「と言う事は、それを壊すかなにかすれば、この状態は解消されるわけだな?」
それが誰か判れば、相手が神様だろうとなんだろうと無条件でぶん殴ってやると考えつつ、三蔵は言葉を口にする。
「とは思うんですけどねぇ……問題はどうやって場所を特定するかなんですよ」
せめてヒントでもあればいいんですけどねぇと付け加えながら、天蓬は乾いた笑いを漏らす。
「潜って探すわけにも行かないですしね……」
一度頭から浸かっただけで子供に戻るのだ。潜水なんてしたら、卵子と精子にまで戻ってしまうかもしれない。簡単にいってしまえば、『自分』という存在がこの世界に存在する以前に戻ってしまうという事だ。そんな事になった場合、この状況が解消されても現在の姿に戻れるわけがないだろう。
言外にそう伝える八戒に、天蓬も苦笑を浮かべて見せる。
「どうしましょうかねぇ」
「何かで釣り上げられないんでしょうか」
「あぁ、検討してみる価値はありますね」
ほのぼのとした雰囲気なはずなのに何故か怖いものを感じてしまう悟浄だった。
「……キツネとタヌキの化かし合いって所だな……」
しかし、それは三蔵も同じだったらしい。ぼそりと呟くそのセリフがそれを物語っている。
「……どうして天ちゃんと八戒がキツネやタヌキになるんだ?」
ただ一人判っていなかったのが、悟空だった。三蔵の法衣の袖をつんつんと引っ張りながらそう問いかけてくる。
「……判らないなら聞くんじゃねぇ、この馬鹿猿」
説明するのも面倒だという様に、三蔵は吐き捨てると、袂からたばこを取り出した。そして一本抜き出すと唇に銜える。こんな三蔵に何を問い掛けても無駄だと判っているのか、悟空はため息をつく。その隣で悟浄もまたため息をついた。しかし、理由は違う。彼の場合、単にニコチンが切れただけなのだ。三蔵の唇に銜えられたたばこを恨めしそうに睨み付けている。
「せめて、ヒントがあればいいのですけどねぇ……これだけのことをしているのですから、何か書き残していると思うのですけど」
そんな三人の耳に、天蓬のセリフが届く。それが珍しくも悟空の記憶を揺さぶったらしい。
「あの祠に書いてあったのってそれじゃないのか?」
三蔵を見上げるとそう口に出す。その可能性は三蔵にも否定できない。しかし、読もうにも読めなかったのも事実だ。
「読めなきゃどうしようもねぇだろうか」
「あの水に入れたら読める様になるんじゃねぇのか?」
三蔵のそのセリフに、悟空が反論を言い返す。
「……なる……時間が戻りゃ、読める様になるかも知れねぇ訳だ」
一寸の虫にも三分の魂か……と全く違う感想を悟浄は口にした。その瞬間、しっかりと聞き耳を立てていたらしい八戒から教育的指導が飛んでくる。
「慣用句の使い方が間違っていますよ。悟空の前で嘘を言わない様に」
そう言いながら、ゆっくりと三人の方へ近寄って来た。その後を天蓬がついてくる。
「でも、今の悟空のセリフは試してみる価値が有ると思います」
失敗して元々なんですからと付け加える八戒の意見に、三蔵達は異議を唱える事はできない。
「……あの笑顔がこれ程怖いもんだとは思わなかったぜ……」
八戒達に聞こえない様に三蔵が囁くのに、
「全くだ」
と悟浄も頷いて見せる。その会話が聞こえていないわけではないだろうに、敢えて何も言わずに祠へと向かう二人はもっと怖いと思ってしまう二人だった。
「天ちゃん、あそこだよ」
先に立って走っていた悟空が、振り向くと祠を指さす。
「あぁ……確かにずいぶんと古いものですね」
悟空に追いついた天蓬が頷いて見せた。それに微笑み返すと、悟空はさらに祠の方へと駆け寄っていく。しかし、天蓬は何かに気がついたという表情を作るとそれ以上進もうとしない。
「天ちゃん?」
どうしたとかと言う様な表情で悟空は彼を振り向く。
「どうかなさったのですか?」
天蓬の不自然な動きに、八戒も不審そうに声を掛けた。
「どうやら、ここから先はあなた方の時間の世界の様ですね。別の時間に生きている僕は存在ができない様なんですよ」
だから、先に進もうとしても見えない壁があって進めないのだと付け加える。
