何とか三蔵をなだめて――と言うのも、天蓬の方は全く気にしていない様だったので――一行はあの泉まで戻る事にした。
しかし、ここでまた問題が一つ。ジープの席順をどうするかという事でまた一揉めしてしまった。
「だから、狭いでしょうけど二人は三蔵と一緒に後部座席に座って下さいませんか?」
わざとらしく距離をおいて立っている三蔵達に聞こえない様に八戒は小声で悟空達に話しかける。
「俺はいいけど……」
機嫌が悪い三蔵に慣れている悟空はあっさりと頷いて見せた。だが、悟浄は
「嫌だね。あんな三蔵と一緒にいられるか」
と取りつく隙も見せない。しかし、もちろんここで折れるわけには行かないのだ。
「じゃぁ、お聞きしますが、悟浄はあの二人を一緒に後部座席に押し込んで、平気で助手席に座っていられますか?」
その問い掛けに、悟浄は素直に状況を想像してしまう。
刺々しい空気と視線が背後から襲ってくる。それは間違いなく運転席の八戒にではなく助手席に座っている人間に向けられるだろう。
そんな所でゆっくり座っていられる程悟浄は度胸が据わっているわけではない。どころかさっさと逃げ出したくなるに決まっている。
「……判りました……おとなしく三蔵と後部座席に行きます……」
あきらめた様に白旗をあげる悟浄だった。
「ただし、悟空が真ん中な。俺、三蔵の隣に座る度胸ねぇわ……」
それでもしっかりと自分の希望を口にする。それというのも、自分が三蔵の隣に座った場合、無条件で八つ当たりの対象になるのではと言う予感があるのだ。
「判ったけど……なぁ、八戒?」
悟浄に頷きつつも、悟空はふっと何かに気がついたという様に八戒に声を掛ける。
「何です、悟空?」
「天ちゃんが後部座席って言う選択肢はなかったわけ?」
ある意味もっともな疑問に、珍しい事に八戒が言葉につまってしまう。よくよく見れば笑顔もこわばっている様である。
「八戒?」
どうしたんだろうという様に悟空は八戒の顔を覗き込んだ。
「……悟空……」
真っ直ぐに自分を覗き込んでくる琥珀の瞳に八戒は苦笑を作った。
「あのですね、いくら僕でも今以上に機嫌の悪い三蔵を隣に座らせて、冷静に運転をする自信がないんです。事故を起こしたら困るでしょう?」
どうして三蔵の機嫌が悪くなるのか、悟空には今一つ飲み込めない。だが、事故を起こされて困るというのは事実だった。
「よくわかんねぇけど、八戒が困るって言うならそうする」
こう口にすると、悟空は視線を八戒からそらす。そしてそのまま三蔵の方へ向かってかけ出していった。
「さて、悟空がうまく三蔵を説得してくれるといいんですけどね」
三蔵にまとわりつきながら何かを話している悟空の姿を見ながら、八戒がそう口にする。
「だな。馬鹿猿なら怒鳴られなれているだろうし……少々の事じゃ動じねぇだろう」
すかさず悟浄が同意を示す。普段でさえ、あれだけいたぶられている――と見えるだけで、あれが二人のコミュニケーションの取り方だという可能性を否定できない――のに、悟空は気にする様子もなく三蔵にまとわりついているのだ。八戒達が怖がって近づけない時も同様である。
その悟空が三蔵を怖がったのは数える程しかない。そのうちの一回は、ついさっきの事だった。
「その悟空が怖がるくらい、あの二人は剣呑な関係の様ですけど」
それにしては、今目の前で繰り広げられている状況は穏やかなものだと感じられる。
「っていうより、あれは三蔵サマが一人でこだわっていたんじゃねぇのか?」
「そういう可能性もありますねぇ」
悟空が妙に天蓬になついていたのが気に入らなかったからかもしれない……と八戒は苦笑を作る。
「本当、三蔵ってば素直じゃないんだから」
