冗談

「……嘘だろう……」
 だぼだぼになってしまった服を信じられないという表情のまま引っ張りながら悟浄が呟く。
 その口調はさっきまでの彼のものだったが、声のトーンが一オクターブ程高い。と言う事は、まだ声変わり前なのだろう。
 その事実に反射的に股間を覗き込んだ悟浄は、現実を直視してその場にヘナヘナと倒れ込んでしまった。
 一方、悟空はと言うと
「何で、縮んじまったんだよ、俺!」
 そう叫びながら三蔵の方に駆け寄ろうとする。しかし、裃状態のズボンのすそを踏んでしまったのか、直ぐに転んでしまった。
「……これって、この泉が関係しているのでしょうか……」
 ようやく衝撃から立ち直ったらしい八戒がため息まじりに口を開く。
「こいつらだけ……って言う要因がそれ以外見つからない以上、そうなんだろうな」
 そう言いながら、無意識のうちに三蔵は泣きそうになっている悟空を抱き上げていた。反射的に絡みついてくる細い腕に、目の前の事態が現実だと確認させられて頭痛を感じてしまう。
「それにしても、ようやく手が掛からなくなったかと思っていたのに……これじゃ元の木阿弥じゃねぇか」
 どうするんだよ、これ……と付け加えながらもしがみついてくる悟空を放り出さない。その姿は本当の親子のようだと思いつつ、
「少なくとも頭の中身は変わっていないようですから、かなり手が掛からないと思いますよ。あぁ、悟浄の夜遊びがなくなった分、楽かもしれないですね」
 と声を掛けた。
「それは否定せんがな……」
 そうすれば、早朝の出発も可能になるだろう。旅の時間短縮にかなり役立つだろうという予想はある。だが、もし紅孩児の手下が襲ってきたらというどうなるのかという別の問題も出てくる。
「それじゃ使い物にならんだろう。猿は少々ガタイが小さくなろうとかまわないかもしれんが、河童はそう言うわけにはいかねぇんじゃねぇのか」」
 どちらかというと身の軽さとスピードが売りの悟空なら今の体格でもそれなりに闘えるかもしれない。だが、力で押し切る方が多い悟浄では子供の体格というのはマイナスにしかならないのではないか。
 かといって、自分達にもそんな悟浄をフォローしてやる余裕などないに等しい。
「だからといって、ここに放り出していく訳にもいかないですしねぇ」
 困りましたねと八戒は苦笑を深めた。
「……三蔵……」
 どうやら、自分達がこういう姿になったせいで三蔵に余計な心配をかけていると感じ取ったのだろう。悟空が不安そうな声を上げた。
「ったく、そんな表情するんじゃねぇ。ちゃんと連れて行ってやる」
 そう言いながら三蔵は悟空の後頭部に手を添える。そしてそのまま髪をぐしゃぐしゃと撫でるというよりは揺するといった方が正しい仕種でかき乱す。
「こんな所に捨ててったら、人さまの迷惑になるだろうしな」
 口ではそう言うものの、本心からのセリフでない事は八戒達にはしっかりと判ってしまった。
「ったく……結局は猿に甘いんだよなぁ」
 声変わりもまだという幼い声にいつもの口調は似合わないだろう。だが、外見はともかく中身があれである以上妥協しなければならない事は八戒には判っていた。だからといって、無意識に唇に挟もうとしたたばこまでは許容できなかったが……
「それが三蔵なんですから仕方がないでしょう。それより悟浄。元の姿に戻るまで禁煙して下さいね」
 しっかりと箱ごと取り上げながらそう釘を刺す。
「何でだよ」
「当たり前でしょう? 小学生にたばこを吸わせる保護者なんでいないんですから」
 優しく微笑むその表情の裏にとんでもない感情が隠れていそうで、悟浄はまるで蛇ににらまれた蛙のように固まってしまう。しかし、ヘビーどころかチェーンスモーカーといった方が正しい彼に『禁煙』を我慢する事ができるわけがなかった。
「何の因果でこんな風にされるは、生臭坊主には足手まといの烙印は押されるは……その上禁煙しろだと……踏んだり蹴ったりじゃねぇか」
 せめてもの意思表示に、悟浄は爪先で地面を蹴飛ばし始める。
