冗談

 こんな目立つメンバーで立ち話をすると人目を集めて仕方がない。かといって、このまま別れるわけにもいかないだろう。結局、天蓬も含めた五人で別の通りにある食堂兼酒場に移動する羽目になってしまった。
「災難でしたねぇ」
 天蓬――悟空曰く『天ちゃん』――と紹介された彼は、穏やかな口調でそう言ってのけた。そのにこやかな表情は隣に座って悟空に食い物を与えている保父さんの者によく似ている。
「まぁ、あきらめてくださいね」
 そう言いながら、天蓬は三蔵に視線を向けた。
 てめぇと出会ったのが一番の災難だよ……と言いたくなるのを三蔵は必死に堪えて口を開く。
「あんた、何者だ?」
 その問い掛けに、天蓬は意味深長な笑みを作った。
「少なくとも、あなたには判っていると思いますけど?」
 違いますかと付け加えられて三蔵はますます眉間の皺を深くする。普通の人間ならば思わず逃げ出したくなってしまうその鋭い視線も、天蓬には通用しない様だ。
「自己紹介もろくに出来ねぇ相手を信用しろと?」
 ここでおとなしく引き下がらないのが三蔵である。相手が誰だろうとかまわないと言い返す。もちろんこんな無礼な態度をした場合、相手が機嫌をそこねるだろうという事も予測済だ。だが、意外な事に天蓬はそんな三蔵に対し怒る様子も見せない。それどころか面白いものを見たという様にさらに笑みを深めた。
「確かに言われてみればそうですねぇ。と言っても、名前以外あまり教えない方がいいのですけど……取り敢えず、一応『天界西方軍元帥』と言う身分も持っています……と言う所でいいでしょうか?」
 でも、直ぐに忘れて下さいねと付け加えられたセリフなど三蔵の耳には届いていなかっただろう。いや、それは興味がないと言う表情を作りながらしっかりと聞き耳を立てていた八戒や悟浄も同じ事だった。
「そんなお偉いさんが何でまた……」
 ぼそっと悟浄が呟けば、
「天ちゃんって、そんなに偉いの?」
 悟空は無邪気な口調で八戒に問いかける。どうやら、完全に『判らない事は八戒に聞く』と言うのがクセになって来ているらしい。
「軍の中では上から数えた方が早いでしょうねぇ……もっとも、人間の軍隊と天界の軍隊で組織や階級が同じであればの話ですけど」
 僕もあまり詳しくないので……と苦笑を浮かべながら八戒は悟空に説明をする。
「そうなんだ」
 どこまで理解しているのか判らないが、悟空は頷いて見せた。
「でも、閑職なんですよね」
 すかさずそんな突っ込みが飛んでくる。
「そうなのか?」
 反射的に問いかけてくる悟空に
「どうなんでしょう……」
 と説明しかけて八戒は固まってしまった。どう考えても声の主は自分達の仲間のものではなかったのだ。となると残るは一人しかいない。さすがの八戒でも『神様』は怖いのか、まさしく恐る恐ると言った様子で彼の方に視線を向ける。
「天ちゃん、そうなのか?」
 しかし、悟空だけは天蓬が『神様だ』と言う事実を気にする様子もなかった。あるいはその意味を理解していないのではないかと、三蔵は頭痛を覚え始める。
「そうなんですよ、悟空」
 しかし、天蓬も気にする様子もなくにこやかに答えている。
「だからこんな所にも来ているんですけどね」
 その言葉に三蔵は何か引っかかるものを覚えた。しかし、どうしても喧嘩腰になってしまいそうで口を開けない。どうしようかと八戒に視線を向ければ、その視線の意味を察したらしい彼は苦笑をしながら首を左右に降って見せた。ここでも救い主は考え無しのお子さまだったといっていい。
「ここ、何かあるのか?」
 素直に口に出された悟空のこの問い掛けに思わず拍手を贈りたくなってしまう。
「非常に興味深い事例がね」
 天蓬も何やら悟空の存在が気に入ったらしく、説明のために口を開いた。
「どうやら、この場所だけ時空が歪んでいるらしいんですよ」
「へっ?」
 あまりに突拍子もない事実だからだろうか。それとも、単に悟空の知識ではついて行けないからだろうか。変な声が彼の口からこぼれ落ちた。
「分かりやすく言いますとね、時代と場所が物凄く複雑に入り交じっているんですね。つまり、ここと向こう側とでは人々が生きている時代も場所も違うんですよ」
 それに気づいたのだろう。天蓬はもっと優しい例えを口に出す。
「って事は何だ? 俺達と天ちゃんと生きている時代が違うって言うわけ?」
 さすがにここまでかみ砕いて説明されれば、悟空の頭でも理解できたらしい。思わず大声を出す悟空に、天蓬は苦笑を浮かべながら頷いて見せる。
「その可能性は大きいですね」
 とは言うものの、三蔵達は素直にその内容を信じたわけではない。
「つう事は何だ? 俺と猿がこうなったのもそのせいだって言うのか?」
