三蔵から遅れない様にと悟空は小走りに彼の後をついて歩く。その必死な様子に、三蔵は悟空を拾って来てすぐの事を思い出していた。おそらく、ここで見捨てられてはかまわないと思っているのだろう。
「ったく……この馬鹿は、あんまりチョロチョロするんじゃねぇ」
その事実に気がついた三蔵は仕方がないという様に悟空に向かって手を差し出してやる。悟空は一瞬目を丸くしてそんな三蔵の手を見つめた。だが、直ぐに嬉しそうにその手に自分の手を重ねる。
「置いていかねぇから安心しろ」
三蔵のその呟きに、悟空はますます楽しそうな表情を作った。
「……仲のいい親子ですねぇ……」
そんな二人から少々遅れて歩いていた天蓬が感心した様に呟く。
「本当に。まぁ、僕達が出会った頃はもうあぁでしたけどね。悟空の話だと、三蔵が彼を拾った頃はもっと凄かったらしいですよ」
「あぁ、その話は俺も聞いたな。少しでも三蔵が見えなくなると猿が大騒ぎをするから、ほとんどベッタリだったってやるだろう? メチャメチャ甘やかしていたらしいじゃねぇか」
八戒と悟浄がかなり勝手な事を口にする。おそらく三蔵が聞きつけたら、真っ赤になって否定するか、あるいは銃弾が飛んでくるだろう。
「悟空はずいぶん可愛がられているって事ですね」
だが、そんな事は知らない天蓬は感心した様に頷いて見せる。
「本人達は否定するだろうけどな」
特に三蔵はと悟浄は苦笑を浮かべた。三蔵は悟空を餌づけしたが可愛がった覚えはないといつも言っていたからだ。それが彼の照れから来るセリフだ判っていても、ついついからかいたくなるのは、二人の反応が楽しいからだを悟浄は思っている。
「あれ? どうしたんでしょうね」
その時天蓬が何かに気がついたという様に呟くのが八戒達の耳に届いた。何事かと視線を向ければ、ハリセンで叩かれている悟空の姿が視界に飛び込んでくる。
「……何か地雷でも踏んだか?」
「あるいは、またいつもの駄々をこねたのかもしれないですね」
すぐそばに肉まんを売っている屋台が見える。悟空がそれを欲しいと言い出した可能性も否定できないのだ。
「ともかく、様子を見て来ます」
このまま終わるだろうとは思うが、万が一と言う事がある。三蔵がキれて銃を撃っても悟空は無事だろうが、一般の人間に被害が及ぶという可能性もある。それだけは避けなければいけないだろう。最悪の場合、体を張っても周囲の人間を守らなければと悲壮な覚悟とともに八戒はかけ出していった。
「……大変なようだねぇ……」
その後ろ姿を見送りながら、天蓬が呟く。
「まぁ、あいつは『保父さん』だからな。三蔵が切れやすいだけな気もするんだけど……あれで最高僧って言うんだから、世の中間違っているような気もするけどさ」
どこぞでふんぞりかえっている連中よりは三蔵の方がマシだよな……と悟浄は付け加える。
「……それはそれは……本当、外見だけでは判らないものですね……」
見た目だけなら確かにあれ以上人目を引く者はいないだろう。ただし、三蔵の場合『口を開かない』か『猫をかぶっている』かのどちらかという条件がつくと悟浄は考えていた。しかし、天蓬の言葉の裏には何か別の理由がある様な気がしてならない。
(まぁ、世の中には似た様な奴は三人はいるって言うからな)
神様と人間でもあり得ない話ではないだろうと納得をする。と言うより、その実例を見せつけられては納得しないわけにはいかないといった方が正しいのか。
「本当にな……ありゃ、八戒一人の手にゃおえねぇのか? いったい何をしたんだ、あの馬鹿猿は」
何やら道の真ん中で怒鳴り始めた三蔵を見て、悟浄が呆れた様に呟く。そして自分も猫の手よりはマシだろうと駆け寄って行く。
「顔はそっくりなのに、性格は正反対の様ですね」
小さくつぶやくと、天蓬もまた彼らに歩み寄って行った。
「だから、日持ちしねぇんだから必要ないって言っているだろうが!」
