この手につかみたいもの
34
開かれたままのドアから男の体が廊下へと吹き飛ばされる。
「……アスラン!」
その光景を目の当たりにしたニコルが、思わずとなりを歩いていた相手に声をかけた。だが、それよりも早くアスランとイザークが移動を開始する。
「キラ!」
「何があった!」
そう言いながら二人はほぼ同時に室内へと踏み込んだ。
次の瞬間、視界に飛び込んできたキラの様子に二人は言葉を失う。
唇の端が切れ、赤い血がにじんでいる。
興奮をしているのか――それとも別の理由からか――キラの瞳が潤んでいた。
それが、信じられないほど艶っぽくてイザークだけではなくアスランもまたキラから目を離せなくなってしまう。
「……アスラン……それに、イザークも……」
ようやくキラは彼らのことを認識したらしい。言葉とともにその瞳から涙がこぼれ落ちる。
「いきなり、あの人入ってきて……押さえつけられて……僕……」
夢中で抵抗したのだ、とキラは付け加えた。
「もう大丈夫だから、ね、キラ」
そんなに怖がらなくてもいいよ、と囁きながら、アスランがキラの体を抱きしめる。素直に彼の胸に包まれたキラは、安心したように小さくため息をついた。
「……なぁ……こいつ、どこの部署の奴だ?」
廊下でのびている男を拘束しようとしていたディアッカが誰と言うことはなく問いかける。
「制服から見ると、一般兵ですよね。少なくともパイロットではないです」
だとしたら見覚えがあるはずだ、とニコルが言う。
「ブリッジのメンバーでも整備員でもないな」
「さすがに機関部の奴らとか何かまでは記憶していないし……隊長の所へ連れて行くのが一番いいだろう」
そうすれば、処分も出すことが出来るとアスランが言い切った。
「それがいいだろうな」
キラの身柄の安全は何に置いても守らなければいけない、というのがクルーゼからの命令だ。それに逆らった者は容赦する必要はないだろうとイザークが頷く。
だが、彼の言葉からはそれ以外の何かを感じ取ることが出来るのはアスランの気のせいではないだろう。
その事実に、アスランは眉をひそめる。
だが、今はそれを追求している場合ではないと思い直す。
「でも、キラさんはどうします? 一人で残しておいて、また馬鹿が出ると困りますよね」
「……連れて行く。どうせ、詳しい話を聞きたいと言われるに決まっているし……俺たちがついているのが一番安全だろう」
誰かがついているという選択肢もあることはある。だが、より安全な方法と考えれば、連れて行く方だろうとアスランは判断したのだ。
「だが、キラの方は大丈夫なのか? まだ怯えているようだが?」
そんな調子で人目にさらしていいのか、とディアッカがアスランに確認を取る。
「キラさんが制服を着てくれればいいのですけど……」
そうすれば目立たないのだろうが、と付け加えるニコルの言葉はもっともなのだろう。だが、彼の言葉を聞いたキラはアスランの腕の中で首を横に振ってみせる。キラの中では自分はまだザフトに一員になったつもりはないという思いが強いのだろう。
本人の意思を無視して連れてきてしまった以上、それは仕方がないとは思いつつも、やはり割り切れないものがある。だからといって、強要することも出来ないというのが事実だ。
「……仕方がないな。それについては、無理強いできるものじゃない」
そんなことをして、これ以上キラを頑なにさせては意味がない。あくまでも自発的に身にまとって貰わなければ意味がないのだ、とアスランは思っている。それは他の三人にもわかったのだろう。ため息とともに頷き返してくる。
「ともかく、行くか。こいつに暴れられても面倒だし」
こう言うとき、重力がないのは楽だよな……と雰囲気を変えるようにディアッカが口にした。
「ですね〜。おかげで、僕でも、こいつを蹴り飛ばせますし」
にこやかな表情でニコルが口にしたのは、とんでもないセリフだ。キラですらそれは違うのでないかと思ってしまったほどである。
「……隊長の所につく前に話が出来ない状況にだけはするなよ」
ため息とともにイザークが注意の言葉を口にした。
「……アスラン……僕……」
キラがアスランの制服の裾を握りしめる。
「ニコル。キラが怯えてるぞ」
それを別の意味にすり替えながら、アスランは苦笑混じりにニコルに声をかけた。
「あぁ、キラさん、今のは冗談ですから」
慌ててニコルが無邪気な微笑みを浮かべる。
「ともかく、ここにこのままいても仕方がない。さっさと行くぞ」
あきれたイザークがさっさと移動を開始した。その後をディアッカとニコルが男を抱えてついていく。
「キラ」
アスランが微笑みとともにキラを促す。それにキラは一瞬ためらうような仕草を見せたが、おとなしく導かれるまま動き出した。
