水槽の中にまるで胎児のように膝を抱えてキラが浮かんでいる。
 その姿を、フラガは心配そうに見つめていた。
「……キラ……」
 同じ光景を、今まで見たことがないわけではない。そして、その結果、命に別状がないこともわかっている。
 だからといって、不安が消えるわけではない。
 この中で何が起こっても、自分には手出しができないのだから。
 今の自分にできることは、こうして見つめていることだけだ。そして、あの連中は寛容にもそれを許してくれるつもりらしい。
「側にいてやるからな」
 だから、早く目を覚ましてくれ。
 そうすれば、全てはうまくいくはずだ――キラの真意と自分の慚愧だけは除いて――とフラガは思う。そうなれば、自分たちのそれは、日常の中に消えていくはずだ、とも思う。
 あの日々がそうだったのだから。
 あの時のように抱き合って、お互いの体温を同じところまで交わらせることができればきっと、そのほかのことはどうでも良くなるはずだ。
 何よりも、もうあいつにキラを奪われるかもしれない、と心配する必要はない。それだけは間違いないだろう。
 なぜなら、彼等の中の誰も《キラ》がここにいるとは知らないのだ。
 知っているのは、こちら側の連中だけ。
「もっともいずればれるかもしれないが……」
 というより、あの連中ならかならずそうするだろう。
 いや、そうしてもらわなければ困る――キラが本当に大切なら、だ。
 ある意味、矛盾しているとわかるこの考えも、フラガの中ではごく当然のものとして存在していた。そして、その時に彼等は知るはずだ。何よりも取り戻したいと思っていたキラ自身の口から。
 彼が誰のものであるか、を。
 その時、彼等がどんな表情をするか。それも想像ができる。何よりも、あの二人は間違いなく自分を憎むだろう。だが、彼等がそうすればそうするほど、キラは自分だけのものになるのだ。
 自分だけを心配して、自分を守ろうとしてくれるはず。
 だから、彼等は最後まで気づかないだろう。
 自分たちの行動が、キラの中に植え付けられた意識を強めることになることになるとは。そして、その結果、キラとフラガの絆を強めることになるとは考えもしないだろう。
「何があっても、キラは俺のものだし、な」
 そして、自分はキラのものなのだ。
 この関係を守るためなら何でもするさ、とフラガは付け加えた。そのためなら、魂を悪魔に売ってもいい、と今なら言える。
「本当……もっと早くこうすれば良かったのか?」
 疑問ではなくて確認。
「違うな……そうすれば、間違いなくお前は俺だけのものにはなってくれなかったな」
 今だからこそ、こうしてある意味安心してキラの目覚めを待っていられるのだ。フラガはそう考えようと思っていた。
「……まだ、起きないの?」
 不意にどこか子供っぽい――だが、けだるげにも感じられる――声がフラガの耳に届く。
「まだ、だ。ステラも経験あるだろうが」
 長いこと、調整を受けていなければ、それだけ時間がかかるのだ、とフラガは笑う。
「……うん……でも、早く、お話ししたい」
 笑っている表情も見たいのだ、と彼女はねだるように口にする。その声に含まれているのがただの好奇心だから、だろうか。キラに興味を持っているとはいえ、嫌な感じがしないのはそのせいかもしれない。
「俺もだよ」
 だから、早く目を開けてくれ。フラガは心の中でこう呟いた。

 ゆっくりとまぶたを開ける。
 だが、見上げた先にあるものは、見慣れた天井ではなかった。
「……ここ……」
 どこだろう、とキラは思う。
「気が付いたか、坊主?」
 そんなキラの耳に、何よりも聞きたいと思っていた声が届く。
 でも、彼は……そう思いながら、キラは声がした方向に視線を向ける。
 そうすれば、記憶の中にあるものと変わらない、穏やかな微笑みがすみれ色の瞳の中に映った。
「ムウ、さん?」
 だが、その事実が信じられなくて、キラは思わずこう問いかけてしまう。そうすれば、彼の笑みはさらに深まった。そのまま彼はゆっくりと歩み寄ってくる。
「他の、誰に見えるんだ? 俺が」
 そして、汗で額に張り付いたそうっとキラの前髪を整えてくれた。その仕草もキラの記憶の中にあるものと変わらない。
「ムウさん……」
 その手に自分のそれを重ねると、キラは小さくため息をつく。そこから伝わってくるぬくもりだけで、全ての疑問が消えていくような気がしてならない。
「……悪かったな。お前がそこまで衝撃を受けるとは思わなかったんだ」
 迎えに行ったときに、倒れただろう? とフラガは囁きかけてくる。この言葉がきっかけになったのだろうか。キラの中である記憶が浮かび上がって来る。
「怪我がひどくて……動けるようになるのに、時間がかかったって……」
 そう聞いた……と唇から出る言葉は、自分のものとは思えないほど子供っぽいものだった。だが、それをフラガはうれしそうな表情で聞いている。
「まさか、キスだけで気絶されるとはな。俺のテクも捨てたもんじゃなかった、って事か」
 くすり、とからかうように笑う声を聞いて、キラは全てがつながった……というような感覚に襲われた。
「そう言う訳じゃ……」
「ないってか」
 キラの言葉を耳にして、フラガはさらに笑みを深める。そして、そのまま身をかがめるとキラの額に小さなキスを落とした。
「それにしても、俺がいない間、どんな生活をしていたんだ、お前」
 かすかに体勢を変えるとフラガはまっすぐにキラの瞳をのぞき込んでくる。
「どうって……普通に……」
「……普通に、食っていたわけか。小鳥並みの食事を」
 前から言っていただろうが、とフラガはため息をついて見せた。
「それよりも半分ぐらい多く食えって、いっていただろうが、俺は」
 さらに付け加えられた言葉に、キラはうれしさを隠せなくなってしまう。そのまま、はじかれたように彼は手を伸ばした。そして、フラガの首にかじりつくように腕をからみつかせる。
「キラ?」
 どうしたんだ? と聞きながら、フラガはその腕で中途半端に起こされたキラのせを支えてくれた。そんな些細な仕草も、キラにとってはうれしいと思えることだ。
「ムウさんが、いる」
 こうして、抱きしめて欲しかったのだ……とキラは小さな声で付け加える。そうすれば、さらに彼はきつく抱きしめてくれた。