一番最初にそれを見つけたのは悟空だった。
「何かある……」
ジープの後部座席に立ち上がって前方を見つめていた悟空が不意に声を上げる。
「何かって……何なんだよ」
それに真先に反応したのは、退屈が我慢できない悟浄だった。
「う〜んと……小さいから建物じゃないと思うんだけど……でも、建物だよなァ……」
だけど、あの大きさじゃ人間は住めないよなぁと悟空は付け加える。
「ともかく、人が作ったものなのですね? 自然にできたものではなく」
どこかに行ってしまいそうな悟空の思考を固定化するように、八戒が問いかけた。
「自然に木の板を組み合わせたもんはできないよね」
喰う寝る遊ぶ以外の常識に乏しい事は自分でも判っているらしい悟空が確認するようにそう言った。
「確かに、誰かが作らなきゃねぇだろうな」
ため息とともに三蔵が肯定してやる。その態度は、小さな子供が『どうして』と聞いてくるのに対して、いい加減答えるのが飽きて来た父親のものに似ていた。そんな三蔵の態度に、悟浄と八戒は笑いをかみ殺すのに必死だった。しっかりとそんな二人の表情が見えているのだろう。三蔵の眉間の皺が深くなっていく。
「ともかく、人が作ったものだとすると近くに誰か住んでいるって言う事ですよね」
これ以上三蔵の機嫌をそこねるのはまずいと判断した八戒が、話題をそらすようにそう口にした。
「……そう言うけどさ。ここいらには村とかなんかはないって言ってなかった?」
何やら面白い事になって来たとばかりに、悟浄が身を乗りだしてくる。
「そうなんですけどね……僕達が持って来た地図が古くなっている可能性も否定できませんし、それに……」
「それに、どうしたんだ? 八戒」
「今朝、誰かさん達がふざけて水をこぼしてくれたでしょう? 少しでも早く補充したいんですよね。このままでは食事の支度もできないですし」
悟空の問い掛けに八戒は丁寧に答えてやった。その瞬間、三蔵と悟浄が同時にいやそうな表情を作る。
「え〜〜! マジかよ。それ困る。絶対困る!!」
悟空が周囲に響きわたるような声でそう叫んだ。
「あぁ、悟空は知らなかったんですよね。マジなんですよ」
そんな悟空をなだめる為にか、さらに優しい口調で八戒は説明を始める。
「悟空に飛んでいった洗濯物を取りに言ってもらっている時にね、悟浄が三蔵が新聞を読んでいる所に転んじゃったんですよ。で、いつもの騒動が始まったというわけです」
それだけですんでくれれば良かったんですけどね……と笑いながら言う八戒の言葉にハリセンボンの様な刺を感じたのは三蔵達の気のせいではないだろう。
(ったく……どうしてこう無害な面をして性格悪いんだか)
袂からたばこを取り出しながら、三蔵は心の中でぼやく。
「と言うわけですので、悟空。申し訳ありませんが、あれの他に何か建物がないか探してくださいませんか? でなければ、川でも池でもいいです」
「判った」
ともかく水を手に入れなければご飯が食べられない。それだけは嫌な悟空は素直にうなずいて見せる。こう言う時に、一番視力のいい悟空にそういう役が振られるのはいつもの事なのだが
(……八戒の奴、そーとー根に持ってるな、今度の件)
心の中で悟浄が思わずそう呟いてしまうのは、きっと、罪悪感のせいだろう。三蔵も同じ事を考えていたのだが、それを看破できる程悟浄は精進を積んでいなかった。
それから十分も掛からずに、その場所にたどり着いてしまう。悟空が見つけた建物は建物と呼べるような代物ではなかった。おそらく、何かの『土地神』を祭っていたらしい祠だろう。だが、祭る者もいなくなって久しいのか朽ちかけたそれを見て、悟浄が盛大なため息をついて見せる。
「……期待外れ……」
ぼそっと呟かれたセリフに、悟空がムッとした表情を作った。
「悪かったな、エロ河童! 飯が食えなかったらてめぇのせいだからな」
そう言いながら、悟空は悟浄の足を蹴飛ばす。
「俺のせいだけじゃないよん。三蔵さまにも同じセリフ言って来な」
それを難なく避けながら、からかうような口調で悟浄が言い返した。
「何で三蔵に言わなきゃないんだよ。八戒のセリフだと、最初にちょっかいかけたのは悟浄って話じゃねぇか。って事は悟浄が悪い!!」
きっぱりと言い切る悟空に、悟浄は一瞬目をまるくする。だが、次の瞬間、
「飼い主さんは絶対ってか。いいペットだねぇ」
呆れたような口調でそう言い返した。
「俺は三蔵のペットじゃねぇぞ!」
「あれ? そうだったっけ」
「そうだよ!」
「じゃ、お荷物か?」
「悟浄、てめぇ!」
いつものじゃれあいが始まる。しかし、それが本格的になる前にいつものように三蔵の昇霊銃が火を噴いて二人の動きを中断させた。
「三蔵、危ないじゃん」
せっかくその気になったのに……と言う表情を隠さないまま悟空が三蔵に文句を言う。
「うるさい」
この程度で死ぬわけがねぇだろうと視線で伝えながら、三蔵は再び袂に銃をしまった。
「先にする事があるだろうが」
そして、いつものあの口調でこう言う。
「……てめぇにだって責任はあるだろうが……」
あまりに偉そうなその態度に、悟浄は思わずぼそっとこう呟いてしまった。次の瞬間、彼は銃弾を避ける為にその場でステップを踏む羽目になってしまう。
「本当の事だろうが!」
「うるせぇ!!」