「……それは、ゆゆしき事態だとしか言いようがないな……」
アスラン達から話を聞き終えたクルーゼが言葉を吐き出す。それは普段の彼からはかけ離れた仕草だと言っていい。
「他の隊ならともかく、私の隊で命令違反者が出るとは」
しかも、評議会が自分たちを信用して預けてくれたものを……と怒りを押し殺すのに一苦労している様子がありありと伝わってくる。
「しかし、本当にあの男がうちの隊のものだと決まったわけではないのでは?」
少なくとも、自分たちはあの男を知らない……とイザークが告げた。
「……それに……」
アスランの背後に半ば隠れるようにしていたキラが、ふっと思い出したというように口を開く。
「キラ?」
そんなキラの様子に、アスランがどうしたのかと振り向いた。いや、彼だけではないその場にいた全員の視線がキラに集まる。その視線に怯えたかのように、キラが身を縮めた。
「あぁ、すまん」
イザークが慌てて謝罪の言葉を口にする。それでも視線はそらそうとしないのは、キラの言葉が気にかかるからだろうか。
「何か気がついたことがあるなら、どのような些細なことでもいいから教えてくれないかね?」
クルーゼもまたキラの次の言葉を促すかのように声をかけた。
「キラ、隊長もこうおっしゃっているから」
ね、とアスランがキラを安心させるように彼の肩に手を置くと微笑む。
「……あの人、様子が変でした……何か、表情が全くなかったし、こちらからの問いかけにも答えてくれなくて……」
キラがおずおずとした口調で言葉をつづり出す。
「まるで、暗示をかけられているみたいでした」
その口調が微妙に変化をする。しかし、それに気づいたのはおそらくクルーゼだけであろう。他の者たちはキラの言葉の意味を理解するだけで精一杯だった。
「なるほど……それなら命令違反も納得できるか」
そして、コーディネーターがその未来への鍵を握っている存在を自らの意思で打ち砕くという事態を引き起こそうとしたのではないと言う事が出来るだろう。
だが、代わりにそれではいったい誰がそのような事態を引き起こしたのかという新しい問題が持ち上がってくる。
「しかし、よほど強く頭を打ち付けたのか……それとも君の反撃が的確だったのか。尋問したくともしばらく出来そうにないな」
あれから既に半時間以上経ったというのに男は気がつく様子を見せない。そのことを指してのクルーゼの言葉だった。
「……すみません……夢中でしたので……」
だが、キラはさらに身を縮めると謝罪の言葉を口にする。
「別段責めているわけではない。君の行為は当然のものだ」
だから気にすることはない、と言いながら、クルーゼは仮面の奧からキラを厳しいまなざしで見つめる。だが、幸か不幸かそれに誰も気づかない。いや、見られている『本人』だけは別だったかもしれないが。
「隊長のおっしゃるとおりだ。気にしなくていい」
「そうですよ、キラさん」
少しでもキラを安心させようとアスラン達が次々に言葉を口にする。
「ともかく、彼の側には必ず誰かついているように。そのためのシフト変更は検討しよう」
当分、戦闘はないだろうという彼の判断はもっともなものだろう。そして、現在彼らのG4機とともにクルーゼのシグー、そして僚艦にはジンが4機が搭載されている。万が一の時でも十分対処できるだろう。
「その男のIDを確認させるように。彼の身柄は、医務室へ。精神分析に回せ」
アスラン達ではなく、入口のところで控えていた兵士達に向かってクルーゼはこう命じた。
それを耳にした兵士達は敬礼をするとともに部屋の隅に転がされていた男を抱え上げる。そしてそのまま部屋から出て行った。
「……でも、何故キラを……」
ストライクがない以上、キラがこの船を逃げ出すことは出来ない。そして、徹底してシステムから切り離されている以上、ハッキング等でヴェサリウスを乗っ取ることも出来ないだろう。そんなキラを害する必要などあるのか、というのが四人の偽らざる思いだった。
「それは私にもわからん。だが、実際に事がこってしまった以上、何かが起きていると考えざるを得まい」
だから、より注意を払わなければならないだろうとクルーゼは告げる。
「どうしてもシフトの変更が出来ぬ時は、私が責任を持とう。キラ君をここに連れてくるように」
それがこの場での会話の終わりだ、とクルーゼは態度で示した。
「はっ!」
彼らもまたクルーゼへと敬礼を返すと彼の前から辞すことにする。
「行くよ、キラ」
アスランはキラの肩に手を置くと移動を促す。
「……うん……」
歩き出した彼らとともにキラも移動を開始した。だが、その一瞬前、厳しい視線をクルーゼに向ける。キラの視界を意味ありげな彼の笑みがかすめた。