この手につかみたいもの
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「……あ、あの……」
何でこんな事をされなければならないのか、キラにはわからないらしい。それも無理はないだろうとラクスは思っていた。
「どうしてアスランは、キラ様に教えて差し上げないのかしら……」
困ったような表情で医師団の診察を受けているキラを見つめながら、ラスクは小さく呟く。
彼女がこの場にいるのは、キラを医師団のエスカレートしていく探求心から守るため。それについては異存はない。最悪の場合、彼らはキラを解剖するところまでは行かなくとも、人権を無視した行動に出かねないのだ。
キラがあまりにも特別な存在であるがために……
彼の存在はコーディネーターの希望。
彼がいるからこそ、自分たちの未来は行き止まりではなくなるのだ。
しかし、アスランはその事実をキラに伝えるなと言ってきた。
『キラは……自分が特別だと言うことを嫌っているから』
その理由を問いかけたとき、アスランから帰ってきたのはこんなセリフだった。
第二世代がメインになった自分たちの年代の中で数少ない第一世代のコーディネーター。それ故にいじめられた過去がキラの心の中に傷を作っているのだと。
そんな彼が、本当は全く別の存在だと知ったら、その心がどうなるか保証できない……と言われては、ラクスにはアスランの要請を断ることが出来ない。
「とは言っても、キラ様のことを一番よく知っているのはアスランですものねぇ」
悔しいですけど……とラクスは小さく呟く。
もし、自分がアスランと同じ時期にキラと出会っていたらどうしただろう。
間違いなく、今のアスランと同じようにキラを真綿で包むようにして守ったのではないだろうか。
まして、今のキラはヘリオポリス崩壊以来彼の身に降りかかった事態のせいで傷つきすぎているのだから。
「あぁ、それでアスランはあのようなことを申されたのですね」
少しでもキラの心に負担をかけないように……それでいて彼がここにいていい理由として彼らが出会う前に施されたらしいあれのことだけを教えたのだろう。
そして、それは十分、医師団の行為の理由になっている。
「あら。そろそろキラ様が限界でしょうか」
キラの顔色が次第に悪くなってきていた。それに気づいたラクスがどうしようかと考え込む。
「ハロ、時間。時間!」
どこからともなくやってきた黄色いハロが、彼女の周囲を飛び回りながらこう告げた。どうやら、何かの時間が迫っていることを教えているらしい。それが何なのか……と考えて、ラクスはすぐに思い出す。
「皆様。申し訳ありませんが、キラ様を解放してあげてくださいませ。もうじき、お父様が戻ってが参りますわ」
ラクスの言葉にキラはあからさまにほっとした表情を作り、医師団は残念そうな表情を作る。
「それに、後何の検査が必要ですの? キラ様のDNAもその他のデーターもすべて取り終えられたのでしょう? これ以上は、キラ様にとって負担になるだけです。どうしても必要だというのでしたら、その理由を教えてくださいませ」
にっこりと微笑みながら告げられた言葉に、誰も言い返すことは出来ない。
「ないのですね? では、皆様、おかえりくださいませ。今後のこともきちんと私を納得させてからにしてくださいませね?」
でなければ、これ以上の検査は許可できない……と告げるラクスはいつもと違って厳しい雰囲気を身にまとっていた。あのクルーゼですらそれには従わざるを得なかったのだ。他の者ではなおさらだろう。
「ですが、彼のカウンセリングは……」
それでも何とか食い下がろうとするのは、意思としての好奇心からだろうか。
「皆様の行動はカウンセリングとは思えませんわ。どう見ても、モルモットをつつき回しているようですもの。違いまして?」
微笑みの中にさらに別の意味を含ませながらラクスはそう指摘をした。その瞬間そらされる視線が、彼女の言葉が間違っていないことを如実に表している。
「ラクス?」
僕なら……とキラが言いかけた。
「キラ様、顔色がお悪いですわ。お疲れになったのでしょう? キラ様が倒れるようなことがあれば、私がアスランにしかられてしまいます」
ですから、無理はなさらないでくださいませ、と言ってラクスはそれを封じてしまう。
「第一、約束の時間を過ぎているのですもの。いつまでもそれを認めていては、これからますます大変になりますわ」
キラ様、またおやせになりましたし……と微笑めば、キラがそれ以上何も言えなくなってしまうことは知っていた。