それほど近づかなくても二人が何で争っていたのかしっかりと判ってしまう。どうやら肉まんを撃っている屋台の隣にある果物屋の店先にある果物をめぐっての攻防らしい。
ちらっと見ただけでも、一山がかなりの量だというのが判る。四人がかりでも、普通なら食べきるのにかなり時間がかかるだろう。しかし、四人の中には普通でないのが一人いる。
「明日には無くなるんだからいいじゃねぇか!」
けろりっと言い切る悟空に、さすがに三蔵も一瞬言葉を失った。
「腹壊して、人に迷惑を掛ける気か」
もっとも、その場合看病をするのは三蔵ではなくて八戒だと思うのだが……どうやらそれについて触れるつもりは三蔵にはないらしい。
「大丈夫だって」
「どうだか……そう言いながら、何度腹壊して寝込む羽目になったと思っているんだ?」
お前の頭じゃ覚えてないか……と付け加える三蔵に、悟空は必死に記憶の中を探り始めた。
「……えっと……」
しかし、昨日の事はともかく、三日前となると覚束なくなってしまう悟空の記憶力では直ぐには出て来ないらしい。悔しそうに唇をかみしめると、上目遣いに三蔵を睨み付けるのが精一杯だった。
「どうやら納得した様だな……八戒、これ以上猿が騒ぎださないうちにさっさと買い出しを済ませろ」
三蔵は傍に居た八戒にそう言い残すと、悟空の襟首を掴んで道の端の方へと移動していく。どうやらこれ以上悟空にあれこれ見せない様に押さえつけておこうと考えたのだろう。
「だ、そうですよ」
追いついて来た悟浄達に八戒が苦笑を向ける。
「三蔵さまをあれ以上刺激しねぇ方が良さそうだしな。言いつけ道理にした方が止さそうぜ」
「そうですね。じゃぁ、手分けして買いましょうか。幸い、ここいらで全部そろいそうですし」
心配なのだろう。二人ともちらちらと視線を二人の方に向けながらそう結論を出す。
「じゃぁ、僕は彼らと待っていますから」
自分は役に立たないと判断をしたのだろう。天蓬は気軽な口調でそう言った。そのような所はとても『神様』には見えない。
「お願いします」
とは言うものの、やはり傍に居られると息苦しいのも事実。面倒な事は三蔵に押しつけてしまえと言う気持ちはあえて顔に出さずにそういうあたり、八戒の食わせ者ぶりが判るという物だろう。
もっとも、天蓬が気にする様子を見せない。軽く手を挙げると自分からさっさと二人の方へ向かっていった。
「さて、僕達もさっさと仕事を終わらせてしまいましょう」
八戒は悟浄にそう声を掛けると、天蓬とは逆の方へ歩き始める。悟浄もまたその後をついて小走りに進み出した。
「……三蔵の馬鹿……ハゲ……たれ目……鬼……」
通りに面した壁に背を預けてうずくまっている悟空の口から次々と三蔵の悪口が飛び出している。
だが、次の瞬間。スパーンと乾いた音をたてて三蔵のハリセンがその頭を張り飛ばす。
「何すんだよぉ!」
それに恨めしそうな視線を作ると、悟空は三蔵を見上げる。
「ぐだぐだとうるせぇんだよ、この馬鹿猿!」
逆に悟空をにらみ返すと、三蔵はそう怒鳴りつけた。しかし、悟空の視線は彼の顔から手の方に移動する。そこには今買ってきたらしい紙の袋が握られていた。
「八戒達が戻ってくるまでこれでその口を塞いどけ」
彼の視線が手の中の物に向けられていると気づいた三蔵は、そう言うと同時に袋を悟空に向けて放り投げる。中身が何か判らないが、悟空はつぶさない様に慎重にそれを受け止める。そしてガサガサと音をたてて袋の口を開けた。
「三蔵」
次の瞬間、悟空の表情が明るくなる。中に入っていたのは、さっき欲しいと駄々をこねて怒られた果物だったのだ。慌てて悟空は三蔵にお礼を言おうとする。だが、三蔵は悟空に最後まで言わせなかった。
「何も言うんじゃねぇ。邪魔したらコロスぞ」
新聞をとり出すと、そのまま悟空の隣に腰を下ろして紙面に視線を落とす。悟空はそんな三蔵の態度に慣れているのか――それとも欲しかった果物を与えられたから――おとなしく袋の中身を減らす事に専念している。
