この手につかみたいもの

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「キラさん、入りますよ?」
 インターフォン越しに断りを入れると、ニコルはドアのロックを外した。そして、そのまま室内に足を踏み入れる。
 だが、キラは手元から顔を上げようとはしない。あるいは、自分が部屋の中に入ってきたことも気づいていないのではないか、とニコルは苦笑を浮かべた。
「キラさん、食事の時間ですよ?」
 キラの側へと歩み寄りながら声をかける。
「……いらない……」
 どうやら気がついていなかったわけではないらしい。反応があったことは喜ぶべきなのだろうが、内容は困ったものだ。
「そう言わないでください。ちゃんと食べないと体に悪いですよ?」
 アスランにも言われていますし、と少し語調を強めながらニコルはキラの肩を掴む。
「ごめんね。本当に今は食べたくないんだ……もう少ししてからじゃ、駄目かな?」
 ようやくモニターから顔を上げたキラが告げた言葉の裏には、空腹を覚えていない……と言うことの他に意味があるように感じられる。
「理由を教えて頂けますか? それによっては考慮しますけど」
 そう言いながら、ニコルはいすを引き寄せるとキラの側に腰を下ろした。
「……見られるから……」
 そんなニコルから目をそらすように、キラは再びモニターへと視線を戻す。そして、小さな声でこう告げる。
 ぼそっと呟かれた言葉の意味を、ニコルは最初理解できなかった。だが、すぐに自分が口にした質問の答えなのだろうと判断をする。
「そうは言われても……アスランや僕だってキラさんを見ていますよ?」
 それも嫌なのか、と言外に問いかければ、キラは首を横に振った。
「アスランは……たまに怖いと思うけど、嫌だとは思わない。ニコルも同じ……でも、他の人の視線は、嫌だ」
 ブルーコスモスの人と変わらない……とキラは吐き出す。
 次の瞬間、ニコルは思いきり眉を寄せる。そんなことはないと否定したくても、キラに絡みつく好奇の視線に気付いていたことは事実だし、その上、比較された対象が対象だ。キラにとってどれだけ嫌なことか想像できてしまう。
 もっとも、彼らの方の事情もわからないではない。
 先日まで敵軍のエースパイロットだったキラをすぐに受け入れろと言うのは心情的に難しいのだ。
 だが、命令であれば従わざるを得ない。
 そう言った複雑な思いが視線の中に含まれているのだろう。
 それはわかるが、確かにあまりいい環境とは言えない。これで、食事すら取ることを否定されたらどうなるのか、とニコルはため息をつく。
「……慣れていると言えば、慣れているんだけどね……」
 そんな視線にさらされるのは、とキラが吐息とともに言葉を口にした。
「でも……」
 そのせいで食べられなくなるのだ、とキラは言外に付け加える。
 考えてみれば、キラが一回に食べる食事の量はニコルの半分もない。そう言うニコルだとて、パイロット達の中では決して大食らいというわけではないのだ。
 そんな自分よりも食べない――あるいは食べられない――キラは、いったいあちらでどんな生活をしていたのか、とニコルは思う。
「最近は、それでもかなりましになった方なの、かな?」
 とりあえず三食食べないうちは席から離れさせてもらえなかったから……とキラはどこか遠くを見るような視線を虚空に向けた。その先にあるのは、アークエンジェルにいる仲間達なのだろうか。
 と言うことは、あそこには『コーディネーター』である彼をそのまま受け入れていた人々がいると言うことでもある。
 いったいどちらの方がキラにはよかったのか。
 だが、どちらがより彼を必要としているか、と考えれば自分たちだとニコルは思う。
「わかりました。なら、こうしましょう。食事を運んできますから、ここで一緒に食べてください」
 自分とアスランの視線は嫌じゃない、というのであればその方が彼のためだ。同時に、キラに対する嫌がらせを少しでも解消するための根回しの時間を得られると言うことでもある。そう判断をして、ニコルはこういった。
「でも」
「少しでもキラさんの食が進むのであれば……僕が言っても意味がないかもしれませんけど……もう少し体重をつけないと、きっと倒れますよ」
 それに、ゆっくりお話をしたいですし……とニコルは微笑むと腰を上げる。
「ですから、片づけをしておいてください。このままではトレイがおけませんから」
 いいですね、と微笑むニコルに、キラは頷いて見せた。