本人が聞いたら無条件で銃口を向ける様なセリフを口にすると、八戒もまた三人の方へ向かって歩き始めた。
「……笑顔でそんな怖いセリフを言うんじゃねぇよ」
一瞬、凍りついてしまった悟浄は、何とかそう口にする。そして置いていかれてはたまらないという様に、慌てて八戒の後を追いかけたのだった。
重苦しい雰囲気がそれほど長く続かないのが悟浄にとっては幸いだった。おそらく、後5分掛かったとしたら胃が痛み出していたのではないか……とすら思ってしまう。
「天ちゃん、あそこだよ」
後部座席から助手席に身体を乗り出しながら悟空が説明をする。その腰を苦虫をかみつぶしたような表情で押さえているのは、もちろん三蔵だ。彼の身体から吹き出している『不機嫌』な気に、間に悟空がいると言うにもかかわらず、悟浄は思わずジープの縁にすがりついてしまう。
「あぁ、確かに泉がありますねぇ」
しかし、そんな後部座席の様子に気づいているにもかかわらず、天蓬はのんびりとした口調でそう答えた。そして、何かを確認するかの様に眼鏡の下の瞳を細める。
「あそこには何かありますね……それも、地上の物ではない。天界の物でしょう」
そう付け加えた。
「天界の物?」
そのセリフに、三蔵が確認する様な声を出す。
「えぇ。ここからでははっきりとは言えないのですが……」
残念ですが、僕はただの軍人ですしと付け加える。しかし、三蔵はそれが真実ではないだろうと思っていた。
(ひょっとしたら、この男は自分の実力を隠すのがクセになっているのかも知れねぇな)
天蓬は自分が『閑職』だといっていたが、おそらくそれは自分の身を守る為かもしれない。自分がが実力以上の実力を周囲に見せつけて来た様にと三蔵は心の中で呟いた。
だからといって、天蓬に対する態度を代えようとしないあたり、三蔵は三蔵なのだが……
「そうですね。これを止めて戴けませんか? ジープでしたっけ? この子もある意味普通じゃないので、あの泉から漂ってくる気と混ざってしまうのですよ」
その言葉に、八戒はアクセルから右足を離した。代わりにブレーキとクラッチを踏む。
砂ぼこりを巻き上げながらジープはその場に停止した。そして、全員が地面に降り立つと同時に車から小竜へと姿を変えると、八戒の肩にすがりつく。
その間にも天蓬はさくさくと砂を踏みしめながら泉へと歩み寄っていた。
「天ちゃん、落っこちると子供になるぞ」
泉の淵まで彼がたどり着いたのを見て、悟空が注意を口にする。
「大丈夫ですよ」
少々時間が戻っても、そう変わりないですからと天蓬は付け加えた。そして泉の淵に膝をつくと中を覗き込む。そんな天蓬のそばへと悟空は駆け寄っていった。
「……突き落としてやろうか……」
そんな悟空を見送りながら、三蔵はとんでもないセリフを口にする。これが冗談だというのならまだマシだったろう。だが、三蔵の口調は本気としか思えなかった。
「まぁまぁ。この件が終われば二度とはあわない人なんですから」
それよりも、この事態を解決する方が先でしょうと八戒が三蔵をなだめる。
「そうだぜ。猿はともかく、俺はさっさと元の姿に戻りてぇんだよ」
悟浄も直ぐにそう付け加えた。でないと、八戒にビ芝氏とし付けなおされてしまいかねない。八戒の教育では、自分の楽しみを全て『ダメ』と却下されないのだ。そんな事をされてたまるかという切実な想いが、その口調に現れていた。
「何で猿だといいんだよ」
だが、三蔵が引っかかったのは別の事だったらしい。不機嫌な視線で悟浄を寝目付るとそう吐き出した。
その剣呑さに悟浄は直ぐには答えられない。何度か金魚の様に口をぱくぱくした後、何とか言葉を絞り出す。