 悟浄は思わず八戒に話を振ってしまう。さすがの彼でも『神様』に聞くのは嫌らしい。三蔵でなかったのは、そんな事を気怪我間違いなく、昇霊銃で撃たれるかハリセンで殴られるかの二者選択になってしまうと判っていたからだろう。
「僕に聞かないで下さい」
 とはいっても、八戒にだって判るわけがない。悟空に対するのとは違って本の少しだけだが刺が含まれている口調でそう言い返す。
「でも、それが判れば元の姿に戻れるかも知れねぇンだろう? 俺、大きい方がいい」
 昔は気づかなかったが、子供というのは色々と制約が多いものなのだ。このままでは間違いなく三蔵の足手まといになってしまうだろう。最悪の場合、置いていかれるかもしれない。それだけは避けたい悟空だった。
「俺だってそうだ。ニコチンが切れて辛いんだぞ」
 おねぇちゃんといい事も出来ねぇしと付け加える悟浄に他のメンバーは思わず頭を抱えたくなってしまう。
「その証拠は……と聞いてもかまわねぇんだろうな」
 そんな外野の勝手な言い分は聞かなかった事にして、三蔵はそう問いかける。その手はさりげなく胸元に差し入れられていた。おそらく、天蓬が何か適当な事を言ったら銃を突きつけるつもりなのだろう。もっとも、それが通用するかどうかなんて本人でも判らないのだが。
「証拠ですか? そうですねぇ……」
 そんな三蔵の行動に気づいているはずなのに、天蓬は態度を変えようとしない。あくまでも穏やかな口調で言葉を綴った。
「先日、花果山のてっぺんにあった仙石から子供が産まれたとかっていう話を聞きましたけどね。そんな話はありませんか?」
 その瞬間、悟空以外の三人の動きが止まる。『その子どもがこの馬鹿だ』と言いたくなるのを必死に押さえているのか、それとも別の衝撃が強いのか。ぎくしゃくとした動きでお互いの表情を確認する。
「……どうやら本当に俺達とあんたの間には超えられない時間の壁がある様だな」
 ため息とともに三蔵がそう吐き出した。
 そう言えば、確か50年程前に西方で地震があったんですよねと、八戒が口の中で呟くのが他の三人の耳にも届く。と言う事は、先程のあれはその時のものだったといってもいいだろう。そして、他の場所が別の時空の中にあると言うのであれば被害が及んでいないというのも納得できる。
「ご理解頂けた様で何よりです」
 にっこり笑うと、天蓬は白衣のポケットの中からたばこを取り出す。そして視線だけで吸ってもかまわないかと問いかけてくる。少しでも気分を落ちつける為に自分も吸いたいと思っていたのだろう。三蔵は天蓬に頷いて見せると自分も袂からマルボロ赤を取り出した。
 三蔵がたばこを唇に加えると同時に、天蓬が自分のそれを近づけてくる。その意図を察した三蔵は始めて表情を和らげた。
 そのまま三蔵は火を移されたたばこを深々と吸い込む。
「天ちゃん、神様なんだよな。じゃぁさ」
 その時、悟空がある事に気づいたという表情で天蓬に声を掛けた。
「何です?」
「天ちゃん、俺と悟浄を元に戻せる?」
 真面目な表情で問いかける悟空に、天蓬はちょっと小首をかしげて見せる。
「って、その姿が今の年齢じゃないのですか」
 ちょっと驚いたという様に天蓬が目を丸くした。すかさず悟浄がフォローを加える。
「泉に落っこちたらこうなったんだよ。猿はともかく、俺は半分に縮まったかな?」
 同意を求める様に八戒に話題を振る。
「それに関してはあえて言及を避けますね。ともかく、悟浄は本来21歳ですし、悟空も18……になったんですよね?」
「多分……」
 年齢に関しては自信がない悟空は、三蔵に救いを求めた。
「俺が拾った時に10歳位だったから、だいたいそんなもんだろう」
 自分の年も忘れてたからかなり適当だがなと付け加える。
「状況がよく分からないのですが……残念ながら俺では無理だと思います。まぁ、その泉に落ちたせいかなんかでこの場所の影響を受けているだけでしょうから、ここから離れれば戻ると思いますよ。もっとも、その場所を調べてみないとはっきりとは言えませんけどね」
 そう言いながら、天蓬の表情が興味深そうなものに変化した事に三蔵と八戒は気づいた。ひょっとしたら、彼がわざわざ地上に降りて来た理由はそれなのかもしれない。
 それぞれがそれぞれの心の中でそう呟いた時だった。
「何なら今から案内してくれますか?」
 にっこりと微笑みながら天蓬がそう口に出す。
「三蔵?」
 どうするんだという様に、悟空がそう問いかけてくる。
「まぁ、案内するだけならかまわねぇけどな。もっとも、こっちの買い物に少々付き合ってもらった後でいいって言うならの話だが」
「えぇ、かまいませんよ」
 三蔵のその言葉に、天蓬は穏やかに頷いて見せた。

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