「そう言うわけですから、申し訳ありませんが、その祠にある文字が書いてあるものを全て、僕の所まで持って来てくれませんか?」
何なら、壊してもかまいませんよ、と微笑みながら付け加える天蓬に悟空は素直にうなずいて見せる。ようやく追いついた三蔵がそのセリフに眉をしかめた。
「家の猿に変な事を教えないでくれ……」
これから平気で祠を壊す様になったら困るだろうと、三蔵は言外に付け加える。それに対し、天蓬は笑みを深めると言い返して来た。
「あの子が意味もなく破壊活動をするわけないでしょう?」
その妙に自信満々なセリフに、三蔵はますます眉間の皺を深くした。まるで悟空の事を良く知っている様なその言いぐさが、彼の癇に触ったのだ。
「どうだかな。夢中になると何をやらかすかわからねぇし」
気に入らないと言う感情を隠さずに三蔵は言葉を口にする。
「その位はご愛嬌でしょう?」
違いますかと微笑まれて、三蔵の機嫌はさらに下り坂だ。
「俺、悟空の手伝いをしてくるわ」
その雰囲気に、悟浄はさっさとしろ旗を揚げる。そして、誰の目から見てもはっきりと口実だと判るセリフとともにその場を離れた。
「三蔵……いい加減にして下さいよ……」
さすがに耐えきれなくなったのだろう。八戒が脇から注意をする。
「天蓬さんを怒らせて楽しいですか?」
表情は変わらないのに、そういう八戒の口調は明らかにいらついている事が伝わって聞いた。さすがの三蔵も、これ以上八戒を刺激するとやばいと思ったのだろう。それ以上口を開こうとはしなかった。いや、押し黙ったのは三蔵だけではない。どうしたわけか天蓬も黙ってしまったのだ。
奇妙な沈黙が三人を包み込む。
「これでいいんだよな?」
その沈黙を打ち壊すかの様に大声で言いながら、悟空が戻って来た。その手には、数枚の板が握られている。彼の後を追いかけてくる悟浄の手にもや張り板が数枚握られていた。しかも切り口が不揃いな所から察するに、本気で祠の壁を壊して来たらしい。
「えぇ、後はまた泉に戻って調べてみるだけですね」
さっさと戻りますかと踵を返す天蓬の後を、悟空と悟浄が着いていく。
「戻るんなら、来るんじゃなかったな……」
二度手間じゃねぇかとごねる三蔵に、
「と言いつつ、悟空が心配だったのでしょう?」
にこやかに八戒が指摘する。どうやら図星だったのか、三蔵はそれ以上文句を言わずに歩き出した。
いったいどこに隠し持っていたのか判らない紐で板をまるで高野豆腐の様に結ぶと、天蓬はそれを慎重に泉の中に浸す。その一連の仕種を悟空と悟浄は天蓬の脇で興味深そうに見つめていた。三蔵と八戒は、そんな三人から少し離れた所に佇んでいる。
「鬼が出るか蛇が出るか……見物だな」
「また、そんな事を」
面白く無さそうな口調でぼそっと呟く三蔵に八戒は苦笑で答えた。
そんな二人の様子など知るよしもない悟空と悟浄は、天蓬の手元を食い入る様に見つめている。
「まるであぶりだしみたいですね」
そんな二人の緊張を和らげようと考えたのだろうか。天蓬は、はははと笑い声を漏らしながらそう口にした。しかし、元の姿に戻れるかどうかの瀬戸際にいる二人には、そんな彼の気遣いも通用しない。ひたすら紐の先にある板に視線を向けていた。
「さて、そろそろいいでしょうかね」
仕方がないなぁと言う様な表情を作ると、天蓬はするすると紐を巻き取る。それに伴って板が水の中から現れた。慎重にそれを持ち上げると、天蓬は土の上にそうっと置く。
「あぁ、成功している様ですね。字がはっきりとしてきましたよ」
これ以上浸けていたら木に戻っていたかもしれないですねぇ、と付け加えながら天蓬は紐を解いていく。そうすると、悟空達にもはっきりと墨書された文字が見えた。
「……なぁ、これ、何て書いてあるんだ?」
但し、あまりに達筆過ぎて悟空には内容が理解できなかったが……
「俺に聞くんじゃねぇ、俺に……」
もっとも、それに関しては悟浄も同じだった。いや、ひょっとしたら寺院で育った悟空よりも悪いかもしれない。ため息とともに、内容を理解しようと試みるが彼の目にはミミズがのたうっているとしか感じられなかった。
「えっとですね」
