冗談

 着替えた悟空達とともに老婆が戻って来る。しかも、彼女の手にはお釣りの他にさっきまで二人が来ていた服がきちんとたたまれて入れられた紙袋まであった。
「持って歩くのも大変だろう?」
 笑顔で手渡してくれる老婆に、八戒が笑顔で礼を言っている。
「三蔵、俺、腹減った」
 そのかたわらで悟空がいつものセリフを言い出した。しかもその目尻にうっすらと涙すら滲ませている。幼い外見と相まって、それは見る人に哀れを感じさせる程の威力を持っていた。
「おやおや。それなら、この先の海燕亭って言う所に行くといいよ。あそこはここいらじゃ一二を争う程のうまい店だからね」
 無邪気な悟空が気に入ったのだろう。老婆はそんな事まで教えてくれた。
「三蔵!」
 そのセリフに悟空の瞳が輝き出したのは言うまでもない事だろう。三蔵の僧衣の袂を握り見上げてくる悟空に、三蔵はため息をつくとさっさと歩き出した。その後を当然のように悟浄と八戒が追う。だが、コンパスの差か悟空はしっかりと悟浄に追い越されてしまった。その上しかし、時間帯のせいか何なのか、店が近づくに連れて人込みが増していく。
「……あぁ、迷子紐を買うのを忘れていましたねぇ」
 何度も人込みに流されそうになる悟空を受け止めながら、八戒が笑いながらそう言った。そして彼が次の言葉を口にするよりも早く
「俺は疲れたからな。もう抱えてあるかねぇぞ」
「え〜〜〜! 三蔵のケチ〜〜〜!!」
 と三蔵が宣言する。元々他人に触れられるのも触れるのも苦手な彼の事だ。相手が悟空とはいえさすがに辟易したのだろう。ここで無理強いをして昇霊銃を撃たれてはたまったものではない。そう判断した八戒がさっさと悟空を抱き上げた。我関せずと先を行く三蔵と悟浄はさっさと行ってしまう。。
「看板が見えて来ましたよ。もう少しですから我慢して下さいね」
 そう言いながら足早に店の方へと進んで行った。おそらくこれ以上待たせると空腹の悟空は何をしでかすか判らないと思ったのだ。器用な事にほ八戒はとんど隙間がないはずの人込みの中で誰にも触れることがない。
「すげぇ……何でんなことできるんだ?」
 あまりの見事さに空腹を忘れたらしい悟空が問いかけてくる。
「何でって……何ででしょうねぇ」
 自分でも無意識にやっている事ですから、と八戒は付け加えた。
「ちぇっ。つまんねぇ」
 教えてもらったら自分でもできるかもしれない。そうしたら間違いなく今まで以上に強くなれるだろうと悟空は思っていたのだ。
「まぁまぁ。ほら、三蔵達がにらんでますよ」
 そう言われて悟空は視線を店先に向ける。すると一足先に見せにたどり着いていた二人がいらついた表情で自分達を見ているのに気づいた。おそらく店の中から流れて来た匂いに空腹を刺激されたのだろう。悟空程ではないが、彼らも『食べる』と言う事にかなり執着をしているのだ。
「忘れてた。腹減ったァ」
 八戒の腕の中で暴れ出した悟空の腹の虫が盛大に自己主張を始める。
「はいはい。判っていますから少しおとなしくしていて下さいね。でないと、いつまでもたどり着けませんよ」
 悟空の身体を抱え直しながら八戒はそう言った。さすがにいつまでも店先にたどり着けないとまずいと思ったのだろう。悟空はおとなしくなる。バランスを取り直す必要が無くなったからだろうか。八戒は直ぐに三蔵達のところへたどり着いた。
「お待たせしました」
 にっこりと微笑みながら八戒はそう言うと、悟空を下ろす。それに三蔵は何やら文句を言いかける。だが、さっさと店の中に入ろうとする悟空とそれをそそのかしている悟浄の姿にあきらめた様だった。
「……ともかく、この馬鹿どもの腹の虫を黙らせてからだ」
「そうしましょう。腹が減っては戦ができぬと言いますしね」
 そう言うと八戒はさっさと二人を連れて店の中に入って行く。その後ろ姿を見て三蔵は小さくため息をついた。

