この手につかみたいもの

BACK | NEXT | TOP

  25  



「キラ、準備できた?」
 そう言いながら、アスランが振り返る。
「……僕の持ち物なんて……トリィだけじゃないか……」
 ベッドに腰を下ろしながらキラが小さな声で呟く。
 確かにそれは間違いではない。
 彼が身につけていた物も含めて拉致されてきたときの物で残っているのはトリィだけだ。それまで取り上げてしまったら、キラの心が傷つくだろうと判断してのことである。
 しかし、こんな反応を返されるとは思っても見なかった……というのがアスランの本音だ。
「まぁ、いいけどね。そのうち、ラクスがキラの分の着替えを送ってくれるって言ってたし……」
 それから増やしていけばいいよ、とアスランは微笑みを向けながら口にする。それに、キラは小さなため息で応じる。
「……アスラン……」
 そして、意を決したような表情で呼びかけてきた。そんな些細なことでも嬉しくなってしまう自分にアスランは苦笑を禁じ得ない。
「何?」
 そう言いながらキラの隣に腰を下ろせば、彼は一瞬身をこわばらせる。だが、それはすぐに消えた。その事実も、アスランには嬉しいことの一つだった。少しずつとは言え、キラが自分に心を許してくれるような気がして。
「一つだけ、聞いてもいい?」
 菫色の瞳を上げると、キラはまっすぐにアスランを見つめてきた。そして、こう問いかけの言葉を口にする。
「僕に答えてあげられることならね」
 言外に、軍の機密はいくらキラ相手でも教えられない、とアスランは告げた。
「わかってる……僕だって、そのくらいは」
 一応、軍人だったから……と口にしながら、キラは口元に苦笑を浮かべる。その事実を確認していたとは言え、彼の口から出たそのセリフにアスランは忌々しさを感じてしまう。もっとも、それをキラにぶつけるつもりはないが。
「……ネイティブコーディネーターって何?」
 一瞬、キラの言葉の意味が理解できなかった。
「キラ?」
 何を言っているんだ、と視線で問いかける。
「イザークさんが言ってた。僕がネイティブコーディネーターだって……」
 それって何、とキラが再び問いかけてきた。
「……イザークの奴……」
 余計なことを……とアスランは呟く。
 出来れば、ぎりぎりまでキラにその事実を伝えたくないとアスランは思っていた。ただでさえ自分が『第一世代』の『コーディネーター』であるという事をマイナス要因として受け止めていた彼だ。自分がコーディネイトされた存在ではなく、突然変異だと知ったらさらに落ち込んでしまうだろう。
 ひょっとしたら、ようやく開きかけてくれた心をまた閉ざしてしまうかもしれない。
「アスラン?」
 急に黙ってしまったせいで不審に思ったのだろう。キラがほんの少しだけ語調を強めて自分の名を呼んでくるのを聞きながら、アスランは必死にどう説明をするべきかを考えていた。
「……僕たちも詳しいことは知らされていない……ただ、コーディネーター全体の、未来を守るためには絶対失ってはいけない存在だとしか……」
 知らされていない、とアスランは口にする。同時に、他のメンバーにも――そして、これからキラを調べ上げようと手ぐすねを引いている連中にも――決して真実を告げないように釘を刺しておかなければ、と心の中で付け加えた。
 そう、せめてキラの心がもっと安定するまでは。
 おそらくその理屈がクルーゼには通用するだろうという妙な確信がアスランにはある。研究者達にはラクスの方から手を回して貰えばいいし、とも。
 例えその裏にどのような思惑が隠れていようと使える物は使い倒す、とアスランは心の中で付け加えた。
「……そう、なんだ……」
 だから、自分は捕虜としては甘い扱いを受けているのか、とキラは呟く。
 もし、自分が彼らの望む存在でなければ、無条件で命をつみ取られるのだろうとも……
「大丈夫だよ、キラ。お前は俺が守る。もう、他の誰かに傷つけさせたりしない」
 だから、どこにも行くな……と囁きながら、アスランはその体を腕の中に閉じこめる。
「……アスラン、僕は……」
 それにキラは何かを言い返そうとした。
「大好きだよ、キラ」
 だが、それをアスランは自分の唇をキラのそれに重ねることで封じ込める。
「お前がいなくなったら、自分でもどうなるか、自信がないからな……」
 呟かれた言葉に、キラは静かに目を伏せた。

