「何なんだよ、全く……」
テーブルにのしかかる様にしている瓦礫を蹴飛ばして悟浄は立ち上がる。
「……もう少しで全部食い終わる所だったのに……」
その反対側から這い出しながら悟空がぼそっと呟いた。
「お前の脳味噌の中はそれしかねぇのかよ」
呆れた様にそう言いながら悟浄は無意識にポケットを探る。しかし、そこに目的の物はなかった。その事実に気づいて小さく舌打ちをすると、八つ当たりの様に近くにあった破片を蹴飛ばす。
その破片の行方を視線で追いかけていた悟空がある事にふと気がついたという様な表情を作った。
「あれ? なぁ、悟浄……三蔵達どこかな?」
そしてこう問いかける。
「そんなの俺が知るか」
この状況で判るわけがねぇだろうと付け加える悟浄のセリフは、悟空の耳に届かなかったらしい。彼の視線は店の壁にぽっかりと開いた穴の先にすえられている。まだもうもうと立ち込めている埃のせいではっきりとは見えないがそこには人影が確認できた。ついでに、その人影が身にまとっている雰囲気には覚えがある。
「八戒?」
器用に瓦礫を避けながら悟空がその人影に駆け寄っていった。
悟浄もその後を追いかけていく。この場合、あの子猿の面倒を見るのが自分の役目だという自覚はあるのだ。あの二人がいない状況で悟空に万が一の事があったらあの二人にどんな目にあわされるか、簡単に予想が着いてしまう……と言った方が正しいかもしれない。
「しかたねぇな」
しかしたばこが吸いてぇと小さくつぶやく彼に罪はないだろう。
そんな悟浄の様子に気づくことなく悟空は人影に駆け寄っていく。
「八戒、三蔵は?」
そしてその言葉とともに人影に飛びついた。反射的に彼は悟空の身体を抱き留めてくれる。その次の瞬間、
「八戒じゃないぃ!」
悟空の口から悲鳴の様な叫びが飛び出した。
「どうした、悟空!」
それに慌てた様に悟浄が駆け寄ってくる。そして、悟空を抱き抱えている人物を見て目を丸くした。
顔だちとか身にまとっている雰囲気とかは八戒によく似ている。しかし、髪形や服装、眼鏡などといった細かい点が八戒とは違っていた。第一、白衣などといったものを八戒が持っていたという記憶はない。ついでに彼の身体から漂ってくるたばこの匂いが二人に『八戒ではない』と止めを刺してくれる。
悟空は困ったという様に悟浄に視線を向けた。だからといって彼に何ができるわけでもない事は明白だったが……
「あの……」
悟空を怒鳴る様子もない彼は、ふわりっと日溜まりの様な笑顔を作りながら口を開く。
「申し訳ありませんが、どなたかとお間違えの様ですね。僕は『八戒』さんではないですよ」
そう言いながらそうっと悟空を地面に下ろした。
「この騒ぎではぐれてしまったのですか? こんな小さな子供二人で……」
そして彼も足をかがめると二人の顔を覗き込んでくる。しかし、そんな彼の柔らかな表情が悟空の金色の瞳に気づいた時不審げな物に変化した。そしてそれは彼の額にはめられた金鈷に視線が移った所で驚愕に変わる。
「この馬鹿猿がどうかしたのか?」
そんな彼の行動に不信感を感じたのだろう。悟浄はそう言いながら悟空と男の間に割って入った。
「誰が猿だよ、エロ河童!」
もっとも、悟空にはそれよりも悟浄のセリフの方が問題だったらしい。いつもの様に食ってかかってくる。
「お前だよ、お前。それとも何だ? 三蔵さまのペットとでも言い換えてやろうか」
こうなると反射的に受けてたつのが悟浄だ。ついつい言い返すと
「だから、俺はペットじゃぇねってば! この紅ゴキブリ!!」
と反論してくる。このままいつもの口げんかに突入かと二人がそれぞれ思った時だった。男が耐えきれないという様な笑い声を漏らす。悟空はともかく悟浄にはそれは耐えられない事だったらしい。ムッとした表情で男を睨み付けた。
「ご、めん、なさい……ちょっとある人達の事を思い出してしまったものですから」
肩を震わせながら男は言葉を綴る。しかし、それで悟浄の機嫌がよくなるわけではない。真紅の瞳でいつまでも笑いをこらえている男を睨み付けていた。
「お詫びというわけではないですけど、八戒さんと三蔵さん……を探すのを手伝いますよ。この状況では大人が一緒にいた方が良さそうですし」
周囲が次第に騒がしくなっている。このような混乱状態の時に子供二人でうろついていたらどうなるか判ったものではない。
「じゃ、頼むわ、おじさん」
それよりは少々うさん臭くても誰か大人に着いていてもらった方がいいだろう。そう判断して悟浄はそう言った。悟空と二人なら、万が一の時に大人の一人位どうにでもできるという自信があるからこそのセリフだった。
しかし、男は別の意味で悟浄のセリフに引っ掛かりを覚えたらしい。
「お兄さん、は、天蓬と言います」
微笑みながら彼は『お兄さん』の部分に妙に力をこめて自己紹介をした。
「テンパー?」
しかし、それをどう聞き違えたのか悟空は間違った名前を口にする。それに男――天蓬も悟浄も苦笑を浮かべるしかない。
「天ちゃんでいいですよ。えっと、悟空、ですよね」
仕方がないと思ったのか即座に天蓬はお子さまでも言いやすい愛称を口にした。
「うん」
頷き返すと悟空は今度は間違わない様にと何度も口の中で繰り返している。そんな悟空の頭を撫でてやりながら、天蓬は今度悟浄へと視線を移す。