目の前のキラの表情に少々罪悪感を覚えつつも、ラクスは何としても彼をこれ以上
追いつめさせないために出来る限りのことをしようと決意をする。
「そう言うことですから……キラ様、今度は私におつき合いくださませ」
愛らしいと称される微笑みを浮かべると、ラクスはキラの手を取った。
「……何と言えばいいのだろうな……」
部屋からラクスとキラが出て行ったのを確認して、クラインは小さく呟く。
「あれでは、ずいぶんとまた辛い思いをしただろうに……」
それが何を指しての言葉か、その場にいたものにはわかってしまう。
「一番戦争に向かない性格をしていながら、一番最適な能力を与えられている。確かに本人にしては不幸でしょうね……」
顔にかかる銀色の髪をかき上げながら、エザリア・ジュールが頷いた。
「とはいうものの、あの才能、このまま捨て置くのはもったいなかろう」
「確かに。本人の存在の貴重さに加えて、あれではな」
ザフトの勝利を確実なものにするには、このまま本国に置くのは宝の持ち腐れというものだ、と付け加えたのはダット・エルスマンだった。
「だが、彼を失うわけにはいかないのでは? 彼の遺伝子が子孫にどのように遺伝をするのかを確認しなければ……」
「だが、その前に我々が勝利をしなければ意味がない」
目の前で繰り広げられる議論に、クラインは黙って耳を傾けていた。だが、さりげない仕草で、同じように議論に口を挟むことなく見つめているパトリック・ザラへと視線を向ける。
それに気がついたのだろうか。彼が意味ありげな笑みを口元に浮かべるのがわかった。
「ともかく、彼の身柄はクルーゼ隊長に預けておけばよいのでは? どうやら、システムの開発に関して彼と肩を並べるものは少ないとの事だし、クルーゼ隊長であれば沈むと言うことはあるまい。幸い、愚息と彼は知り合いなのでね。その間に説得をさせることも出来よう」
そして、淡々とした口調で言葉をつづり出す。それはあらかじめ考えられていたもののようにも思える。
「……いったい何を考えているんだ……」
問いかけても答えが返ってこないことはわかっていた。それでも呟かずにはいられない。
「もちろん、皆様のご子息にも協力を願わないわけにはいかないだろうが」
だが、そのつぶやきはパトリック・ザラの声にかき消された。
「……静かすぎるな……」
ブリッジに上がっていたフラガが、ふっとこんなつぶやきを漏らす。
「その方がよろしいのでは?」
戦闘がなければ、それだけ無事につきにたどり着ける可能性が強くなる、とバジルールが言外に付け加える。
「いや、月からも連絡がないっていうのは、ちょーっと気にかかってな。上がってきた時点で、どのコースを取るかという指示ぐらいあってもいいと思わない?」
違うか、と問いかけられてバジルールは頷く。
「確かにそうかもしれないわね。静かすぎる……」
納得したというようにラミアスも口を開いた。
「それでも、月へ行かなければならないんだけど……警戒だけは怠らないようにしましょう」
月の連合軍本部がザフトの手に落ちたとは思わない。
だが、連合軍だとて決して一枚岩ではないのだ。
上層部で何かごたごたが起きているとしても不思議ではない。
実際、過去にもそのようなことはたびたび起こっていた。しかし、この戦時にそんな馬鹿なことをするとは思いたくない……とその場にいた誰もが思う。
だが、そんな馬鹿なことをするのがいわゆる『偉いさん』だと言うことをフラガはよく知っている。
「こういう点だけは、あちらさんがうらやましいよな」
ザフト内部でそんなごたごたが起きていると聞いたことはない。そう言う点に関しては、盤石だと言っていいだろう。
「フラガ少佐!」
だが、それを聞き流してくれるものばかりではない。案の定、バジルールがしっかりとつっこみを入れてくれた。
「単なる事実だろう。トップがしっかりしているから、末端まで安心して戦うことが出来る。俺たちの状況がそうだと言い切れるか?」
実際、ルートも情報も回されてきていないぞ、とフラガは告げる。
「……それは……」
「まぁ、行っても仕方がないことだとはわかっているがな」
マジで勘弁して欲しいよ……と付け加えつつ、フラガはブリッジから出るべく体の向きを変えた。
「フラガ少佐?」
「経験から言わせてもらえれば、こう言うときはやばいんだ。下手をしたら急襲されるかもしれん」
まぁ、あくまでも可能性だがな……と付け加えつつ、フラガは床を蹴り、そのままドアをくぐる。
「気を引き締めろ、と言う事ね」
そんな彼の背に、ラミアスの声が届いた。