そこに、天の救いの様に八戒の声が振ってくる。
「八戒、読めるの」
「三蔵程ではないですけどね」
そう前置きをすると、八戒は二人に内容を説明し始めた。途中彼の声が途切れたのは、板が順番どおりになっていなかったせいであろう。
その内容を一言でまとめれば、天界の偉い神様の奥さんが、自分が年老いていく――と言っても、それすらも人には考えられない時間なのだが――のが嫌で、定期的に若返られる様にして欲しいとある仙人に頼んだのだという。その仙人が作ったのがこの泉の中に沈められている宝貝なのだ。と言うより、この泉自体があって初めてその宝貝が発動する仕組みになっているらしい。しかし、それを人間や妖怪が使ったらとんでもない事になってしまう。なので、数百年前に金蝉童子と恵岸行者の二人が観世音菩薩の命でこの泉事宝貝を封印した……と言う事だった。
「つまり、その封印があったから、誰もこの泉の存在に気がつかなかった……と言う事なんだと思います」
それでいいのですよねと、八戒は天蓬に視線で問いかける。
「多分、封印が急に解けた事で、宝貝の力が暴走しているのでしょうね。そのせいで、この泉がこの世界に生まれてからの時間が混ざってしまったのだと思いますよ」
天蓬はあくまでも仮説ですけどと八戒のセリフを補足した。
「だったら、どうしてその封印とかが解けたんだ?」
もっともな疑問だろう。三蔵のその問い掛けに、天蓬は少し考え込む様な表情を作った。
「僕の生きている時代ではここの封印は解けていないのであくまでも仮説という事になりますけど、かまいませんか?」
天蓬は真っ直ぐに三蔵を見つめると、そう問いかける。
「こっちは仮説すらも考えられねぇんだから構わん。ご高説を賜りましょう」
丁寧なのかどうか判らないセリフを三蔵は口にした。しかし、天蓬はそんな三蔵の態度にも笑みを崩さない。
「封印を施した側に何かあった……と言うのが一番可能性が高いでしょうね。簡単にいってしまえば、死ぬか、正気を手放したか……と言う所でしょうか」
「神様って死ぬのか?」
天蓬の説明をどこから聞いていたのか判らないが、悟空がそう口を挟んできた。
「死にますよ。ただ、人間や妖怪よりは長生きだというだけです。その前に正気を手放すものも多いですけどね」
「……神も、偉いってわけじゃねぇのか」
「どこも一緒でしょう? 平和が長くなればなる程中身は腐ってくるものです」
その一言の中にものすごい皮肉が籠められている事にしっかりと気づいてしまう。おそらくこの性格だから彼は『閑職』に追いやられたのかもしれない……と三蔵は心の中で呟いた。しかし、考えてみれば自分も人の事は言えない事に気づく。ただ違いがあるとすれば、それは受け止める側の方かもしれない。
「で? その壊れた封印とやらを何とかできるのか?」
話を変える様に三蔵はそう問いかける。
「そうですね……ここまでほころびてしまえば、修復する方が面倒ですよね……」
そう言いながら、天蓬は何か悪戯を思いついた子供の様な笑みを浮かべた。
「なので、後腐れない様に壊してしまいましょう」
さらりととんでもない事を天蓬は口にする。
「はぁっ?」
さすがの三蔵一行も、それには開いた口を塞ぐ事ができなかった。
「ぱぁっと壊してしまえば、もう二度とこんな事は起こらないでしょう。それに、こんなもの無い方がいいじゃないですか。なので、壊してしまいましょうよ」
その論理はある意味納得できる。
「でも、いいのか?」
自分達はともかく――言い訳はいくらでも八戒か三蔵が考えてくれるだろうと悟空は考えていたらしい――天蓬に何かあったら大変だという意味で悟空がそう聞いた。
「大丈夫です。ここまで時空が狂っている以上、どこの時空で誰がやったかなんで上にも判らないですよ」
安心して下さいと言うと、天蓬は悟空の髪を優しく撫でる。
「でも、そのために協力してもらわないとけないんですけどね。お願いできますか?」
その笑顔に逆らえなかったのは、きっと八戒のそれにそっくりだからだろう……と悟浄は心の中で呟いていた。
「……で? 俺達は何をすればいいんだ?」