反論を試みる悟浄に、三蔵はまたしても銃弾で答える。避ける方がうまいのか、それとも器用に指一本外して撃っているのか……どちらか判らないが、知らない人間が見たら心臓が止まるのではないかと思ってしまう。
「三蔵。どうせ悟浄には当たらないんですから、弾の無駄ですよ」
もっとも、これが日常茶飯事の残りの二人はこの程度で驚くような可愛らしい性格をしていない。八戒が止めに入ったのは本心から弾がもったいないと思っているからだろう。
「弾だってただじゃないんですし」
このセリフがそれを如実に表していた。
「……俺って……」
自分の存在意義に悩んでしまった悟浄は思わずその場にしゃがみ込むと、地面に指先で『の』の字を書きはじめる。
しかし、誰もそんな悟浄に注意を向けるものはいない。彼らの注意は廃墟となりつつある祠の方に向けられていたのだ。
「三蔵。八戒でもいいや、これなんだと思う?」
周囲をうろついていた悟空がどこからともなく掘り出して来たらしい板を差し出しながらそう問いかけてくる。
「祠の説明書きか? かすれてよく分からんが」
思わず受け取ってしまった三蔵は仕方がないというようにそれに書かれている文字に視線を向ける。
「……子……水か、これは」
薄れてはっきりとはしない文字を見つめながら、三蔵が隣の八戒に確かめるようにそう言った。
「ですねぇ……でも、水子地蔵って言うわけでは無さそうですね」
順番が逆ですものねぇと八戒は笑い声を立てる。
「そりゃ、エロ河童の管轄だろうが」
くだらねぇ冗談は止めろとため息とつきながら、三蔵はため息をつく。
「第一、猿に聞かれたら後々面倒だろうが。お前が責任をとってきちんと説明するって言うなら話は別だが」
そんな面倒な事、俺はごめんだぞと三蔵は言外に付け加えた。
「そうですね。止めておきましょう」
さすがにお子さまに説明するにはなんな内容だと判断したらしい八戒も、素直にうなずいて見せる。一方、話題の主の悟空はと言うと、風の中に何か感じたのか二人の会話を聞いてはいないようだった。そのまま不意に歩き出す。
「悟空?」
いったい何があったのかと慌てて悟浄が声を掛けた。
「水の匂いがする」
それに対しての答えがこれだった。しかし、悟浄がいくら周囲の匂いを嗅いでもそのような者は感じられない。と言うより、『水』に匂いがあるなんて知らないという方が正しいのか。
「……やっぱ、動物だったか……」
だが、悟空の鼻はそんなささやかな匂いもしっかりと嗅ぎつけたらしい。呆れたようにそう呟くと、悟浄は彼の後を追った。いや、彼だけではない残りの二人も少々距離をおいてついて来ている。もっとも、悟空の後を追いかけるのはなかなか大変なのだが。
しかし、それほど離れた所ではなかった事が彼らには幸いした。それでもお子さまの体力にかなうわけがなく、少々息を荒くしていたが……
ようやくそばまで来た三人を振り向いたくと、悟空は不思議そうな表情を作った。
「なぁ、この水、飲めると思うか?」
悟空の足元には、小さな泉があった。そこはすんだ水が湛えられている。それなのにどうした事かその周囲には草一本生えていないのだ。その事実が悟空にそんな質問をさせたらしい。
「うさん臭いな」
動物の本能って言う奴なのか……って小さくつぶやく三蔵の声を聞きながらも、
「……と言ってもどうやって調べたらいいのか……」
八戒は律儀に悟空の問いに答えてやる。
「飲んでみるのが一番確実でしょうけど……万が一の事を考えますとねぇ」
まともな意見のはずだったのだが、三蔵は口元に酷薄な笑みを作るといきなり悟浄の襟を掴んだ。
「……こいつなら少々の事は大丈夫だろう」
そして、この言葉とともに悟浄の背をどつく。
「なにしやがるんだ、この生臭坊主!!」
何とかバランスを保とうと悟浄は悪戦苦闘をするが、足場が悪かった。泉の淵で踏ん張ろうとした瞬間、彼の足の下の土はその体重を支えきれずに崩れてしまったのだ。
「マジかよ!」
そう叫びつつ、悟浄はとっさに手近にあった悟空のマントの端をを握りしめる。
しかし、軽量級の悟空にそんな悟浄の体重を支えきれるわけがなかった。
「このエロ河童!!」
その言葉が終わらないうちに、二人はもつれるようにして泉の中に落ちてしまう。
ばしゃばしゃと二人が水中でもがくさまが三蔵達の視線に入って来た。
「……三蔵……」
さすがにこのままではまずいのではないか。そう判断した八戒が慌てて三蔵に声を掛ける。いくらなんでも、一人で二人いっぺんに助ける事などできないと思ったのだ。
「ったく……余計な手間をかけさせやがって」
自分がこの事態を引き起こしたというのに、勝手なセリフを口にしながらも三蔵は渋々八戒の隣へと移動する。そして、池の中の二人に向かって手を差し伸べた。そのまま手に触れたものを掴んで引き上げた。その隣で八戒もまた同じような行動をとっている。直ぐに悟空達は泉から助け出されたのだが……
「……おい……」
何かを確認するように三蔵が八戒に声を掛ける。
「僕に聞かないで下さい」
それに対し、八戒はため息とともに答えた。
二人の視線の先には丁度小学校低学年位の子供が二人座っている。その片方は三蔵にも見覚えがあった。茶色の髪に金色の瞳の、丁度五行山で拾った頃の悟空の姿だ。と言う事は、もう一人の赤い髪をしている方が悟浄という事になるのか。
しかし、二人がどうしてこうなったのか。
その答えを二人は持っていなかった……
INDEX・
NEXT
|