「第一、いつもとの姿に戻れるかなんて誰にもわからねぇんだろう? ひょっとしたら永遠にこのままだって言う可能性も」
「あるだろうな」
 そんな悟浄に止めを刺すような鋭い一言が頭の上から振ってきた。その声の主が誰かなどと確認しなくても判ってしまう。
「元はといえば、てめぇが人の事を突き落としたのが原因じゃねぇァ!」
 反射的に視線を向けて食ってかかるが、三蔵は気に留める様子もない。
「このうえ風邪を引かれては厄介だ。何か適当に着替えろ」
 そう言いながら、手にしていたらしいタオルを悟浄の頭の上に放り投げて来た。確かに全身ずぶ濡れで気持ち悪かったのでその存在はありがたいと思ってしまう悟浄だった。しかし、その裏にどんな思惑が隠れているのか判らない以上、この心遣いが逆に気持ち悪く思えてしまう。
 かしかしとタオルで髪を拭きながらも、悟浄は視線を三蔵から離さなかった。しかし、三蔵の方はそんな悟浄の視線を気にする様子もなく、悟空の頭に乗せたタオルで乱暴に髪を拭いてやっている。二人の慣れた様子にどうやらそれが彼らにとっての日常茶飯事だったのだとしっかりと伝わって来た。
「……見事なお父さんぶりだな……」
 何をするにも面倒だとか何だと文句を言う三蔵の意外な面を見て悟浄は思わずこう呟いてしまう。
「まぁ、いいじゃないですか」
 どうやら今まで悟空の荷物の中から着替えを探していたらしい八戒が、そう言いながら綺麗にたたまれた服を差し出してきた。
「たぶんこれでも余ると思うんですけど……いつもの悟浄の服よりマシだと思いますから」
「ったく……見たくね〜〜」
 ため息とともに悟浄は今着ている服を脱ぎ出した。身体の線があらわになるに連れて、彼の口からこぼれ落ちるため息は深くなっていく。
「俺のナイスボディはどこにいっちまったんだよ」
 思い出したくない頃の自分の姿を再び見せつけられる羽目になるとは……と言うのがその理由だった。
「まぁ、最悪でも十年後位には戻ってくるとは思いますけどね」
 優しげな口調で八戒は悟浄を地獄の底に突き落としてくれる。
「八戒、頼むから……」
 少しはいたわってくれと言外に付け加えた。もっとも、それを八戒が聞いてくれるかどうかというとまた別問題なのだが。実は八戒が思いっきり執念深いという事を悟浄は嫌という程良く知っていたので。しかも、たばこに助けを求めたくても箱ごと取り上げられているし……
 鬱憤を張らすように悟浄は残った服を手荒に脱ぎ去ると、八戒が差し出してくれた服を身にまとっていく。しかし、年齢の割りには小柄な悟空の服でさえ今の自分には大き過ぎた。その事実が悟浄をまたへこませてくれる。
「なぁ、何してんだ? 三蔵が早く来いって言っているぞ」
 そこに能天気な声とともに悟空が顔を出した。袖やすそを思いっきりまくり上げただけじゃ足りなくて、ウエストもベルトでしっかりと締め上げている。悪戯してお兄さんの服を引っ張り出して身につけてみたお子さま……と言う表現がぴったりと来るかもしれない。
「……お前、どうしてそんなに明るいんだよ……」
 それよりも何よりも悟浄を刺激したのは、あまりにも変わらない悟空の姿だった。さっきまでは物凄く不安そうな表情を浮かべていたというのに、今はその影すら見つけられない。
「面倒くさい事は三蔵が考えてくれるって言ってたもん。だったら、俺が悩んでもしょうがないじゃないか」
 自信満々というような口調でそう言いきる悟空を呆然と見つめてしまう。次の瞬間、盛大にため息を吐き出した。
「本当にお前はお気軽でいいよ」
「そうはいうけどさ。俺が考えて失敗するより、三蔵に任せた方がいいじゃん」
 考える事がもともと得意ではない彼らしいセリフではある。確かに最高僧の称号である『三蔵』を持っている人間ならそれなりにできるのではと言う想いがないわけではない。しかし、問題なのはそれがあの三蔵だという事だけで……
「任せた挙句、銃弾が飛んで来て終わりって可能性もあるんだがな」
