この手につかみたいもの
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久々に見上げるそれは、初めて見たときと同じように嫌悪感を感じさせる。だが、同時に懐かしさもキラは覚えていた。
「……キラ、どうした?」
ストライクを見上げたまま動かないキラの様子を不審に思ったのだろう。アスランがこう問いかけてくる。
「また、これを見ることになるとは思わなかっただけ……」
オーブでアスラン達に拉致をされてから、自分とストライクは二度と出会うことがないのだと、キラは心の中で思っていたのだ。
しかし、未だに自分以外の誰も拒んだまま、ストライクは自分の目の前にいる。
その事実をどう認識すればいいのか、キラは悩んでいた。
トリィのようにいつでも側にいてくれたわけではない。これがあったからこそ、自分は戦いの中に巻き込まれていったというのに、どうしたことか憎みきれないのは、嫌悪の対象であると同時に自分たちの命を救ってくれたものだからでもあろうか。
「僕もだよ」
アスランにしても、これがあったからこそ自分たちが引き裂かれてしまった、という思いがあるのだろう。その翡翠の瞳の奧に複雑な光が見える。
「……OSのロックを外すだけで良かったんだよね……」
今はまだ、これにのって戦えと言われても出来ない……とキラは言外に告げた。
「そう聞いている」
アスランが頷く。
「……まだ、君の中で覚悟が出来ていないだろう?」
その時、背後からクルーゼの声が届いた。慌てて二人が振り向けば、彼と苦笑を浮かべているフラガの姿が見える。
「坊主が乗らなくてすむような状況だったら良かったんだがな」
クルーゼの私服なのだろうか。どこかサイズが合わない服を身につけているフラガが苦笑を浮かべつつキラに歩み寄ってきた。
「残念ながら、誰もあれの目を覚ますことが出来なかったんだとさ」
坊主のプログラミング能力が桁違いに有りすぎるのが原因だろうという話だが……と言いつつ、フラガはキラの髪を撫でてやる。久々のその感触に、キラは気持ちいいというように目を細めた。しかし、次の瞬間、いきなりフラガから引きがなされるように引っ張られてしまう。
「アスラン……」
その行為の犯人はもちろんアスランだ。彼の腕の中で、キラはあきれたようにその顔を見上げる。
「……ごめん……」
口ではそう言いながらも、アスランは少しもそう思っていないようだ。
「……まるで、子猫を守る母猫だな」
威嚇されても困るんだけどねぇ……とフラガは笑う。
「あまり人の部下で遊ぶんじゃない」
そんな二人の態度に、クルーゼがあきれたように口を挟んできた。
「それに、あまり時間がないのではないか?」
冷静な言葉に、アスラン達が気まずそうに視線を周囲にさまよわせる。
「ストライクのOSを解析し、優れているところを他のGのOSへと移植させて貰おう。そうすれば、性能が向上し、ひいてはアスラン達の安全につながるだろうからな」
だから、ロックを外して欲しい……と言われれば、キラとしてもそれ以上『嫌だ』と言ってはいられない。
「……わかっています……」
キラは小さな声でこう告げた。そして、そのままアスランの腕の中から抜け出す。
「キラ?」
どうしたの、というアスランに微笑みかけると、キラはデッキの床を蹴った。そしてそのまままっすぐにストライクのコクピットへと向かう。
途中でハッチの上へを掴むと方向を換え、シートへと体を滑り込ませた。
意識しなくても勝手に動く体に、キラは苦笑を浮かべてしまう。
「いきなり動くんじゃないって」
少し遅れてアスラン達もまた姿を現す。
「……だって……そのために来たんだろう?」
だったら、さっさと解除して解析して貰った方がいい、とキラは口にする。そうすれば、それだけ早くイージス他のOSの修正が出来るだろうと。そうしなければいけないのだ、と心の奥から声がするのだとキラはアスランに告げた。
「まぁ、やる気になってくれたのはいいことなんだろうけどね」
そう言いながら、アスランはハッチの前にある通路の端にいる整備兵を視線で呼び寄せる。
