この手につかみたいもの

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「……艦長……よろしいですか?」
 シフトの交代時、さりげない仕草でノイマンがこう声をかけてきた。
「何かしら?」
 ラミアスが立ち止まると、ノイマンが近づいてくる。そして、周囲に誰もいないことを確認してから口を開く。
「……アークエンジェルの航行システムにウィルスが見つかりました……ヤマト少尉がワクチンソフトを組み込んでおいてくれたので、感染する前に除去することが出来ましたが……」
 仕掛けられた経路等がわからない、と彼は小声で報告をする。
「……そう……ところで、このことを知っているのは?」
「自分とパル、トノムラ、そしてバジルール中尉だけです」
 キラとともに乗り込んできた者たちには知らせていない……とかれは付け加えた。
「彼らを信じていないわけではありませんが……万が一と言うこともありますので」
「当然の判断ね……残念だけど」
 最初からアークエンジェルに配属された者たちに関しては、思想に至るまできちんと分析され、問題がないと判断されている。他の艦から流れ着いたと言えば、フラガもそうだと言えるだろう。だが、彼がそのようなことをするとは思えないし、する必要がないといえる。
 だが、ヘリオポリスからの子供達はどうか……というと『是』とは言い切れない。信じてやりたいとは思うのだが、完全に信用できないと『軍人』としてたたき込まれた思考が告げているのだ。
「ともかく、このことは出来るだけ内密に。特に、彼らには……フラガ少佐には私から連絡しておきます」
 引き続き、どこからウィルスが侵入したのかの捜査を頼んでいいか、とラミアスが付け加えれば、ノイマンは無言で頷いた。
「しかし、こういう状況になると、我々がどれだけ彼に依存していたかわかりますね」
 こういう事態が起こったとき、当然のように協力を求められていたのはキラだった。そして、彼は一度も嫌そうな表情を見せることなく協力をしてくれた、とノイマンは付け加える。
「そうね……だからこそ、私たちは彼を無事に解放してあげなければいけないの。この『戦争』という、私たちが彼につけてしまった枷から」
 例え、キラが自分たちではなくコーディネーター達の手を取ったとしてもそれは責めるべき事ではないだろう。むしろ、自分たちとともに彼が行動していることの方がおかしかったと言えるのだ。
 しかし、それはあくまでも『キラ本人』の『意思』で行われた選択でなければならない。
 それをさせるためには、すべてから解放してやるしかないのだろう。
「そのためには、ともかく生き残らなければね」
 信頼しているわ、と付け加えながら、ラミアスはノイマンに微笑みかけた。

「……隊長に頼まれた仕事って何なの?」
 部屋へと戻る途中、アスランがキラに問いかける。
「何って……OSの解析だよ。でも、何のだろう……少なくともMSやMAじゃない、と思う、あれは……一番近いのは、宇宙船のOSかな?」
 キラが小首をかしげつつ、素直に答えを口にした。
「ふぅん……そんなもの、いったい何に使うというのだろう……」
「それを僕に聞かれても……」
 困るとキラは付け加える。
「わかっているよ」
 クルーゼは必要以上の事を口に出すことをしない。むしろ、彼が懇切丁寧に説明をするときは要注意なのだ、と言うことをアスラン達はよく知っていた。それは彼から必要外だと判断されるのと同意語なのである。
 しかし、それはあくまでも自分たちに対してであって、微妙な立場のキラには関係のないことであろうが。
「それよりも、キラ、疲れていない? 先に食事にしようか?」
 それをキラは首を横に振って否定する。
「……また食べたくないって? 駄目だろう。ちゃんと食べなきゃ」
 そんなキラにアスランはため息をつく。
「じゃなくて……なんか疲れちゃって……少し休みたいんだよね」
 気詰まりしちゃったのかな、とキラは苦笑を浮かべた。
「……隊長と一緒にいたからかな?」
「かも」
 居心地は悪くなかったんだけど……とキラは付け加える。
「そう言うことなら仕方がないな」
 確かに、クルーゼの側にいることは精神的な緊張を強いられるだろうとアスランは納得した。自分たちでもそうなのだから、とアスランは心の中で呟く。
「でも、そうすると僕の休憩時間が終わってしまうな」
 どうするか、とアスランは小さく口にした。
「それじゃ、今日もキラに触れられないって事だね」
 そのセリフを耳にした瞬間、キラは体をこわばらせる。アスランの言葉の意味が理解できたらしい。
「どうして、まだ慣れてくれないんだろうね、キラは。あんなにたくさんしているのに」
 嫌いじゃないだろう? と低く笑いながら、アスランはキラの体を引き寄せた。重力がほとんどないこの場所では、それはたやすい行為だ。
「……そう言うところも初々しくて可愛いけどね」
 そのまま耳たぶを咬むようにしてアスランは言葉を口にする。
「……僕は……」
「大好きだよ、キラ」
 だから、僕の側にいてね……とアスランは付け加えた。こう言われてしまえば、キラは何も言えなくなってしまうらしい。困ったように目を伏せた。それでも、腕の中から逃れようとしないキラに、自分が嫌われていないのだと確認出来てアスランは安心できる。
「絶対、誰にも渡さない」
 自分が異常なまでの執着を彼に感じているのはわかっていた。それでもこう言わずにはいられないのは、どこか不安を感じているからだろうか……とアスランは心の中で自分に問いかける。
 時々、キラが自分の知らない表情を見せる。
 離れていた三年間の間にお互い変わらないわけはなかった。だが、それでも本質まで大きく変化するものではないだろう。しかし、キラの表情は全く別人のようなのだ。
 それがアスランに不安を感じさせている。
 いつかそんな『キラ』が自分の前から消えてなくなりそうで……
「そうだ。トリィの修理が終わったよ。ついでに、キラの好きな歌を歌えるようにしておいたから」
 ラクスに渡したハロのように自由に曲を覚えさせることは、そのサイズから不可能だったけどね……とアスランは微笑む。
「……歌?」
「そう。ラクスが歌っているのが好きだって言ってただろう? そう言ったら、ラクスが新しく録音したデーターをくれたから組み込んでみたんだ」
 時間があったら、ハロも作ってあげるけど……と付け加えれば、キラは今日初めて嬉しいという表情を作る。
「でも、ご飯食べてからだよ?」
 すぐにでも会いたいと顔に書いてあるキラに、アスランは最初の話題を再び持ちだす。
「……うっ……」
「と言うわけで、一緒に食べようね」
 言葉に詰まってしまったキラに、アスランは微笑みながらこう宣言をした。

