「何故、あの者を始末しようとなさらないのです!」
 すべての後始末を終えた三蔵と僧正の元に、こう言ってくる者たちが後を絶たない。
 僧正の言葉通り、金鈷を額に嵌められた悟空は、彼らが知っているあの無邪気な存在に戻っていた。しかも、金鈷を外されていたときの記憶はほとんどないと言っていい。だが、断片だけでも残っているせいか、部屋から出ようとしたがらなかった。金鈷を外された影響か、体調が優れない彼には丁度いいのかもしれないが……
 そして、報告を受けた斜陽殿からも、天界から『おとがめなし』と言う言葉が届いていると伝えられていた。
 しかし、それで納得しない者も多い。
「今の猿のどこが危険だ?」
 その中の一人である目の前の男に、三蔵は冷徹な声を返す。
「……今後も同じような事件が起こらぬとも限らぬのでは……」
 その剣呑さにびびりながらも、僧侶はこう主張を口にした。
「猿が暴れても、今まで一度も外れたことがないぞ、あれは……観世音菩薩の力が込められているそうだからな。今回みたいに、誰かが外さなければな」
 文句があるのであれば、今回のことを計画した連中に言え……と三蔵は言外に付け加える。
「そうですね。今回のことは悟空の咎ではないでしょう。もしあの子の責任を問わなければ行けないと言うのでしたら、その前に、観世音菩薩様によって禁じられていたというのにあの子の金鈷を外した者と、そのような不埒者がいると知りながら何の手だても取らなかった者を先に処分しませんとね」
 もっとも、前者についてはきちんと処断するが……と僧正が二人の会話に口を挟んできた。
「今回の一件に関しては、天界の方々もお気にかけていらっしゃると言うことですので……あの者たちはみな、斜陽殿へと移送することになりました。そのための準備をお願いいたします」
 まさか『天界』まで関わってきているとは思わなかったのだろう。僧侶はぎょっとしたような表情を作る。そして、自分たちが何を言っても無駄だと判断したのか、
「……かしこまりました……」
 こういうとおとなしく引き下がった。
「悟空の様子はどうです?」
 そして、命じられた行為を行うために彼らから離れていく僧侶の背を見送りながら、僧正が三蔵に問いかけてくる。
「相変わらずだ。部屋はおろか、布団の中からでてこねぇ」
 俺の顔すら見たがらないのだから、かなりな重傷だろうと三蔵は付け加えた。それを耳にした瞬間、僧正も大きなため息をつく。
「そうですか……あの子の責任ではないのに……」
 もう一人の『悟空』の行いは、それほどまでに悟空を苦しめているのか……と僧正はつぶやいた。
「あんたは平気なのか?」
 今までと変わらない僧正の様子に、三蔵がこう問いかける。
「何がですか?」
 三蔵の言葉の意味がわからないと言うように、僧正は視線を向けてきた。そこには、いつもの柔和な笑顔しか浮かんでいない。
「あいつが怖くねぇのか? あんたももう一人のあいつに傷つけられた一人だろう?」
 三蔵はそんな僧正に向かってこう問いかけた。
「あれは『悟空』自身ではありませんでしょう? おそらく、彼が『斉天大聖』でしょう。あの二人は、いわば本人と鏡に映った影と言う関係。私にしても、あなた様にしても、心の奥に影があります。悟空の場合は、それが表に出てしまっただけですからね」
 あの子を恐れる理由にはならないだろうと僧正は付け加える。
「それに、あの子はあんな状況でも私の命を取ろうとはしませんでしたのでね。あるいはどこかで歯止めがかかっていたのかもしれません」
 ならば、あの姿の時も悟空の意識はほんのかすかにだが反映されているのだろう。それに大切なのはあんな状況へと追い込まれてしまった悟空を排斥することではなく許すことではないか、と僧正は付け加える。
