この手につかみたいもの
07
フラガの部屋に移ったキラだが、実際にその部屋にいることは少なかった。
もちろん、民間人の居住区にいたわけではない。
なんだかんだと理由をつけられ、MSデッキに呼び出されていたのだ。それが、フラガとマードックの心遣いだと言うことにキラが気づいていたか。
「……たぶん、これで大丈夫だと思うのですが……」
叩いていたキーボードから手を離し、キラはマードックを見上げる。
「すまなかったな、坊主。本当はこういう事を頼むべきじゃねぇってはわかっているんだが……さすがに動かなくなると困るんだよ」
いろいろとな、と笑いながら、マードックはキラの頭をその大きな手で撫でた。
「いえ……どちらかというと、こっちの方が得意ですから……」
MSのOSをいじるより……と言外にキラは付け加える。実際、それも無理はないだろうとその場にいた誰もが考えた。こんな事がなければ、キラがMSの整備をすることはなかっただろう。まだ学生だった彼が行うとしたら、各種機器のOSの調整が多かったのではないだろうか。
だからといって、キラがストライクの整備で手を抜いていると言うことはない。最初の頃は『兵器』であるストライクを厭う素振りも見られたが、ラクスをザフトに帰してからはそのような言動はまったく見られなかった。
それが、ラクスをザフトに帰すことで何かを吹っ切ったのか、それとも彼を排斥しようとする民間人達から隔離されたことで精神的に落ち着いたのか。どちらが正しいのかはわからない。だが、キラが何か変わってきたことだけは事実だった。
「そうか、そうか」
そう言いながら、マードックが彼の髪を撫でてやる。それにキラはどう反応をしていいのかわからないという表情を作った。
「そっちは終わったのか?」
ゼロの整備を終えたのだろう。二人に向かってフラガが声をかけてきた。次の瞬間、彼の体が流れてくる。
「なら、飯食いに行くぞ、坊主」
ほら、といいながらフラガはキラの腕を掴む。
「何だ? また飯喰ってないのか」
その言葉にマードックもあきれたような声を出す。
「だから細いんだぞ、坊主は」
言ってしっかりと喰ってこい、といいながら彼もまたキラを立ち上がらせる。そして、そのままフラガの方へと彼の体を押しやった。
「別に細いわけでは……」
キラが何か反論を試みようと口を開きかける。
「……坊主、お前、そう言うセリフはせめて三食しっかり喰ってから言え」
「そうそう。それも、一人分をちゃんと平らげられるようになってからな」
だが、二人にそろってこんなセリフを言われてはキラは反論ができなくなってしまう。いや、実のところフラガとマードックだけではなかった。その周囲で他の整備員達も二人のセリフに大きく頷いていたのがキラの瞳にはしっかりと映ってしまう。
「……それに、元々そんなに食べられないんですよ、僕……」
だからといって反論しないわけにはいかないのだろう。
キラは何とかこれだけを口にした。そんなことができるようになったのも実は最近のことだった。
それまでも反論をしてこなかったわけではない。だが、こんな風に個人的なことを口にするようになったのは本当に最近なのだ。それは、彼が少しずつだが自分たちに心を開きかけているせいだとフラガ達は判断している。
「お前なぁ……育ち盛りの子供がそう言うセリフを口にするんじゃねぇ!」
今日こそは全部喰わせてやる、といいながらフラガはキラを引きずるようにして移動し始めた。
「がんばって喰って来いよ」
彼らの背に向かってマードックが笑いを隠せないという口調で声をかけてくる。
「……どうして……」
通路まで来たところでキラがふっと呟く。
「ん?」
どうしたんだというようにフラガは腕の中の存在に視線を落とす。そして、次の言葉を促すように声をかけた。
「どうして、僕のこと、こんなに気にかけてくれるんですか? 僕に……そんな価値、ないと思います……」
僕は……と続けられるはずだった言葉はキラの口の中で消える。
そんな彼の仕草にフラガはこっそりとため息をついた。
確かに、キラは自分たち――特に自分に――慣れつつある。心も開いてくれているようだが、それ以前に散々傷つけられた心はそうそうに作った壁を取り除こうとはしない。
おそらく、それはこれ以上傷つけられたくないと言うキラの防衛本能なのだろう。
その気持ちは理解できる。
しかし、フラガにとって悔しいのは、その壁をラクスにはあっさりと取り除いたことだ。彼女が同じコーディネーターだからなのだろうとはわかっても、やはりおもしろくない。
