冗談

 直ぐにその街の様子がジープの上の四人に伝わって来た。
 蜃気楼でも何でもないどころか、そこは活気に満ちている。しかし、どこか違和感を感じてしまう。それが判らないまま、四人は街の入口までジープを止めると、後は歩く事にした。
「いいか? 勝手にうろつくんじゃねぇぞ」
 自分の隣でちょこちょこと動く頭に向かって三蔵はそう注意をする。もっとも、悟空の方がそれを聞いていたかというとかなり問題だった。と言うのも、通りの周囲にはいい匂いをさせている食堂だの屋台だのが両手の指では足りないくらいあったのだ。そろそろ空腹を感じ始めている悟空がふらふらと引き寄せられていったとしても不思議ではない。
「この馬鹿猿! 言ったそばから迷子になるんじゃねぇ!!」
 ふっと目を離したすきにふらふらと屋台の方へ引き寄せられて行く悟空の襟首を、三蔵は手を伸ばして引き戻す。そしてそれだけでは足りないというように肩に担ぎ上げた。
「何するんだよ、三蔵」
 荷物のように肩に担がれたまま、悟空は手足をばたばたと動かす。しかし、三蔵は本の僅かバランスを崩しただけだった。
「てめぇが勝手にうろつくのが悪いんだろう! これ以上余計な手間をかけさせるんじゃねぇ」
「だって、腹減ったもん」
 それ以上の理由はないと言うように悟空は言い切る。その理由に、三蔵は一瞬虚を衝かれてしまった。
「……さすがは猿……」
 次の瞬間、明らかに笑いをこらえていると判る口調で悟浄がこう言う。
「いっそ、迷子紐でもつけてますか?」
 八戒は八戒でそう提案をする。
「そんなもん、あるのか?」
 三蔵は自分達の荷物の中身を思い出しながらそう問いかけた。確かそのようなものはなかったはず……と言うより、四人の最低限の着替えの他は食料と三蔵達のたばこ以外何も積む余地はジープにはない。欲しいと思ってもあきらめた品物の一つだったのではないだろうかと言外に付け加えている。
「どうせこれから服を買わなきゃないのでしょう? ついでに買えばいいじゃないですか」
 にこにことそう言いながら八戒は逃げ腰になっている悟浄の襟首を握った。その仕種からして、彼が入手しようとしている迷子紐の本数は二本だと推測される。
「……猿回しみたいだが、この際背に腹は換えられねぇか」
 脳裏に完成図を思い描いたのだろう。三蔵はどこか嫌そうだという表情でそう口にする。
「猿回しってなんだよ!」
 三蔵の肩上で悟空はムッとした表情を作った。彼が何を考えたのか、長い付き合いで読み取ったのだろう。ついでに、昔一緒に出掛けた時に似たような事をされた記憶が珍しくも思い出されたらしい。
「言わなきゃわからねぇのか、てめぇは」
 そのセリフとともに三蔵は顔の脇にある悟空の尻を叩く。
「いてぇ! 何すんだよ、三蔵の馬鹿!!」
 せっかくおとなしくなった悟空がその刺激でまた暴れ出す。
「コラ、落とすぞ!」
 悟空の小さな手に髪の毛を引っ張られて、三蔵は思い切り顔をしかめる。同時にもう一発尻を叩いた。周囲に小気味いい乾いた音が鳴り響く。
「三蔵の馬鹿ぁ!」
 よほど痛かったのだろう。悟空は目尻に涙を滲ませている。そんな二人の様子に周囲から好奇の視線が向けられていた。しかし、三蔵はともかく悟空がそれに気づいている様子はない。このままでは三蔵が幼児虐待をしていると思われても仕方がないのではないだろうか。
「三蔵、あそこに服を売っている店がありますよ」
 これ以上面倒事を抱えてはたまらないと、八戒が口を挟んでくる。視線を向ければ、確かに色とりどりの子供服が店先に広げられていた。だが、どこか違和感を感じてしまう。
「まぁ、趣味は悪くねぇな。デザインが古いような気がしないわけでもねぇが」
 目をすがめながら三蔵は思った事をストレートに口にする。
「そう言われてみればそうですけど……でも、これだけ長安から離れると流行だって直ぐに伝わるわけじゃないんじゃないですか?」
 せめてそういう事はもう少し小さな声でいって下さいと八戒は三蔵に向かって苦笑を向けた。
「ったく……面倒くさい」
 三蔵はそれだけ口にすると、さっさと店先に向かって歩き始める。その後を悟浄とその肩に手をおいた八戒が追いかけた。
 そんな四人を人々の視線が追いかけていく。それも無理はないかもしれない。ただでさえ目立つ三蔵とその他の三人の関係がうまく掴めないのだ。ついつい好奇心が沸き上がってきたとしても誰も文句を言えないだろう。
 しかし、そんな視線には慣れている彼らは気にする様子もなく店先までたどり着いた。
「……いいか、ここから一歩も動くんじゃねぇぞ」
 肩の上の悟空にそう言うと、三蔵は彼の身体を地面の上に下ろした。その隣に八戒が悟浄を立たせる。そしていつもの人当たりのいい笑みを浮かべると
「すみません。ちょっと大きさを確認させてもらってもかまいませんか?
