この手につかみたいもの
10
公園の片隅に置かれたベンチ。フラガと別れたキラは何気なくそこに腰を下ろした。
「……ここ……昔、家の側にあった公園に似ている……かな?」
そこで、幼い頃の自分とアスランはよく遊んでいたのだ。
しかし、今は……
「……もう、君には会えないんだよね……」
君の手を振り払ってしまったのだから、と心の中で付け加えたとき、キラの唇からは知らず知らずのうちに旋律がこぼれ落ちる。
空に輝く星は
あの日見た星と同じでしょうか。
君と見た星空は
指の中から滑り落ちて
もう届かない……
それは歌と言うにはささやかすぎるものだったかもしれない。だが、キラは自分が歌っているという事実に驚きを隠せなかった。
アスランの手を拒んでからと言うもの、いや、ストライクに乗って初めて人をしてからと言うもの、自分の心の中に旋律など浮かんでこなかったのだ。その事実は、自分が祈ることすら許されないのかとキラを苦しめていた。
そして、自分が歌えるという事実すら脳裏からかき消していたのに……
どうしたことか、今は自然に旋律があふれ出ている。
「あの……涙、拭いた方がいいですよ?」
「えっ?」
不意に声をかけられて、キラは慌てて声がした方に視線を向けた。
まず目に飛び込んできたのは柔らかな若葉色の髪。そして、その下で優しい光をたたえているトパーズの瞳だった。彼が優しい微笑みと共にハンカチを差し出している。
「あれ? 僕……」
泣いてたんだ……とキラはようやく気がついたというように呟く。
「……何か、お辛いことでもあったのですか?」
そんなキラの仕草に少年が問いかけてくる。
「失礼ですけど……貴方、コーディネーターですよね」
視線だけで彼はキラの隣に腰を下ろす許可を求めた。キラはそれに瞳を伏せることで答える。
「……やっぱり……わかりますか……」
隠そうと思っても、その違いは明確なのか……とキラはため息をつく。
隠し通せるものなら、ずっと隠しておきたい。それができないから、あれほどまでに自分は彼らから拒絶されてしまうのだ。
「僕もそうですから」
だが、少年の口から出たのは意外なセリフだった。
「そう、なんですか?」
確かによく観察すればそうだとも思える。コーディネーターはみな一様に中性的な容貌をしているので。だが、ナチュラルの中にもそう言う容貌の者がいないわけではないのだ。
「……すみません……僕の周囲には、コーディネーターはあまりいないので……」
気がつかなかった、とキラは素直に口にする。
「いえ、かまいませんよ。中立国と言ってもここもナチュラルの方が多いようですから」
キラの言葉に気にしないでと言いつつ付け加えられた言葉から、少年はキラがこのコロニーの人間だと思っているようだ。それならそれでかまわないとキラは思う。どうせ、今だけの出会いならば、自分が大切な人を裏切っていると知られない方がいいと。
「きれいな声でしたので思わず声をかけさせて頂きましたが……辛い歌でしたよね」
よければ理由を教えてくださいませんか? と言われて、キラはどうしようかと悩んでしまった。
「……親友がプラントにいるので……もう二度と会えないかと思ったら、つい……」
そして、嘘ではないが真実でもない言葉を口にする。
「そうですか……でも、いつまでも戦争が続くわけないですよ。貴方はコーディネーターなんだし、戦争が終わったらプラントへいらっしゃればいいんです」
彼のこの言葉がキラには引っかかってしまった。
と言うことは、彼はこのコロニーやその周辺の人間ではなくプラントに住んでいる人間だということだろう。そして、こんな時期にここにいると言うことは、間違いなくザフトの人間だと言うことはキラでも推測できた。
どうしよう。
キラが思わず心の中で呟いたときである。
「坊主! 帰るぞ」
フラガの声が公園の入口の方から聞こえてきた。
「すみません。待ち人が来たようですので」
これで失礼します……とキラは少年に告げると立ち上がる。そして、まるでその場から逃げだそうとするかのようにフラガの側へとかけだしていった。
「……あの人……」
少年――ニコルはそんな彼の言動に違和感を覚えてしまう。
「あっちの男は連邦軍の奴らしいぜ」
そんなニコルの背後からディアッカが現れた。二人はクルーゼからの命令でブリッツを使いこっそりとこのコロニーへと潜入していたのだ。
「……そうなんですか。でも、だったら何故……」
「あるいは、脅迫でもされているのかもしれないな」
連邦軍の連中ならやりかねない……とディアッカが憎々しげに告げる。
「そうですね」
少し言葉を交わしただけだが、ニコルにはキラがとても望んで彼とともにいるとは思えなかった。と言うことは、何か特別な事情があるのだろうとも思う。
「……だからといって、アイツをどうにかして連れて帰るって言うわけにもいかないしな……忘れるしかねぇだろう」
任務外のことだし、とディアッカは付け加える。
「わかっているのですけどね」
「まぁ、お前としてはあの声に惹かれたんだろうがな」
音楽なんぞやっている奴の趣味は俺にはわからん……と言いながらディアッカは歩き出す。
「ディアッカ?」
「隊長からの用件はすませた。早々にガモフに戻るぞ。でないと、イザークが怖い」
何をしているかわからないからな……と言われてしまってはニコルとしても頷かずにはいられなかった。確かに今の彼を止められるのは自分たちぐらいなものだろう。
それでも、ニコルはキラのことが心残りでしかたがなかった。
ハルバートンの心遣いで、アークエンジェルともストライクとも無関係の生活に戻れる可能性はあった。
しかし、それをキラから遠ざけたのは友人達の行動だったのは言うまでもない。
そして、大切な過去を捨ててまで護ろうとした人々はデュエルのライフルによって星の中に消えてしまった。
地球へと落下する灼熱の世界の中でキラの心は冷たく凍り付いていった……