この手につかみたいもの
09
このことが契機になったわけではないだろう。
だが、二人の関係がほんの少し変わり始めた。
それは、周囲が気づかないほど、ゆっくりとしたものではある。だが、キラがフラガに甘えるような視線を向けるようになったのは事実だった。
そして、二人がまるで児戯のような行為を行うようになったのも……
第八艦隊と連絡が取れたのはそれからすぐのことだった。
本来ならば、そのまままっすぐに合流できればよかったのだ。しかし、アークエンジェルのエンジンがいきなり不調を訴えてきた。
「……しかたがありません……一度、MZ−2へ寄港しましょう……」
報告を受けたラミアスがこう口にする。
「艦長! ですが……」
連邦に所属しているコロニーならば妥協できる。だが、MZ−2はオーブ所属のコロニーだ。そのようなところで連邦の機密とも言えるアークエンジェルを修理していいのか。バジルールはそう言いたいらしい。
「確かにそれしかないだろうな。あそこには連邦の嘱託のドックがあったはず。何とかなるだろう」
だが、フラガまでがラミアスに賛同しては黙るしかないだろう。
それ以前に、このままでは合流ポイントに辿り着くことはおろか、ザフトの攻撃を受ければ沈むしかないと言うことはバジルールでも理解できている。ただ、彼女は少しでもマイナス要因を作りたくないだけなのだ。
「それに、あそこは非武装地域だからな。あちらさんとしても戦闘を仕掛けては来ないって」
そんなことをすれば、彼らは二度とその空域での補給は不可能になる。それどころか、最悪の場合、オーブも敵に回すことになってしまうだろう。
「わかりました」
系統立てられたフラガの言葉に、バジルールはようやく頷いて見せた。
MZ−2へ辿り着いたアークエンジェルはドックでの修理を受けることができた。そして、それが完了するまでの時間、ほんのわずかだが上陸も認められた。
しかし、キラは友人達とではなくフラガと行動を共にするようにという条件付きでだったが……
「……そんなに僕は信用されていないのでしょうか……」
フラガの隣を歩いていたキラがぼそっとこんなセリフを呟いた。どうやら、さっきからまた落ち込んでいたのはそれが気にかかっていたかららしい。
「馬鹿」
どうしてこの子供はすべての原因が自分にあるなどと思ってしまうのか。
それでも、こうして自分には愚痴めいたセリフを言えるようになっただけマシになったのだろうとフラガは思う。
「信用してないなら、最初から外出禁止にされるだろうが」
手を伸ばすとそのままキラの頭を手で撫でる。
「俺たちが心配しているのはあのブルー・コスモスかぶれの連中が坊主を傷つけることだって。だから、俺と一緒なの。連中だって俺の側にいる坊主に何かする勇気はないだろうしな」
だから、俺の側が一番安全なわけ……と笑われて、キラは困ったように瞳を伏せた。まさかそれでフラガが付き合ってくれたとは思わなかったのだ。
「すみません……」
そして、その姿勢のままキラは小さく呟く。
「気にしなくていい。俺だってそれなりに用事があるんだし……坊主用の薬は最優先して入手しなければならないもんだしな」
ナチュラル用ならアークエンジェルにも十分にある。だが、一番危険なポジションにいるキラのためのそれは全くなかったのだ。最低でも痛み止めや熱冷ましなどと言ったものは必要だろうとフラガは言外に付け加える。
「第一、どうせなら気の合う奴と出かけたいしな」
でないとつまらないだろう、と言われて、キラは驚いたように視線をフラガへと向けた。まさか彼からそんなことを言われるとは思っていなかったのだ。
「……僕、迷惑じゃないんですか?」
小さな声でキラが問いかけてくる。
「だったら、あんなことしないと思うぞ?」
嫌いな相手と抱き合う趣味はない……とフラガが付け加えた瞬間、キラの頬がうっすらと染まった。そんな彼の様子が可愛いと思う自分は終わっているかも……と思いつつさらにフラガは口を開く。