「で、君が悟浄と……よく似ている名前だけど……兄弟って訳じゃないですよね?」
「あぁ。ただの腐れ縁って奴」
兄弟だったら困ると表情に刻みながら悟浄は答えた。即座に悟空も『俺だってごめんだ』と騒ぎ立てる。しかし、それに付き合っていたら話が進まないと思ったのだろう。天蓬もそのセリフをしっかりと無視した。もっとも、そんな態度に慣れている悟空は気にする様子も見せない。
「と言うと、君達が探している人たちも?」
「そう言う事」
無愛想にそう言うと悟浄は天蓬から視線をそらした。そして二人の姿が見えないかを探す。だが、瓦礫の他に集まって来た人々が壁になって今の悟浄の視線からは自分達の周囲しか確認できない。
「三蔵?」
不意に小さくつぶやくと悟空が歩き始める。
「どうした?」
勝手に動くんじゃねぇとそんな悟空を引き止めると、悟浄は問いかけた。
「今、三蔵の声が聞こえた様な気がしたんだけど」
向こうからと一つの方向を指さしながら悟空が答える。と言う事は悟空の『本能』が三蔵の居場所を感じ取ったという事なのか。
(まぁ、こいつらならあり得るか)
只事ではない二人の絆に悟浄は納得してしまう。
「なら行ってみますか?」
二人の会話を聞いていたらしい天蓬が口を挟んでくる。そしてそのまま悟空の身体を抱き抱えると肩の上に乗せた。
「何すんだよ!」
慌てて悟浄が天蓬の腕から悟空を取り戻そうとする。
「この方が視線が高くなって探しやすいでしょう? 相手の方からも見つけやすいでしょうし」
しかし、天蓬はそう言うとさっさと歩き出してしまった。肩車が気に入ったらしい悟空も彼の肩から降りようとはしない。
「ったく……三蔵に殴られてもしらねぇぞ、俺は」
そんな二人に悟浄はそうぼやくと、あきらめて後を追いかけたのだった。
一方、店の外に出た三蔵達はと言うと……
「地震……って訳じゃなかった様だな」
周囲を見回しながら三蔵がそう呟いた。
「ですねぇ。だとしたら原因は何なのでしょうか」
八戒もそれに同意をする。
そもそも、地震だとしたら街全体が瓦礫の山になるはず。しかし、どう見ても道路を隔てた反対側はひび一つは行っている様に見えない。だが、三蔵達がいる側は軒並み被害が広がっていた。
「こんな事ができる妖怪って言うのはいるのか?」
「残念ですが、聞いた事はありませんね」
そもそも、時間を操るなどという事は神仏ですら許されていない事だと三蔵は認識していた。それなのに、どうしてこう言う事になったのか。考えれば考える程判らなくなってくる。
少しでも気を落ちつかせようと三蔵は袂からマルボロの箱を取り出すと中から一本抜き出す。そしてそれを口にくわえて火をつけた。
「……お師匠さま……?……」
煙を口から吐き出した時、その先に信じられないものを見つけて、思わずそう呟く。
彼の視線の先にいたのは、既にこの世にいないはずの人間だった。しかし、それが本当に『彼』なのかどうかを確認する前にその姿は人込みの中に消えてしまった。
その人影を追いかけるべきかどうか悩みつつ、三蔵は隣にいる八戒に視線を移す。その瞬間、彼の唇がある名前を綴るのが見えた。その名の人物もやはりこの世には存在していないはず……
「ったく……何の悪い冗談だよ……」
こうなったらさっさとこの場からおさらばしてしまいたい。しかし、だからといって悟空と悟浄を置いていく訳には行かないだろう。悟浄はともかく、悟空を置いていったら自分を呼ぶ声で夜も寝られなくなるというのは目に見えていたからだ。
「馬鹿どもがさっさと帰って来ねぇから……」
余計な事まで引き押されるんじゃねぇかと三蔵はぼやく。ついでに戻って来たらあの二人に八つ当たりをしてやろうとも。
「三蔵!」
そんな彼の耳に聞き覚えのある子供の声が届いた。
「三蔵、こっち!!」
あまりに能天気な声に頭痛を覚えつつも三蔵は視線を向ける。と、人込みの上で手を振っている悟空の姿が見えた。
「悟空ですねぇ。と言う事は悟浄も一緒なのでしょうか」
憑き物が落ちた様な表情で八戒がそう言った。しかし、悟浄が肩車をしているにしてはその位置は高過ぎる。
「何してるんだ、てめぇは!」
ひょっとして誰かの頭を踏みつけているのだろうか。だとしたらその相手に謝るのはやはり自分なのか……などと考えつつ、三蔵は怒鳴り返す。
「何って、三蔵達を探してたんじゃないか」
ゆっくりと近づきながら悟空はそう言い返してくる。その様子からすると、どうやら無理やり誰かの頭の上によじ登ったというわけではないらしい。その事実に少しだけホッとしながら三蔵も自分から歩み寄っていく。もちろん八戒もその後を追いかけた。
やがて悟空が八戒によく似た印象の男に肩車されているのが見えてくる。八戒は純粋にその事に驚いた様な表情を作った。しかし、三蔵は別の意味で衝撃を受けてしまう。
「……なんつう相手を拾ってくるんだ、あの馬鹿猿は……」
最高僧の称号を得るにふさわしいだけの能力が、三蔵に目の前の相手が普通の『人間』でないと教えてくれる。これで相手が『妖怪』だと言うのならまだマシだったかもしれない。しかし、その身にまとっているのは妖気ではない。
「……よりによって神かよ……」
ため息とともに吐き出された声には普段の迫力がなかった。
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