「周囲に新しい結界を貼って欲しいんです。そのためのアイテムは今からお渡ししますから……」
まさか使うとは思わなかったんですけどね……と言いながら、天蓬はポケットの中から紙を取り出す。かなりよれているところから推測するに、相当長い間ポケットに入れられたまま忘れ去れていたのではないか。もっとも、それを指摘する様な事はだれもしなかったが。
「これを持って、四角形を描く様に泉の回りに立って戴けますか? その後は僕が何とかしますから」
その位の力はありますし……と天蓬は笑みを深める。
「判った」
それを自信と取った三蔵が頷いた。
「多分、成功すればそのまま全ての時間は元の場所に戻ると思うんですよ。もっとも、その呪符ができるだけそれを穏やかに収めようとしますから、大きな被害は出ないと思うんですけどね」
そこまでは実践した事がないので、確証はできませんが……と付け加える。しかし、だからといってやらないわけには行かないだろう。
「まぁ、万が一の事があっても、何とかなるだろう」
「そうですね」
「飯喰えるンなら、どうでもいいや」
それぞれが口にしたセリフはとてもらしいと言えるのだが、同時に呆れてしまう三蔵だった。
「てめぇら……」
「まぁまぁ。いいじゃないですか。これくらい楽天家の方が」
怒鳴りつけようとした三蔵をなだめたのは、意外な事に天蓬だった。
「その方が、僕としても気楽にやれますし」
真意がどこにあるのか判らない口調でさらに付け加える。
「……好きにしろ……」
盛り上がっている周囲に、そう言う事しかできない三蔵であった。
それを合図にした様に、悟空達は天蓬の手からそれぞれ呪符を受け取っていく。仕方がなく三蔵も最後の一枚を受け取った。そして、そのままそれぞれ指示された場所へと歩き始める。
「……悟空……」
そのとき、何かを思い出したという様に天蓬が彼の背に声を掛けた。
「何、天ちゃん?」
その声に悟空が振り向く。すると、天蓬の穏やかな微笑みが見えた。
「今、幸せですか?」
それがどういう意味なのか判らないまま、悟空は頷いて見せる。その瞬間、天蓬はますます笑みを深めた。
「それならいいんですよ。呼び止めて申し訳ありませんでしたね」
行っていいですよと付け加えられて、悟空はまた歩き始める。天蓬は何やら複雑な視線でその後ろ姿を見つめていた。しかし、悟空が目的の場所に着いた瞬間、彼の表情は一変する。
真剣な眼差しで気を集中させ始めた。それは次第に大きくなっていく。だが、三蔵達の手前まで来た所でまるで押し戻されるかの様に気が跳ね返った。その度に、周囲に光が踊る。
そのまぶしさに、三蔵達が瞳を閉じたまさしくその瞬間だった。
音も熱も、衝撃すらも感じられない爆発が四人を押し包んだ……かのように思えた。そしてその後に襲ってきたのは、沈黙のみ……
「……えっ?」
不審に思って瞳を開けば、目の前には何もなかった。
「一体、何があったわけ?」
呆然と悟浄がそう呟く。しかし、次の瞬間、何かに気がついたかの様に彼は自分自身を見つめた。
「どうやら元の姿に戻れた様ですね」
そう言うとともに、八戒は悟浄に向かって取り上げたたばこを放り投げる。それを片手で受け止めると、早速彼は唇に一本銜えた。
「……天ちゃんがいない……」
そんな二人を横目に、悟空がぼそっと呟く。
「元の世界に戻ったんだろう」
そばによってきた三蔵がそう答えてやる。
「そっか……」
ならいいけどと付け加えると、悟空は曖昧な笑みを口元に浮かべた。その表情は彼には珍しいものだったといっていい。
「どうかしたのか?」
「よくわかんねぇけど、何か懐かしい匂いがしたから……」
「……匂いってなぁ……やっぱ、お前は猿だな」
呆れた様に言うと、三蔵はさっさと悟空から離れていく。そして、周囲に響く声でこう言った。
「飛んだ道草だった。さっさと出掛けるぞ!」
八戒と悟浄は苦笑を浮かべると頷いて見せる。八戒の肩から滑り降りたジープは、主の気持ちを察したのかすかさず身体を変化させていく。
「俺は猿じゃねぇ!」
悟空の叫びが今回の事件の締めくくりを告げる様に周囲にこだました。
終
INDEX・
BACK
|