「……駄目です……どうしても、ハッキングを阻止できません!」
 アークエンジェルのブリッジで悲鳴のような報告が飛び交う。
「このままでは本艦は、あちらからのコントロール以外受け付けなくなってしまいます!」
 そして、それが目的なのだろう、とラミアスは判断をする。その目的は、ひょっとしたら『キラ・ヤマト』なのではないか……とも思う。
「……フラガ少佐とカガリさん、それにマードック曹長を呼び出して!」
 咄嗟にラミアスはこう命じた。
「艦長?」
 いったい何を、とバジルールが言外に問いかける。
「万が一の時、ゼロやアストレイ……それにストライクを渡すわけにはいきません。そのくらいなら、ザフトにいるヤマト少尉の元へ行かせた方がましだわ」
 ラミアスの言葉は連邦軍の士官としてはあってはならないものだろう。だが、現在この場にいる者たちはそれに対する反論を口にしない。
 いや、今までに事からする気になれない……と言うべきか。
 どう考えても、今の連邦軍はただ一人の思惟によって動いているとしか思えない。そのためにどれだけの人数の命が失われようとかまわないとすら思っているのではないだろうか。月本部からそんな報告すら寄せられているのだ。
 そして、その人物に迎合する連邦の上層部の者たちもいる。
 現在、アークエンジェルは少数派に属していると言っていい。
「了解しました!」
 即座にミリアリアが作業を始める。一瞬の間の後、三人の顔がモニターへと現れた。
『艦長、状況はわかったが……本当にいいのか?』
 デッキのメンバーを代表するようにフラガが問いかけてくる。
「あいつらの手に渡すよりもマシです。それに、カガリさんがいれば、オーブ支配下のプラントへ逃げ込むことも可能でしょう。私たちのことは、たぶん心配いりません。キラ君に対する人質としての価値がありますから」
 拘束はされても殺されることはないだろう。ラミアスはそう判断していた。だからこそ、今、彼らを送り出そうと思ったのだ。
『わかった。そう言うのなら、俺たちも遠慮はしない。だが、ストライクもというのは……』
「キラ君に会ったときに必要でしょう? ともかく、時間がありません。早く」
 ノイマン達の表情から、どうやら相手に侵入されたことがわかる。このままでは彼らを送り出す前に艦のコントロールを奪われてしまいかねない。
『……無事でいろよ……』
 この言葉を最後に、フラガ達の姿がモニターから消えた。その代わり、まずはエール装備をつけたストライク、その後からアストレイ、最後にゼロとアークエンジェルから射出される。
「無事にキラ君と会えればいいんだけど……」
 ラミアスは祈るように呟く。だが、次の瞬間、表情を一変させる。
「状況は?」
 少しでも彼らが艦を離れる時間を作るために、彼女は出来る限りの指示を出し始めた。


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最遊釈厄伝