 それからというもの、キラの食事は部屋で……というのが普通のことになってしまった。問題なのは、誰がそれを運んでいくかなのだが……
「アスラン?」
「こう言うときに限って勤務が重なるか……」
 既にヴェサリウスはザフトの勢力圏内に入っている。だから、連邦軍との戦闘はないだろう。しかし、それと軍務とは別問題なのだ。
「……休憩に入っているのは、イザークだけですし……」
 せめてディアッカも一緒であればまだましだったんですけどね……とニコルもため息をつく。
「食べさせないわけには絶対いかないし……しかたがないな……」
 妥協するか……アスランが渋々といった様子で口にした。
「他に方法がない以上、しかたがありませんよ。それに、イザークでも隊長命令がある以上、キラさんに危害を加えることはないかと……」
「そうは思うが……まぁ、食事を運んでさえ貰えばいいのか」
 キラ一人で食べさせることになるが、その方がましなのではないか……とアスランは判断をする。もし全部食べられなかったようならば、自分が休憩に入ってから改めて付き合わせればいいだろうし……とアスランは心の中で付け加える。
「まずはイザークを捕まえないとな」
 どう切り出すか、と心の中で呟きつつアスランは移動を開始した。
「たぶん、控え室だと思いますけどね」
 あるいは食堂か。
 どちらにしても経路の途中だ。イザークを見つけることはそれほど手間にはならない。
 問題があるとしたら、彼をその気にさせることだろうとアスランは思う。
 イザークがキラに興味を抱いていることはわかっている。
 そして、既に彼の中にキラに対する敵愾心がないことも。
 アスランにとって問題なのは、その興味の種類だ。
 ニコルのように単なる『好意』ならいい。もし、自分と同じものだったら、二人きりにするのは怖い。
 キラの気持ちが彼に向かないとは言い切れないのだ。
 もし、そうなったら自分はどうするのだろう。
「……こっちの方が怖いか……」
 キラを傷つけることは出来ない。それだけは分かり切っているが、その怒りがどこに向けられるのか、アスランは自分でもわからない。
 自分の気持ちが、キラを傷つけることがなければいい、とアスランは本気で願っていた。
 そんな気持ちを抱きながらも、アスランはイザークを捕まえるとキラの食事の件を切り出した。
「……わかった……あいつに食事を届ければいいんだな……」
 アスラン達の話を聞いた瞬間、イザークは意外なほどあっさりと頷く。
「放っておくとあまり食べたがらないからな……せめて半分は食べるように声をかけておいてくれ」
 もっとも、側についていないとキラは一口、二口食べたところでさじをおいてしまうのだが、アスランはあえてそれをイザークに伝えない。
 一方、イザークの方もアスランのセリフに眉をひそめた。
「ずいぶんとまた甘やかしているようじゃないか」
 だが、すぐにからかうような口調でこう言う。
「……と言うよりは、精神的なものだと思いますけど……あちらで何があったのか、想像するしかできませんが……ブルーコスモス関係者が避難民にいたようですね、キラさんのお話だと」
 途中からその人達が隔離されたようだが、一度落ちてしまった食欲はすぐに戻らなかったそうです、とニコルが説明をする。
「……戦闘によるストレスもあっただろうからな……」
 その中には自分と戦うと言うことから生じていたものもあるだろうとアスランは確信していた。でなければ、あんなに辛そうな視線を自分に向けてこないだろうと。
「僕たちは訓練でそれを解消する方法を身につけられましたけど、キラさんは違いますから」
 プラントにいたら――あるいは、ザフトに保護されていたら――間違いなくキラはMSに乗ることなどなかったのではないか。
 たまたまナチュラル側につかざるを得ない状況に追い込まれてしまったから、キラはストライクのパイロットとして戦場へと駆り立てられることになってしまった。
 それは間違いなくキラにとっては悲劇だっただろう。
「どうせ、これから俺も食事だ。付き合ってやってもかまわない」
 イザークはいつもの口調を取り戻すとこう告げた。
「くれぐれも、キラさんの神経を刺激しないようにしてくださいよ」
 ニコルが笑顔とともイザークに釘を刺している。それをありがたく思いながら、アスランは自分たちに背を向けるイザークの背を見送っていた。


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最遊釈厄伝