ふっと三蔵が読んでいた新聞の紙面の上に影ができた。視線をあげれば、天蓬が微笑んでいる。
「本当に仲がいいんですねぇ」
そう言うと同時に、彼はさっさと三蔵の隣に腰を下ろす。そしてポケットからたばこを取り出すと唇に加えた。
「何の話だ」
「判らなければいいんですよ」
三蔵の返事に言葉をにごしながら天蓬はたばこに火をつける。
「ところで、あなたはその子の事をどの位知っているのですか? どうも普通の妖怪とは思えないのですが」
そして話題を変えようとしているのか、ふっとそんな事を問いかけて来た。
「……別に、この馬鹿猿が何モンだろうと関係ねぇよ。大食らいで馬鹿で鬱陶しい事もあるが、取り敢えず役に立つ事の方が多いからな。そばにおいているだけだ」
本当は『悟空』と言う存在は『自分の中』でもっと別の意味を持っているのだと言う事を三蔵は知っている。だが、そんな事死んでも口に出せないと言うのもまた三蔵だった。だから、ある意味当たり障りのないセリフ――と言っても他の人間が聞いてもそう思ってくれるかどうかは定かではない――を口にする。
「そうですか? では、あのこの事を何も知らないと仰るわけですね」
自分は悟空の事を知っていると匂わせている天蓬の口調に、三蔵の機嫌は急降下を始めた。
「何もって言うわけじゃねぇ。五行山であの馬鹿を拾ってから八年にもなるからな。その間にしでかした悪行は覚えているが……俺にはそれだけで十分だが、どうやらあんたの聞きたい事はそう言う事じゃなさそうだな」
しかし、天蓬はあくまでも笑顔を崩さない。そして三蔵のセリフには答えずに今度は悟空に声を掛けた。
「悟空は三蔵の事が好きなんですよね?」
その問いに、悟空は反射的に首を縦に振る。
「そうですか。それならいいんです」
しみじみとした口調でそう呟くと、天蓬は一人で勝手に納得してしまったらしい。だからといって三蔵が納得できたわけではない。
「……あのなぁ……」
きちんと説明しろと言うよりも早く、天蓬が口を開いた。
「あぁ、申し訳ありませんね。実はあなた達にそっくりの関係の人たちを知っているのですよ。彼らがこれからどうなるのか心配していたのですが……まぁ似た様な性格のあなた達がうまくいっているのなら、あの二人も大丈夫かなっと思っただけです」
「どうだかな。どんなに顔が似ていても、性格までそっくりというわけじゃねぇ。俺は俺だし、そいつはそいつだろう?」
三蔵の機嫌が本気で悪くなりかけているのを感じて、悟空は反射的に紙袋を隠してしまう。完全にキれた三蔵が八つ当たりをして取り上げる可能性もあるからだ。
「判っていますけどね。たまにはそういう根拠のない事柄に救いを求めたくなる事もあるんですよ」
神が何言ってやがると三蔵が口の中で呟いているのが悟空には聞こえてしまった。と言う事はおそらく天蓬にも聞こえているだろう。頼むから二人とも早く戻って来てくれと心の中で祈る悟空だった。
さすがの八戒達も、三蔵と天蓬の間に漂っているただならぬ空気には驚いたらしい。八戒の鉄壁の微笑みがこわばっている事でもそれは推測できただろう。
「八戒ぃ……悟浄ぅ」
悟空に至っては、笑顔すら作る事ができずに二人にすがりついて来た。どうやら、自分自身に当たられなかったものの、この雰囲気には居たたまれなかったらしい。
「はいはい……大変でしたね、悟空」
その気持ちが判らないでもない八戒は心からそう口にした。もっとも、これが三蔵の機嫌をさらに損ねる結果になってしまったらしい。
「てめぇは何もしとらんだろうが!」
その声とともに三蔵のハリセンが悟空の頭の上にヒットする。
「俺が何したんだよぉ!」
悟空のその叫びが周囲に響きわたった。
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