 アスラン達に囲まれるようにして、キラはシャトルへと乗り込んだ。と言っても、こちらのシャトルに乗っているのはMSの搬送の関係でアスランとニコルのみ。クルーゼと他のパイロットはもう一隻のシャトルへと乗り込んでいた。
「降りてくるときはあんなに大変だったのに……」
 戻るときは簡単なんだ……とキラは小さく呟く。
「キラ?」
 どうやらキラが何を言ったかまでは聞き取れなかったらしいアスランが問いかけるように聞き返してくる。
「……降りるときは灼熱の中だったのに、帰りは柔らかなシートに包まれて帰るんだなって思っただけ」
 それでも言葉を返したのは、彼に対する気持ちが少しだけとは言え変化してきたからだろうか。それとも、毎日のように仕掛けられてきた行為に精神が疲弊してしまったのか……
 少なくとも、今のアスランは怖くない、と心の中で呟く。
「……そうだったな……」
 イザーク達との戦闘の後、キラもストライクで大気圏突入という羽目に陥ったんだった……とアスランが口にするのが耳に届いた。
「あの後、大丈夫でした?」
 そう問いかけてきたのはニコルの方だ。
「……あの……」
 その意図が今ひとつ理解できずにキラは困ったような声を漏らす。あの時点で自分たちはまだ敵だったのに、何が大丈夫だというのだろうか、と思ったのだ。
「熱が出たんじゃないのか……どうせナチュラルの医者には何も出来なかったんだろう?」
 それに関しては事実だが、彼らは出来る限りのことをしてくれた……とキラは心の中で呟く。
「ちゃんと看病して貰ったから、大丈夫だったよ。あの後の戦闘も何とかなったし」
 少しだけとげを含んだ口調でキラは言葉を口にする。その瞬間、言わなくてもいいことまで口にしてしまったのは、彼の中の怒りがそれだけ大きかったと言うことなのだろう。
「……ごめん、キラ……言いすぎた」
 キラにとって『仲間』を悪く言われることは自分の悪口を言われるよりも怒りをかき立てられるものだ、という事実を思い出したのだろうか。アスランが即座に謝罪の言葉を口にしてきた。
「……アスランがみんなを嫌っているのは知っているけどね……」
 それにキラはため息とともにつぶやきを漏らす。
「でも、僕にとってみんなは大切な『仲間』なんだって事は忘れないで欲しい」
 好きで彼らと別れたんじゃない……と口にしなくても彼らにはわかるのだろう。アスランが小さくため息をつくのがわかった。
「……じゃ、キラにとって僕は何?」
 そして、こう問いかけてくる。彼の瞳の奧に、キラの恐怖を煽ってくれる光が見え隠れしていた。
「……親友……」
 それに気圧されてしまったのか。キラは一瞬のためらいの後にこう口にする。
 もちろん、それはキラの本心だ。
 だが、アスランがそれ以上を求めているらしいことも薄々だがわかっていた。わかっていたがそれを受け入れられるかどうかというとまた問題だが。
「この状況だと、そう言ってもらえるだけで満足しなければならないんだろうけどな」
 アスランがため息とともに言葉を吐き出す。
「そうですよ、アスラン。キラさんにしても、まだ気持ちの整理をつけられる位時間が経っていないでしょうし、地上ではアスラン以外の人とほとんど顔を合わせていなかったのですから、僕たちのことも知ってもらっていません。キラさんがあちらの人を懐かしんでもしかたがないのではありませんか?」
 自分たちのことを知ってもらえれば、そんなことを考えている時間はなくなるだろうと付け加えるニコルの意見は正論かもしれない。
「……そうだな……考えておこう」
 それでも、キラの身柄は自分の手元にあるのだ。彼を他の誰かと会わせる会わせない関してはアスランの意思が尊重される。ニコルの意見をどう思っているのか、曖昧なセリフを彼は口にした。
「それより、そろそろ出発だな。キラ、ベルトはちゃんと締めたよな?」
 お前は時々大切なことを忘れるからな……と言いながら、アスランはキラのシートベルトを確認する。その彼の瞳には先ほどの光はもう跡形もない。あるいは、強い精神力で押し隠しているだけかもしれないが、キラにはそれを確かめることは出来なかった。
「……人のこと、信用していないわけ?」
 その代わりというように唇をとがらせる。
「そうじゃない。ただ、心配なだけだ」
 昔のことを知っているから……と言われてしまえば、思い当たる節がありすぎるキラだ。それ以上は何も言えない。
「……何なら、眠っててもいいぞ」
 ベルトは心配ないようだし、これからすることもないから……といいながらアスランがキラの髪に触れてくる。
 その言葉にうながされるようにキラは瞳を閉じた。そして、心の中だけでアークエンジェルの無事を祈る。
 エンジンの振動が、そんなキラの体を包み込み始めた。
 ゆっくりとGが体にかかる。
「ようやくこの重力の底から離れられますね」
 嫌いではないが、心地よいとは思えない……とニコルが口にするのがキラの耳に届く。
「そうだな……ここが俺たちにとっても血の源であるはずなんだが……」
 ここは自分たちの世界ではない、とアスランも頷いている。
 そうなのだろうか、とキラは心の中で呟いた。
 少なくとも、自分はそんな風には思わなかったと付け加える。
 確かに違和感があったが、それはすぐに消えた。そして、あの空と海が交わる光景には目を奪われた。
 これもまた、第一世代と第二世代の差なのだろうか。
 それとも別の理由からなのか。
 答えを探そうとしてキラはやめる。決して答えが出ないと言うことが今までの経験からわかっていたのだ。
 考えることを放棄してしまえば、今のキラに出来ることはない。
「出発だな」
 アスランの声を聞きながら、キラは眠りの中に逃げ込んだ。


BACK | NEXT | TOP


最遊釈厄伝