 店の奥にいる店主らしき人影に向かってそう声を掛けた。
「あぁ。汚さないように気をつけてくれればかまわないよ」
 直ぐさま人の良さそうな声が帰ってくる。ついでに付き合おうというように気風の良さそうな老婆が彼らの元まで近づいて来た。
「おやおや……どうしたんだい、この子らは。お兄ちゃんの服を着せられているようだけど」
 だぶだぶの服を身にまとっている二人を見て老婆は皺をさらに深くして笑って見せる。それはまるで孫を見つめる祖母のような表情だったので、言われた二人の方は嫌な気持ちにはならない。もっとも、三蔵だけはちょっと違う感想を持ったようだが。
「二人でじゃれ合ってて着替えを全部パーにしただけだ」
 三蔵が呆れたような口調でそう答えながら、悟空の身体に一枚の服を当てて大きさを確認する。だが、それは悟空にはちょっと大き過ぎたようだ。すそが膝のあたりまで下がってしまう。
「男の子だもんね。その位元気な方がいいって」
 老婆はまるで手品のように同じデザインで今の悟空に丁度いい大きさの物を差し出してくる。
「すげぇ」
 その早業に悟空は目を丸くした。
「その位できないと、この仕事はやってられないんだよ、坊や。上はこれでいいかね、お坊さま?」
 悟空に微笑みかけると、老婆は三蔵に確認を取った。
「あぁ」
 三蔵が短く同意の意を示すと、今度はその服によく似合うようなズボンを差し出してくる。
「下はこれでどうかね? 坊やにはよく似合うと思うけど」
 進められたそれは三蔵の目から見ても文句がつけられないものだった。
「いいんじゃないですか、三蔵?」
 悟浄の方の面倒を見ていた八戒が口を挟んでくる。
「それをもらおう。で? そっちの方はいいのか?」
 そう言いながら、三蔵は老婆からそれらの服を受け取った。そしてそのまま八戒へと手渡す。
「えぇ」
 よくよく見れば、彼の腕にはもう悟浄用らしい服が抱えられている。と言う事はもうしっかりと選んだという事だろう。
「いくらだ?」
 ならばさっさと代金を支払って着替えさせたいと考えているらしい。三蔵は老婆に向かってそう問いかけた。
「そうだね……それだと50と言う所かねぇ」
 老婆は八戒の腕の中の商品を見てにこやかにそう答える。その瞬間、八戒の笑顔が微かにこわばった。だが、あえてその理由を問いただすことなく三蔵は袂から硬貨を取り出すと老婆に手渡す。
「それで足りるか?」
 だが、老婆はその問いに直ぐには答えられなかったらしい。目を丸くしたまま繁々と三蔵が手渡した硬貨を眺めている。
「お前さまがた、長安からいらしたのかね?」
 そして三蔵達に視線を向けるといきなりこう問いかけて来た。
「そうだが?」
「そうならそうと言っておくれ。危なく心臓が止まる所だったよ。いやぁ、まさか死ぬ前にこれが拝めるとは思わなかった。先日新しく鋳造されたとは聞いていたけど、ここに流れてくるまではまだまだ掛かると思っておったからねぇ」
 老婆のそのセリフに三蔵は微かに不審の視線を向ける。だが、あえてそれを口にしようとはしなかった。
「しかし、どうするかね。お釣りは古い硬貨になるが……」
 さてどうしたものかと老婆が首をかしげるのにすかさず口を挟んだのは八戒だった。
「それでかまいません。あぁ、すみませんが、この二人が着替えする場所を貸して頂けませんか?」
 三蔵はともかく残りの二人が余計な事を口走らないうちにこの場から遠ざけたいと言うのが彼の本音かもしれない。
「それなら店の奥を使うといいよ」
 そんな八戒の内心に気づくことなく老婆はそう言ってくれた。
「そうだね。お釣りを取ってくるついでに案内してあげよう。坊や達おいで」
 老婆は愛想よく悟空達を手招く。本当に言っていいのか確認するように悟空は三蔵を見上げた。行って来いと三蔵が顎をしゃくれば、小さく頷いて見せる。そしてそのままぱたぱたと小走りに老婆に駆け寄っていく。その後を仕方がないというように悟浄が追いかけていった。
 三人の姿が完全に見えなくなった所で、三蔵はため息を一つついて見せる。
「どうやら困った事になったようですねぇ……」
 八戒も苦笑を滲ませながらそう言った。
 三蔵が先程老婆に手渡した硬貨は、確か鋳造されるようになってからゆうに百年近く経っている。と言う事は老婆と彼らの間に横たわっているはずの時も同じくらいだと言う事になるだろう。
「どうりで古くせぇデザインの服ばかりだと思ったよ……」
 イライラしたような口調で三蔵が言葉を吐き出す。それに八戒はさらに苦笑を深めた。
「ともかく、どうしてこうなったのか調べないと」
「判ってる」
 おそらく、あの祠の周辺で何かが起こったのだろうと三蔵は心の中で呟く。そして、それは妖怪の仕業ではないだろうという。少なくとも自分が知っている『妖怪』の中に『時間』を操れるものは存在しない。辛うじてそれができるであろう存在は……と記憶の中をたどってみれば結論は一つしかなかった。
(……神仏……なら可能かもしれんな)
 しかし、それが許されている事なのかどうか……
「ったく……誰の仕業かしらねぇが、犯人を見つけたらブッコロス」
 僧侶にあるまじきセリフを三蔵は口走っていた。

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