この手につかみたいもの
06
「そんな卑怯者と共に戦うのが、お前の正義か? キラ!」
探していたラクスの命と引き替えに退却を余儀なくされた瞬間、アスランはそう叫んでいた。
決して、キラがそんな人間ではないと知っていたのに。
アークエンジェルからの通信を耳にした瞬間、彼がコクピットで漏らした声は、キラ自身が現実を認識できないでいると克明に伝えてきたのに。
何故、自分はそんなことを口走っていたのか。
アスランにもそれはわからなかった。
「キラ様に歌っていただきたかったんですの」
ヴェサリウスの中で再会したラクスはアスランに向かってこう言った。
「あの方が何を望んでおられるのか教えて頂きたくて……」
でも……と続けたラクスの表情からはいつもの無邪気さが消えている。
「キラ様は……歌うことを忘れてしまったのだとおっしゃいました。そのお顔がとても悲しそうで……私、それ以上お願いできませんでしたの……」
キラ様、ようやく笑ってくださるようになりましたのに……と付け加えられた言葉に、アスランはキラがかなり追いつめられているのではないかと思った。
少なくとも、離ればなれになる前のキラはラクスほどではないがよく歌っていた。それがアスランのお気に入りだったことも否定しない。
その彼が……
「やっぱり、アイツをナチュラルの中に置いておくのは駄目なんだ……」
さらに傷つけられてしまう……とアスランは心の中で付け加える。
「ですが……キラ様はあの方々を見捨てられられないと思いますわ。あの方は本当にお優しいから……自分で自分の命を守れない方々を捨ててご自分だけ安全なところにお逃げになると考えられない方なのでしょう?」
ラクスのこの言葉に頷きつつも、アスランは何か違和感を感じていた。
「あの船に乗っているのは、アイツの友人達だけではないのですか?」
ならば、いっそ彼らも一緒に……という方法もないわけではない。ナチュラルはきらいだが、キラのためなら妥協しなければならないだろうとも思う。キラにだけすべてを捨てて自分を選べ……という傲慢なセリフを言えないことがわかっていたからだ。
「いえ。もっといらっしゃいましたわ。正確にはわかりませんけど……50名以上いらっしゃったかと……中には本当に幼い方もいらっしゃいましたわ」
あのような幼い方を見たのは初めてです……とラクスは微笑んでみせる。
実際、プラントで幼児を見ることはあまりない。第三世代の出生率が下がっているのは事実なのだ。
だが、アスランが考え込む原因になったのはラクスのそれと別の観点からだった。
「……そんなに足つきには民間人が……」
だから、キラはあの船を見捨てられないのか……とアスランは結論付ける。
「ヘリオポリスからの避難民だとお聞きしましたわ」
ラクスの言葉がアスランの脳裏を通り過ぎていく。
自分たちが行ったことによってキラがどんどん追いつめられていく。その悪循環をどこで断ち切ればいいのか……アスランにはわからなかった。
「……やはり、キラ・ヤマトには厳罰で……」
ラクスを独断でザフト側に引き渡してしまったキラをどうするか。尉官三人の話し合いが続けられていた。
「でも、キラ君は民間人でしょう? それに、貴方が行ったあの行動は、ある意味条約違反です。彼を処罰するのであれば、貴方も処罰しなければならないわ、バジルール少尉」
ラミアスが彼女に向かって厳しいセリフを口にする。
「ですが!」
だが、バジルールはなかなか納得しない。なおも上官である彼女にくってかかった。
「コーディネーターにとって、歌は祈りか……」
そんな二人の耳にフラガのこんなセリフが届く。
「フラガ大尉?」
彼の言葉が何に起因しているのか、二人にもわかる。彼女たちもキラがそのセリフを口にしたとき、その場にいたのだ。バジルールにいたっては、そんな彼をしかりつけた。
「……あの嬢ちゃんに聞いたんだよ。コーディネーターにとって『歌』とは何なのかを。それできない……って事は、坊主は祈ることすらできなくなったって事だろうが」