 目の前に蒸籠と皿の山を積み上げてようやく満足したらしい。三蔵は袂からたばこを取り出すと食後の一服をうまそうにすっている。そんな三蔵を悟浄が恨めしそうな視線で睨み付けていた。三蔵が何か変な事を言ったら間違いなく喧嘩になるだろう。しかし、それよりも先に悟空が口を開く。
「三蔵! マンゴープリン、頼んでもいいか?」
「かまわんが、まだ喰う気か?」
 呆れた様に三蔵がそう聞き返すのに
「だって、デザートは別モンなんだろう?」
 と悟空は胸をはって言い返す。
「違いますよ、悟空。それを言うなら『甘いものは別腹』ですよ」
 正しい表現を覚えさせようというのだろう。すかさず八戒が訂正を入れてくる。
「……お前の胃は別腹じゃなくても底無しだろうが……」
 小さくなっても変わらない――いや、あるいはこの体格だからこそ余計に目立つといった方がいいかもしれない――悟空の食欲に呆れながらも三蔵は右手をあげて店員を呼び寄せる。
「お前はどうするんだ?」
 ついでという様に自分を睨み付けている悟浄に声を掛けた。
「……たばこ……って言ってもくれねぇんだろう?」
「当たり前です」
 すかさず口を挟んで来たのは八戒である。いつもの穏やかな表情なのにその背に背負っている雰囲気はまるで正反対の物だ。その迫力に悟空は思わず腰を浮かせてしまった程である。
「だったら、俺も喰うに決まっているだろう」
 それを何とかやり過ごして悟浄はそう言った。
「すみません、マンゴープリンを二つ追加して下さい」
 そばに歩み寄って来た店員に八戒がすかさず注文をする。
「ついでに、お皿、下げて頂けますか?」
 にっこりと微笑みながら付け加えられたそのセリフに、店員は嫌とは言えなかったらしい。素直にうなずくとテーブルの上に山積みになっていた皿を抱えて戻っていった。
「……さて、食べ終わってからどうするかを確認しておいた方がいいですよね」
 広くなったテーブルの上にひじを突くと八戒が三蔵に声を掛ける。
「確かにな。こいつらがガキになっただけならともかく、どうやら別の時代に逆上ったとなると迂闊に動けん」
「ですよねぇ」
「え? 何々??」
 保護者二人が同時にため息をついた事に気づいた悟空が慌てて三蔵の方に視線を向ける。
「猿は黙って喰ってろ。ほら、お望みの物が来たぞ」
 店員が持って来た小鉢を受け取ると、三蔵は悟空の前に置いてやった。言葉とは裏腹なその優しい仕種に、八戒と悟浄は呆れた様に視線を合わせるとため息をつく。何故なら、三蔵は次に差し出された悟浄の分はしっかりと無視していたからだ。
「……差別だ……」
 ぼそっと呟く悟浄に
「まぁ、悟空は素直で可愛いですからねぇ」
 仕方がなく手を伸ばして悟空の頭越しに彼の分のマンゴープリンを受け取った八戒がそう返事をする。
「八戒……お前、何が言いたいんだ?」
「内緒です」
 にっこりと微笑む八戒にそれ以上突っ込んで藪から蛇をつつき出してはどうしようもない。そう考えた悟浄はおとなしくレンゲでマンゴープリンをすくうと口の中に放り込み始めた。
 しかし、小鉢程度の量ではあっと言う間に空になってしまう。それでもまだ食べたりないのか――それとももったいないと思っているのか――悟空はシロップの中に沈んでいるクコの実を必死にすくおうと悪戦苦闘している。それを止めさせようかどうしようか三蔵が悩み始めた時の事だった。
「何だ?」
 店内が激しい振動に襲われる。元々地震などというものが少ない地域だ。当然建物もそんな事考えずに作られている。
「チッ!」
 揺れが激しくなるに連れて、天井からばらばらと破片が落ち始めた。
 それを避ける為に、四人はとっさに立ち上がる。そして、そのままテーブルの下にもぐり込んだ。しかし、さすがに四人全員が入る事はできない。とっさに悟空と悟浄が別のテーブルの下に飛び込んだとしても無理はなかっただろう。
 だが、三蔵達がその事実に気づいたのは揺れが収まってからの事だった。しかも、テーブルの下から這い出してみると店内は物凄い状態になっている。
「……馬鹿猿とエロ河童は……」
 埃のせいでそれ以上口を利きたくないらしい。
「この状況じゃちょっと見つけられませんねぇ。見せもいつ崩れるか判りませんし……外に出た方がいいかもしれませんね」
 仕方がないという様に八戒がこう提案した。しかし、それに対し三蔵は不満そうな表情を作る。
「悟浄はともかく、悟空はどこにいても三蔵を見つけられるでしょう? だから大丈夫ですよ」
 それよりもここで死んでしまう方が問題でしょう? と言われては反論のしようがなかった。渋々と言った様子で三蔵は歩き始める。八戒も瓦礫を避けながらその後を着いていった。

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