような会話を交わしたのかはニコル達にまでは伝わってきていない。
しかし、今彼らはアークエンジェルを救うために動いていた。
自分たちがそれを受け入れられたのは、キラの存在があったからこそかもしれない。彼がまだあの艦に乗っている『友人』達を守りたいと願っているから。だから、キラを守りたいと思っている自分たちは頷くしかないのだ。
「それにしても……やっぱり、後でキラさんにお時間をいただいた方がいいのかもしれません。僕にはちょっと荷が重すぎます」
「……言いたくないが、同意だな」
アスランもため息混じりに頷く。
「その時は俺たちも呼んでくれ」
いったいいつから話を聞いていたのか。ディアッカが口を挟んできた。
「悔しいが、俺じゃお手上げだ。大まかな内容はわかるんだが、どこをどうすればいいのか検討もつかん」
自分では認めたくないようだが、アイツも同じらしい……とディアッカが指さしたのはイザークだ。
彼だけはまだあきらめきれないと言うようにモニターを睨み付けている。しかし、スクロールする動きが止まっていることから、その内容を理解できていないのだろうと推測できた。
「……キラにまた負担をかけることになってしまうな……」
ため息とともにアスランが呟く。
「その代わり、僕たちがキラさんの大切な人たちを救い出してあげましょう。少しでもキラさんの気持ちを明るくして差し上げるために」
ニコルの言葉に、アスランはしっかりと頷いた。
「……たぶん、これで回避運動が楽になると思うんだけど……」
そう言いながら、キラはカガリの顔を見つめる。
「あぁ、すまない。本当は自分で出来ればいいんだがな」
「仕方がないよ。カガリはプログラミングの勉強、してこなかったんだから」
自分と違って、カガリにはいろいろな責任があり、それを果たしてこなければいけなかったのだろうとキラは口にした。
「……それに、僕にはこれしかなかったしね……」
ふっと浮かべた笑みは悲しげなもの。その意味を問いかけるべきかどうかカガリは一瞬迷う。
「勉強している間だけは、思い出さなくてすんだし」
誰のことを、と聞かなくても今度はわかる。キラの視線が一瞬だけとは言えその相手を見つめていたのだ。
「……中立国オーブとは言え、完全に溝がないわけではないからな」
どうしてもナチュラルの方が人口が多いから……とかがりは申し訳なさそうに口にする。
「あ、ごめん。そんなつもりで言ったわけじゃないんだ」
キラが慌てて謝罪の言葉を口にした。
「どうしてお前はいつも自分のせいだって思うんだ? この件に関してはお前一人の責任じゃないだろうが」
そう言う性格だとは知りつつも、カガリはあきれずにいられない。同時に、こんな性格だったからキラはあそこまで自分を追い込んでしまったのか……とも思う。自分が手遅れになる前に彼に再会できたのは、本当に幸いだったのだなとも。それもこれも、フラガが陰ひなたから心を砕いてくれたからかと思うと、感謝のしようもないな、と心の中で付け加えた。
「カガリ?」
「いいか? 誰だって、一人きりなら謝罪をするようなことはない。そして、二人以上人がいた場合、どちらか一方だけが完全に悪いという事はないんだ。だから、全部自分のせいだと思うな」
キラがこうなった一因は自分にもあるのだ、と告げられればどんなにいいだろう。しかし、そうした場合、彼の心の許容範囲を超えてしまうことは十分に分かり切っていた。
だから、告げられない思いの分、自分は彼を守るのだ、とカガリは心の中で決意をする。
「……カガリって、いつも僕の背中を押してくれるんだね」
そんなカガリの心の中が見えたわけではないだろう。だが、彼女の言葉にキラが嬉しそうに微笑む。
「仕方がないな。お前は見ていて不安になるんだから」
だから、迷ったらいつでも声をかけろ、とカガリはキラに告げる。いくらでも背中を突き飛ばしてやるから、と付け加えれば、キラはさらに笑みを深めた。
ゆっくりとプラントが遠ざかっていく。
その光景を彼は目を細めながら見つめていた。
「……もう、戻ってくることはないかもしれんな……」
だが、それも自分の選んだ道だと彼は付け加える。
「未来は子供達のものだ……決して、我々が好きにして良いものではない」
そのために、自分がなすべき事をしよう。
言葉とともに彼は瞳を閉じた。
アークエンジェル内で何かが起こっているらしい。
しかし、それは自分たちの耳にまで届いてこない。いや、あるいは故意に伝えられていないのか。
「……理由はわかるけど……ちょっと悔しいよな」
自分たちに与えられている兵舎。その中でただ一つだけ主のいないベッドに腰を下ろしながらトールが呟く。
「だけど、本当に助けに来てくれるのかな?」
そんな彼の正面に腰を下ろしながら、カズイが言葉を口にした。
「どうしてそんなこと言うの?」
「だって、そうだろう? なんだかんだ言って、俺たちだってキラを傷つけていたんだ。そりゃ、あっちでも同じかもしれないけどさ……でも、そうじゃなかった場合、俺たちを見捨てるのが一番簡単なことだろう?」
無意識の拒絶が一番キラにとって辛かったのではないか……とか、実際に戦場に出て命のやりとりとしている彼に、自分たちが知らずに取っていた行動がどんなにひどいものだったのか、とか、思い当たる節は山ほどあるだろうと彼は言外に付け加える。
「……そんなことで、キラが私たちを見捨てると思うの?」
そんなにキラを信用していなかったのか、とミリアリアがカズイを睨み付けた。
「そんなこと言うなら、キラにはいくらだって機会があったのよ。それなのに、私たちが残ったから、キラはあの時だって艦を降りなかったのに……私たちがキラを信じてあげなくて、誰が信じてあげるのよ!」
ミリアリアのこの言葉に、カズイは耐えきれないと言うようにうつむく。
「そうだよな。キラはそう言う奴だもんな」
その場の雰囲気を変えるかのようにトールが明るい口調で言った。
「艦長達が信じているんだ。俺たちが信じていないなんてばれたら、キラの奴、泣くぞ」
キラの泣き顔は見たくないよな、と付け加える彼に、ミリアリアも頷いてみせる。
「それに、少佐もカガリさんもあちらに行っているのよ。大丈夫に決まっているじゃない」
あの二人なら、悩んでいるキラの背中を蹴飛ばしてでも自分たちを助けに来てくれるはず……とミリアリアが微笑んだ。それはかなり無理をして作ったものだと言うことはカズイにもわかる。
「……そうだよな……俺たちが信じてやらなきゃ、駄目なんだよな」
自分に言い聞かせるようにカズイは言葉を口にした。
「もう一度、あいつの瞳をまっすぐに見つめるためにも」
菫色のその瞳。
その中に自分の姿を認めたとき、どうしても友達になりたいと思った事をカズイは思い出した。そして、自分が一番早く彼に声をかけたのだと言うことも。
「そうだぞ!」
トールが大きく頷く。
その時だった。
三人の耳にフレイの叫びが届く。同時に、彼女をなだめようとするサイの声も。
「……フレイも……そう思ってくれればいいんだけど……」
その声を聞きながら、ミリアリアが辛そうに呟いた。