 状況が改善されなくて切れた三蔵が昇霊銃を撃ちまくったら、果たして今の姿で逃げきれるだろうか。本気で考え込んでしまう悟浄だったりする。
「何なら、いますぐ悩まなくてすむようにしてやろうか?」
 周囲の気温を引き下げるような声とともに悟浄の後頭部に何やら固いものが押し当てられた。それが何かなんて確認しなくても判ってしまう。
「それともこのままここで干乾しになるか? どっちでもかまわんぞ、俺は」
 その口調は三蔵がマジで切れる寸前だと教えてくれる。
「三蔵?」
 どうやって三蔵をなだめようかと考えているのだろうか。それとも単に干乾しになるのは嫌だと思ったのか――おそらく後者だろうと悟浄は判断する――悟空は表情を一転させて三蔵の名を口にした。
「ったく……ともかく、近くの街まで急ぐぞ。置いていかれたくなければさっさと来い」
 そんな悟空に仕方がないなぁと言う視線を向けると、三蔵はそう言う。次の瞬間には踵を返すとさっさと歩き始める。
「そう言う事だそうですから、急ぎましょう」
 悟浄が脱ぎ散らかした服をきちんとたたんで腕にかけた八戒がさらに二人を促すように声を掛けて来た。ついでとばかりに、悟空の身体を抱えあげる。
「俺、一人でも歩けるぞ」
「でも、こっちの方が早いでしょう?」
 だから降りると付け加える悟空に八戒は微笑んで見せた。
「だったら、悟浄はどうするんだ?」
 もっともな悟空の疑問に、八戒はさらに笑みを深める。
「悟浄よりも悟空の方が小さいですからね。まぁ、ジープまでたどり着いた時にまだしばらく掛かるようでしたらちゃんと迎えに行くから安心して下さい」
 喧嘩相手がいなくなると寂しいでしょうしね、と言う八戒はどこまで本気なのだろうか。思わず本気で考え込んでしまう悟浄だった。

「この道沿いにある街なら、何かの形であの泉の事が残っているかも知れねぇからな」
 あの壊れた祠から得られる情報がほとんどない以上それしか方法がないだろう。
 この近くに有った集落などが何かの原因でなくなったとしても、言い伝えなどは昔話として残っている事が多いのだ。時間がかかってもそれを探す方がここで読めない文字を解読するよりも早いだろうと言うのが八戒の意見である。それに三蔵も同意を示したのだ。
「……三蔵……」
 風で身にまとっている衣服がまるで帆船の帆のようにはためいている。ただでさえ今の悟空はミニサイズなのだ。そのままではいつ飛ばされてしまうかもしれない。
「何だ?」
 眉をしかめたまま、後部座席に陣取っていた三蔵が彼の身体を抱え込む。その事実すら気にならないというように悟空は言葉を続けた。
「この近くに街はないんだよな?」
 前方を見つめたまま、悟空はさらに問いかけてくる。
「……今度は何を見つけたんだよ」
 呆れたように言ったのは悟浄だった。
「あれ、何だと思う?」
 それに答えるように、悟空が斜め前方を指さす。反射的にその方向に視線を向けて、悟浄だけではなく三蔵も言葉を失った。
「あれ? 街のようですね」
 平然としていたのはハンドルをにぎっている八戒だけである。それだけではなく、彼はその街に向かってハンドルを切ったのだ。
「八戒?」
「罠かもしれないですけど、行ってみるのもいいんじゃないかと思うんですよね。どうやら蜃気楼や幻覚って言うわけでもないようですし」
 かまいませんよねと同意を求める。
「そうだな。この馬鹿どもの服も何とかしないといけないだろうしな」
 その八戒に三蔵が同意をした。こうなると残りの二人がどんなに騒いだとしても状況が変化するわけがない。それ以前に、こう言う時の三蔵は正しいと思っている悟空が彼らの判断に異議を唱えるはずがなかった。となると意義を口にしそうなのは悟浄だけという事になる。
「もう好きにして下さい」
 下手に反対をしてジープから放り出されるよりはましだと悟浄は心の中で呟いた。

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