それでも、キラは自分たちを守ろうとしている。
あのままザフトへ行くことだってできただろう。ラクスの身柄を救ったのだから、例え今までのことがあっても最悪の事態にはならなかったはずだ。そして、二人には伝えてはいないが、フラガはキラとイージスのパイロットが親しかったらしいと気づいていた。あの時の会話の内容からすれば、彼もキラを守るために全力を尽くしたのではないだろうか、と思う。
その手を振り切ってキラは帰ってきてくれた。
おそらく、友人達を見捨てられなかった……というのが一番の理由だろう。だが、その他にも、ほんのわずかとは言え自分に対する好意もあるのではないか、とフラガは思う。
「……そこまで、私たちがキラ君を追いつめてしまった……と言うことね」
さすがにラミアスは頭が柔らかい。フラガが何を言いたいのか理解したようだ。
「……私は……この状況で歌など……」
バジルールにしても、キラにとって『歌』がどのような意味を持っていたのか知って衝撃を受けているらしい。彼女にしても祈ることはあるのだ。それを忘れろと言われてできるものではないだろう。
「……ともかく、今回の件は厳重注意で終わらせましょう。キラ君は、同じ事を繰り返す子ではないでしょう?」
ラミアスのこの言葉がすべての結論になった。そのことにフラガは内心ほっとする。
「ついでに、今後、坊主を民間人がいる兵舎から他の場所――俺の部屋でもかまわないが、移動させられないか?」
そして、今一番心配していることを口にした。
「大尉?」
「あそこじゃ、坊主の精神が休まらない。常に好奇心の的だからな。パイロットにとって、十分な休養が取れる環境は大切なものだ。少なくとも、俺たちはまだ坊主に頼らなければいけない。違うか?」
「……否定はできません」
フラガの問いかけに答えたのは、バジルールだった。キラがいなければ、ザフトととの戦力差はいかんともしがたいものになってしまうことを、攻撃指揮官である彼女は一番よくわかっている。しかし、だからといって規律を破るようなことをしていいものか、とも悩んでいるようだ。
ラミアスもまた、フラガの言葉について考え込んでいる。
「……キラ君を取り巻く環境は……それほど悪いのでしょうか?」
普段艦橋に詰めている自分と違って、フラガは彼らの間にも気さくに踏み込んで言っているらしい。彼がそう感じた理由を聞かせて欲しいと、ラミアスは言外に問いかけてきた。
「俺はそう思うね。避難民の中にもブルーコスモスよりの連中が見られる。それだけでも最悪だと思うが?」
コーディネーターの存在を排斥しようとしている彼らが、キラをどう扱っているかなどと言うことは考えなくてもわかるだろう。
「……それにちょいと気になることもあるんでな……」
フラガの口の中で呟かれたこの言葉は、幸い、二人の耳には届かなかったらしい。
「できれば、食事その他も士官用を使わせたいくらいだ。少なくとも、無意識の悪意って奴からは切り離せるだろうからな」
軍人達にもコーディネーターに対する違和感がないわけではない。だが、彼らは訓練されているだけあってそれを表に出すことはないのだ。逆に、ブリッジクルーも整備員達もキラの味方だと言っていい。できれば、そちら側の人間だけを接触させたいのだが、それは不可能だと言っていいだろう。
「最近、坊主はストライクのコクピットにこもりっきりだし……このままじゃ駄目だと言うことは二人にもわかるはずだが?」
「……わかりました。個室……は無理ですが、大尉と同室と言うことでお願いいたします。それも、今回のペナルティだと言えば、キラ君も反論できないでしょうし」
自分たちはキラを失うことはできないのだ。
彼に無理を強いていることはわかっている。
ならば、少しでもよい環境を……ラミアスの言葉の裏にそのような感情が見え隠れしていた。そして、それにはバジルールですら反論できなかった。