「……猿の楽しみは、喰う寝る遊ぶだろう? だったら、あの姿でも困らねぇじゃねぇか……」
分別は一応残っているんだし……と付け加える。だが、三蔵の機嫌は良くなるどころかますます悪くなっていった。その視線に、悟浄は自分がまた三蔵の逆鱗を踏んでしまったのかと慌ててしまう。だが、どうやらその理由は別の所にあったらしい。
「あの馬鹿猿……」
ぼそっと呟いた三蔵の声は、大地よりも低かった。何事かと視線を向けた次の瞬間、八戒達の唇からため息が漏れる。
彼らの視線の先には天蓬に腰を支えてもらいながら泉を覗き込んでいる悟空の姿があった。しかも、何が楽しいのか笑っている様だ。普段の三蔵なら受け流せるだろうその光景も、今の彼ではそうもいかない。
「……悟空にその区別をつけろと言うのは無理なんでしょうかねぇ……」
ため息まじりに八戒がそう言うのに、
「いや、三蔵が不機嫌だって事は判っていると思うぞ。問題はその理由を理解していねぇ事じゃねぇのか」
と悟浄が訂正をする。ようするに、三蔵の機嫌が悪いのは自分がこうなったせいで、だったら傍に居なければいいのでは……と言うのが悟空の考えなのだろう。三蔵の機嫌が悪いのは確かに悟空が原因なのだが、彼が天蓬になついているのがいけないのだとは思っていないと考えられる。
「そうですね」
それがまた悟空らしいと思いつつも、ため息を止められない八戒だった。
そんな彼らの視線を気にする様子もなく、天蓬と悟空は何かを語り合っていた――と言うより、天蓬の説明に悟空が質問しているといった方が正しいのかもしれない――だが、うまく理解できないのだろう。悟空は救いを求める様に三蔵達の方を振り向く。
「……仕方がないですね。三蔵、行かないと悟空が泣き出すかもしれないですよ」
悟空に限ってそれはあり得ないのだろう。そう思ったが、三蔵には十分通用したらしい。おそらく三蔵の頭の中では、拾って来た頃の悟空と混同されているのだろう。
「……ったく、手間ばかりかけさせやがって……」
丁度いい口実だったのだろうか。口ではそう言いながらも三蔵はさっさと二人の方へと歩いていった。八戒と悟浄は顔を見合わせて思わず苦笑を浮かべると、急いでその後を追いかける。
直ぐに何か難しい顔している悟空のそばへとたどり着いた。
「どうしたんだ?」
「天ちゃんの言っている事がよく分からないんだけど……」
助かったという表情を作りながら悟空は口を開く。
「そう難しい事ではないんですけどね。この泉のどこかに時間を歪ませる呪物が転がっているだろうという事と、そのせいで、この泉の中がメチャメチャ時空が歪んでいるらしいって言う事だけですから」
確かに天蓬の言うとおり簡単な内容である。
「……三蔵、呪物って何?」
だが、悟空には使われている言葉の意味が分からなかった様だ。
「確かに、それが判らなきゃ他の事もわからねぇよな……呪物って言うのは、簡単に言えば魔天経文の様なもんだ。それを使って術を行うもの……で判るか」
かなり違うのだが、一番分かりやすいのではないかという例えを三蔵は口にする。
「でなければ、そうですね……悟空の頭にはまっている金鈷も呪物の一つですよ」
苦笑を浮かべながら、八戒もそう付け加えた。
「ようするに、誰かがここにそれを放り出していったって言う事です。多分、退屈しのぎの冗談だったんでしょうけどね」
困ったものです……と言う天蓬のセリフに、四人は思わず頭を抱えてしまう。
「冗談ってなぁ……人さまに迷惑を掛けるんじゃねぇよ……」
悟浄のそのセリフが、四人の心情を代弁していた。
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