この手につかみたいもの
36
久々に感じるトリィの重みが本の少し増えているような気がするのは、アスランが新たにつけてくれた機能のせいだろうか。
トリィが奏でるラクスの歌に耳を傾けながら、キラがそんなことを考えていたときだった。
端末から呼び出し音が響く。反射的にアスランが腰を上げた。
「はい、アスラン・ザラです」
この部屋で呼び出されるのは普通、アスランだけだ。だから、その反応は正しいと言えるだろう。
『アスランか……大至急、キラ・ヤマトを連れてブリッジへ』
だが、伝えられたのはこの言葉。
キラを一人で歩かせることは出来ない……と言うことは、実際に呼び出されたのはキラだと言えるだろう。
「……了解しました」
一瞬の間を置いてアスランが答えを返す。彼の背中がその理由がわからないと告げている。もちろん、それはキラも同じだ。眉を寄せながら、トリィに歌うことをやめさせる。
「トリィ……いい子だから、ここで待ってろよ」
キラの肩の上からアスランがトリィを移動させた。そして、ベッドのわくに止まらせると言い聞かせるように言葉を口にする。
「キラ」
トリィからキラへと視線を移すと、アスランは促すように名前を呼んだ。
「……わかってる……」
理由がわからないからためらってしまう。それでも今の自分には拒否することが出来ないのもまた事実だ。少なくとも、好きだと言える人々もこの艦の中にできてしまったし……とキラは心の中で呟きながらアスランの手を取る。
そのまま導かれるままにブリッジに向かえば、途中でイザーク達とも出会った。
「アスランだけではなく、キラも呼び出されたのか?」
キラを認めた瞬間、イザークが驚いたように目を見開く。どうやら、彼らも何が起こっているのか知らないようだ、とキラは判断をした。
「いったい何が」
「わからない……知りたければ、ブリッジに行くしかないだろうな」
「……それが一番早いか……」
仕方がないな、と口にしながらディアッカが真っ先に動く。その後をアスランとキラが。彼を守るようにイザーク達が続いた。
このメンバーがそろうと、どうしても人目を惹く。
絡みついてくる視線にキラは慣れることが出来ずに、居心地悪そうに肩をすくめしまう。
「気にするな」
それに気づいたイザークが声をかけてくれるが、キラにはどうしようもない。
「ごめん」
小さく呟くキラに、アスラン達は仕方がないと言うように苦笑を浮かべた。
「まぁ、確かにこの視線は鬱陶しいがな」
周囲に響く声でイザークが言葉を口にする。その瞬間、彼らを包み込んでいた視線が消え去ったのはさすがだと言うべきなのだろうか。
だが、それ以上にありはたかったというのがキラの本音だ。安心したというように唇からこぼれ落ちるため息に、イザークの口元にかすかな笑みが浮かぶ。もっとも、それは誰の目にも留まらなかったが。
何度も角を曲がり、ようやくブリッジへと辿り着く。
「来たか」
アスラン達が口を開くより早く、クルーゼが声をかけてくる。
「キラ君。申し訳ないが、あれらの機体に見覚えは?」
そう言いながら、クルーゼが示したモニターに視線を移した瞬間、キラは呼吸をすることを忘れてしまう。
鮮やかなオレンジ色のMAは、フラガだけが扱うことが出来るもの。そして、それとともに行動している機体の、白とオレンジを基調としたカラーリングは初めて見るものだ。だが、その機体によく似たものは目にしたことがある。
「……メビウス・ゼロと……アストレイ?」
だが、オーブ所属のアストレイが、何故今ゼロと一緒に行動しているのか。それ以前に、あの2機を追尾しているのは同じ連合軍のMAだ。いったいフラガに何があったというのか……キラは驚愕を隠せないという表情でモニターを見つめている。
「……どうやら、2機とも足つき所属らしいな……」
言葉とともに、クルーゼはキラに歩み寄ってきた。そして、その細い肩に手を置くと軽く揺さぶる。