「あまり無理はしなくていいからな、坊主」
遅れて上がってきたフラガが、言葉とは裏腹な表情をしているキラに向かってこう声をかけた。
「そうだな。OSのロックだけで今はかまわない。後はうちの整備陣でも何とかなるだろう」
それよりも自分の精神状態の方が優先だ、とクルーゼにまで言われて、キラは小首をかしげる。
「……何か、僕のことで心配事でもあるのですか?」
だから、彼らは自分の精神状態をこんなにも不安に思っているのではないか。キラは言外にそう付け加える。
「正確に言えばちょっと違うな。坊主はストレスを感じると飯を食わなくなる。この状況でそんなことになったら、間違いなく肝心なときに動けなくなるぞ」
それじゃまずいだろうと口にするフラガの言葉はもっともなものだ。第一、その言葉の内容に思い当たる節がキラ自身ありすぎる。しかし、それだけではないという思いがないわけではない。
だが、フラガに口で勝とうと思う方が無駄なのだ。その事実はアークエンジェルに乗っている間にしっかりと身にしみていた。しかも、経験の差から、何を言ってもフラガは最後は全てをうやむやにしてくれる。ならば、最初からあきらめた方が精神的にいいのではないか、とキラは思ってしまう。
「……そう言うことにしておきます……」
ため息とともに言葉を口にすると、キラはキーボードを引き寄せた。
「そう言う態度は可愛くないと思うぞ」
「別に、少佐に可愛いと思われなくてもいいです」
フラガのこのセリフが自分をリラックスさせるためのものだとわかっているから、キラはアークエンジェルにいたときのように言葉を返す。
「……どうやら、元の調子が出てきたようだな」
素直だよな、坊主は……と笑うフラガを横目に、キラはキーボードに指を走らせる。
最後のキーを打ち込むと同時に、ストライクが命を吹き返す。
「……ロック、外れましたけど……」
これからどうすればいいのか……とキラは言外にクルーゼに問いかける。
「後は大丈夫だな?」
そのクルーゼに問いかけられた整備兵が、慌て手首を縦に振って見せた。
「ならば、作業が終わるまで休憩を取ることにしよう。君に聞きたいことが出てくるかもしれないからな」
あちらの方も作業を進めているようだし……とクルーゼはアストレイの方へも視線を向ける。
「わかりました」
それに、キラは疲れたような口調とともに言葉を返した。
「……さて……」
二人きりになった空間で、クルーゼはキラへと視線を向ける。
「聞きたいことがあるのだが、かまわないかね?」
その言葉をかけた瞬間、キラがいすに背中を預けたまま視線だけ向けてきた。
「君は、いったい何を隠している?」
クルーゼの問いかけに『キラ』はかすかな笑みを浮かべる。
「隠しているわけじゃない。注意して観察していれば、わかることだからね」
「……目に見えるものだけが真実だとは限らない……」
彼にそう言わせたのは君か? と問いかけるクルーゼに
「そう。なまじ目で見るから、物事の一面しか見えない。それでは駄目だろう?」
いずれわかるよ、と『キラ』は言葉を返す。
「そう言えば、ボク達を襲った男の一件は? アスランが教えてくれないからね」
「……暗示をかけられていたよ。君の指摘通りにね」
もっとも、内容は君の拉致で殺害ではない……とクルーゼは口にした。
「警告……かな? どちらにしても時間はあまりない、と言うことだね」
あちらにも、そしてボクにも……と呟く『キラ』の言葉の意味をクルーゼは問いただしたい思いにかられる。だが、それは無理だった。
「キラ。飲み物を貰ってきたよ」
言葉とともにアスランが戻ってきたのだ。
「……ありがとう、アスラン」
その瞬間、キラはいつもの微笑みをアスランへと向けている。彼の中には今の会話のことも、もう一人の自分のことも記憶されていないだろう。その事実をクルーゼは知っている。
「……謎かけは嫌いではないが……」
今の状況では辛いな……と口の中だけで呟いた。
同時に、何とかしてもう一度『彼』と話せる機会を作らなければならないと心の中で付け加える。
もっとも、それを実行に移せるかどうか、クルーゼですらわからなかった。