だが、どうして自分はそんなことを考えてしまうのだろうか……とフラガは同時に思う。
自分は、この子供に信用して欲しいのか。
それとも、もっと他のことを望んでいるのか。
フラガ自身よくわからない。ただ、はっきりと言えるのはただ一つのことだ。
「そりゃ、決まっているだろう。坊主のことが好きだからだよ」
ストライクのパイロットと言うことをぬきにしてもな、と言ってやればキラは目を大きく見開く。そして、その言葉が信じられないと言うようにフラガを見上げてきた。
「……大尉? 僕、コーディネーターですけど……」
「そんなことは関係ないだろう? 人が人を好きになるのには、な」
お前だってそうだろう、と逆に聞かれてキラは素直に頷いてみせる。そんなキラにフラガは優しい微笑みを浮かべて見せた。
「……なるほど……人質は民間人の命……と言うことか」
アスランの報告を耳にしたクルーゼは納得をしたというように頷いている。
「第一世代のコーディネーター。しかも、同じ艦内には戦えぬ顔見知りの者たちがいる。十分情緒酌量の余地があると判断されるだろうな」
もっとも、無条件でとはいかないだろうという彼の言葉に、アスランも頷き返す。
それはアスラン自身わかっていた。
キラのあの才能は、ザフトにとってもなくてはならないもの。例え本人が望まないとしても同胞を手にかけた……という理由で彼は戦場に身を置かずにはいられないだろう。
だが、それは自分の側にいてくれると言うことでもある、とアスランは考える。次の瞬間、自分のあまりに勝手な思考に唇を咬んだ。
キラにすべてを捨てさせて、自分は何も捨てようとしていないのではないか。
確かに、自分は母を失った。
だが、キラがザフトにきた場合、捨てるのは今までの生活すべてなのだ。
そして、その先に待っているのはキラが絶対に望まない戦場での暮らし。
果たして、自分の存在がキラにそれをさせられるだけの価値があるのだろうか。アスランはふっと不安になる。
キラを誰よりも愛している、と言う気持ちに偽りはない。だが、自分にはそれしかカードがないこともまた事実だ。
「どのみち、あれだけの才能の持ち主だ。連邦軍がそう易々と手放すはずがない。かといって、民間人をいつまでも戦艦に乗せていられるわけもない。さて、次はどうする気なのか……」
クルーゼのつぶやきがそんなアスランの耳に届いた。
確かに、連邦軍の中でザフトに対抗できるのは、キラが乗るストライクとあのMAのみ。ならば、彼が戦場から解放される日は来ないのではないだろうか。
「……なら、俺が守ってやれる分、こちらの方がキラにはいいのか」
知らず知らずのうちにアスランはこう口にしてしまう。それは間違いなくクルーゼの耳に届いていただろう。だが、彼はあえて何も口にしなかった。
「ともかく、ラクス嬢にお話を伺っておかないとな。足つきの内部構造などを」
言葉と共にクルーゼが腰を上げようとしたときである。彼らの耳にブリッジからの緊急連絡が届く。
「どうした?」
即座にクルーゼが問いかけた。
『ガモフから入電。イザーク・ジュールがストライクと交戦中に負傷したとのことです』
ブリッジからの連絡に、アスランは目を丸くし、クルーゼは小さくため息をつく。
「……まさか……ならば、まずいことになるかもしれん」
クルーゼのその言葉の意味がアスランにも理解できた。
イザークはただでさえストライクを意識していた。これでまた余計な感情を抱いたことだろう。そんな彼の前にキラを連れてきたらどうなるのか……
だが、アスランは自分のそれがクルーゼの意図していたものと違っていたことに気づかなかった。
顔面が痛む。
それ以上に、傷つけられたプライドがイザークをいらだたせていた。
不意に変化したストライクの動き。
それまで見られたためらいが、一瞬にして消えた。その代わり彼の視界に現れたのは、壮絶なまでの滑らかなストライクの動き。
そんな風にMSの動きに見とれてしまったのはクルーゼ以来だった。
だが、戦場でそれは命取りに等しい。
次に訪れたのは、デュエルへの衝撃だった。そして、自分自身の顔面を襲った痛み。
「この借り、どうやって返してやろう……」
自分のプライドを傷つけた相手を許すつもりは、イザークには全くない。
自分が受けたのと同じ――いや、それ以上の痛みを返してやらなければ気が済まない。
それには、どんな方法が有効なのだろうか。
間断なく襲う痛みと陰鬱な気持ちの中、それだけがイザークの心を燃え立たせていた……