「それとも坊やは違うのか?」
嫌いな奴でも気持ちいいことをしてくれればいいのか、と耳元で囁かれてキラは首を横に振ってみせる。
「そう言うこと。オコサマは余計なことは考えなくてもいいの」
フラガはこう口にしながら、キラの肩に手を置く。そして、そのまま道を変えた。
「大尉?」
「わりぃ。ちょっと野暮用と思い出した。付き合ってくれ」
かまわないよな、と言われて、キラは素直に頷く。
人が多いところはあまり好きではないが、フラガと一緒にふらふらしているのは楽しいから……とキラは心の中で呟いた。それが彼の耳に届いたわけではないだろうが、フラガは彼の体を自分の側へと引き寄せる。
そのまま歩いていけば、まるでマッチ箱を積み重ねたような小さなビルが目に入ってきた。その前には小さいながらも公園らしきものがある。
「そこで待っててくれ。すぐ終わるから」
ビルの前でキラの体を解放すると、フラガは公園の方を指さす。
「かまいませんけど……僕が聞くとまずいことですか?」
「……軍関係の話だからな。民間人の坊主には内緒。まぁ、志願する気があるなら話は別だが」
遠慮しておきます……と口にすると、キラはそのまま指示されたとおり公園へと足を運んでいく。それを見送ると、フラガはビルの中へと足を踏み入れた。
そのまま迷うことなく二階へと進んでいく。
「……久しぶりだな」
ドアを開けると同時にフラガは口を開いた。その蒼い瞳に映っていたのは、同じくらいの年齢の男だった。ただ、彼の顔には大きな傷跡がある。
「何のようだ?」
フラガを見た瞬間、相手は嫌そうな表情を作った。だが、それになれているらしいフラガは気にする様子を見せない。
「ちょっと調べて欲しいことがあってな」
そう言いながら、勝手にいすを引き寄せると腰を下ろす。だが、その位置は公園にいるキラの姿が見える場所だった。
「あそこにいる坊主のことなんだが……」
キラを指さしながらフラガはさらに言葉を続ける。
「あの坊主、どうやらかなり厄介な存在らしくてな。坊主の記憶とIDのデーターがまったく違っている。その原因を知りたい」
でないと、護ってやろうにも護ってやれないからな……とフラガは付け加えた。それに初めて男は興味を示す。
「誰にも本気にならないのが『ムウ・ラ・フラガ』という男じゃなかったのか?」
おもしろそうな口調で彼が言葉を投げかけてくる。
「巻き込んじまった責任があるし……それに、ちょっと気になることがあってな。坊主の年からして可能性は少ないが……強化研が関わっているかもしれない。だとしたら、マジにならないといけないだろう?」
「……確かにな。あの野郎が関わっている可能性があるなら、お前の気持ちもわかる。よかろう。調べておいてやるよ。必要な資料はあるのか?」
にやりと笑いながら、男はこう言った。その瞬間、フラガの肩から力が抜ける。
「すまんな、マックス。一応、このディスクに入っている。報告は、いつもの方法でかまわんが、できるだけ早く頼む」
時間がないのだ、とフラガは彼――マックスに告げた。
「らしいな」
お前が俺の所にわざわざ足を運ぶほどだ……とマックスは笑い返す。
「悪かったな」
そう言いながら、フラガは何気なく視線をキラへと戻した。次の瞬間、彼の目が大きく見開かれる。
「……坊主が歌っている?」
歌すら歌えなくなった……と嘆いていたキラが歌っている姿が彼の目に飛び込んできたのだ。
「……あの子、コーディネーターか……」
「あぁ」
窓越しに聞こえてくるキラの歌声。
それは確かに『祈り』と呼ぶにふさわしいものだった。だが、その内容は決して明るいものだとは言えない。
「……歌えるようになっただけでもマシ、なんだろうがな」
いつかでかまわない。キラの希望に満ちた歌声を聞いてみたいのもだ……とフラガは心の底から思った。