「ちゃんと息をしたまえ。君がここで倒れては、あいつが何をしているのか問いかけられない」
とりあえず、こちらに通信をいれているのだ……とクルーゼが口にする言葉に、アスラン達も目を丸くした。
「隊長?」
そんなことをする必要があるのか、と言外に含ませてイザークが問いかける。
「あれが演技だとは思えないのでな……それに、あのMS気にかかる」
連邦軍の新型というわけではないだろうとクルーゼが口にした。
「……あれは……オーブ製です……」
しかも、PS装甲なしの……と付け加えながらも、キラは不安そうな表情を浮かべている。いったい誰があれを操縦しているのか気になってたまらないのだ。
もし、自分の友人達の一人だったら、何としてでも助けたい……とその瞳が訴えている。
「オーブ? なるほどな」
連邦のGの制作に手を貸した裏であのようなものを作っていたのか、とクルーゼは頷いた。
「アデス。MAとの通信回線を開け。話ぐらいは聞いてやろう」
その後は状況次第だ……と言うクルーゼの判断に間違いはない。そんな彼の声を聞きながら、キラは握りしめた拳に力を込める。
「駄目だよ、キラ……掌が傷つく」
それに気づいたアスランが、無理矢理自分の手を開かせたことも、キラは認識していなかった。彼の瞳は、ただ、目の前のモニターに向けられている。そして、これから起こることを一つも見逃すまいとしていた。
「……ようやく、人の話を聞いてくれる気になったって事か……」
回線が開かれたという事実に、フラガはほっとしたような表情を作る。
自分たちを無条件で見逃してもらえるとははなから思っていなかった。だが、ここまで執拗に追いかけられるとは思わなかったというのもまた事実である。
「ともかく、あいつらを何とかしないと……」
いい加減、こちらのバッテリーも残り少ないのだ。
『苦労しているようじゃないか』
モニターに姿が現れた……と同時に、クルーゼがフラガの神経を逆撫でしてくれるような笑いを漏らす。いつもなら、ここで一言二言文句を言ってやるところだ。だが、今は残念なことにその余裕がない。
「……そっちに投降する。だから助けてくれ……と言ったら?」
どうする、と付け加えた瞬間、クルーゼが驚いたという表情を作る。
『どういう事だ、ムウ・ラ・フラガ』
「残念だが、説明している時間がこっちにはなくてね……とりあえず、坊主もそこにいるんだろう? ストライクの隠し場所も教えてやる。だから、俺と、あっちの嬢ちゃんを受け入れてくれ」
そう言えば、ザフト側としても自分たちを見捨てるわけにはいかない……と言うことはよくわかっていた。だから、フラガは切り札を早々に見せたのだ。
『……本気か?』
だが、まだ完全に信じられないと言うようにクルーゼが問いかけてくる。それに答えようとした瞬間、ゼロに衝撃が走る。どうやら、追っ手のMAからの弾に被弾してしまったらしい。
「ちっ!」
コクピット内に響き渡る警告音を耳にして、フラガは忌々しそうに舌打ちをする。
「これでも冗談だというなら、いっそ、連中と差し違えるか……だが、そうしたら、ストライクの隠し場所はわからなくなるぞ。それでも、あの前世紀の亡霊に渡すよりよっぽどマシだからな」
これだけでクルーゼは自分たちをおっている連中が誰の手の者か理解してくれるだろう。フラガの中にそんな希望があった。
『……では、助けてやろう。ただし、お前が言った条件を忘れるなよ』
「もちろんだ」
条件を破棄する気なら、最初から持ちかけない……とフラガは付け加える。
『もう少し持ちこたえていろ。こちらにも発進準備をしなければならないからな』
この言葉とともに、クルーゼの姿がモニターから消えた。おそらく、MSのパイロットへの指示を出すためだろう。
「……艦長達のためにも、俺たちは死ぬわけに行かないんだよ……」
そして、キラのためにすべてをあきらめるわけにはいかない。
フラガは残っている武器の照準を迫ってきたMAへとロックした。