「……あんたがそうならいいんだが……」
 三蔵はどこかほっとしたような口調でこう言った。
「問題は猿か……」
 あの様子では三蔵や僧正の話をすぐには信用しないのではないだろうか。
 しかし、このままではただウザイだけだと三蔵は考える。
 どうすればいいのかと本気で考えてしまう。
「一番傷ついているのは、間違いなくあの子でしょう。あまり無体なことは……」
 いっそぶん殴ってでも……と考えた三蔵の思考を読んだのだろうか。僧正がすかさずこんなセリフを口にする。
「チッ」
 小さく舌打ちをする三蔵に僧正は盛大なため息をついて見せた。
「まぁいい。何とかなるだろう」
 それよりも、今必要なのは二度とこんな事件が起きないことだと三蔵は付け加える。今回だけならフォローができるだろうが、二度目となればそう言うわけにも行かないだろうという判断からである。
「そうですね。それが先決でしょう」
 そのためには何が必要なのか……と僧正は本気で考えているようだ。三蔵もまた、手加減をするのをやめたと心の中で付け加える。
 そんな二人に、先ほどの僧侶が準備ができたと伝えにきた。

「俺、もう、三蔵のそばにいちゃだめなんだよな……」
 薄暗い寝室で、悟空が頭から布団をかぶったまま小さくつぶやく。
「でも、俺、どこに行けばいいんだろう……」
 五行山に戻されるのか、それとも他のどこかに閉じ込められるのか……あるいは、殺されてしまうのかもしれない。しかし、三蔵から引き離されて一人で閉じ込められるくらいなら、いっそその方がいいかもしれないと悟空は思ってしまう。
「……もう、一人で閉じ込められるのはやだもんな……」
 あの、自分の心臓の鼓動以外に聞こえるのは、風の音だけ……と言う日常には戻りたくない。あの頃ならともかく、今なら間違いなく気が狂ってしまうだろう。
 しかし、悟空が『嫌だ』と言っても、決めるのは彼ではない。
「……三蔵……」
 悟空は救いを求めるように彼の名を口にした。
「ったく……ウゼェんだよ、テメェは!」
 次の瞬間、悟空の耳に三蔵の声が届く。反射的に声がしたほうに視線を向ければ、執務室と寝室を繋いでいる扉の所に立っている三蔵の姿が目に飛び込んできた。
「……な、んで……」
 ここにいるのか……と言う言葉を悟空は辛うじて飲み込む。
「テメェの声がうるさかったんだよ」
 出かけようと思ったのに、出かけられねぇだろうと付け加えながら、三蔵は悟空の側まで歩み寄ってくる。
「言いたいことがあったら、さっさと言え!」
 でなければ、人を呼ぶのを止めろと三蔵は口にしながら悟空を睨み付けた。
「……俺、呼んでねぇ……」
 前にどこかで似たようなセリフを口にしたような感覚に襲われながら、悟空はこう口にする。
「この、馬鹿猿!」
 次の瞬間、悟空の頭に三蔵のハリセンが振り下ろされた。
「テメェが自覚してねぇだけだろうが! 同じことを二度も言わせるんじゃねぇ!」
 頭を抱えて布団の上に突っ伏してしまった悟空の上に三蔵のこのセリフがふってくる。
「……だって、俺……」
 もう三蔵の事を呼んではいけないんだろうというセリフを悟空は飲み込む。と言うのも、三蔵の機嫌がさらに悪くなっていることに気がついたのだ。
「俺……がどうしたんだ?」
 さっさと続きを言え と三蔵はさらに低い声で告げる。
「……ここ、追い出されんじゃねぇの? 覚えてねぇンだけど、俺がやったんだろう、あいつら……」
 だから追い出すんだっていってた……と悟空は小さな声で付け加えた。つまり、排斥は暖簾中が技とらしくこの部屋の前でそういう話をしていたのだろうと三蔵は判断する。
(ったく……ロクナコトをしやがらねぇな)
 悟空を追い出すことは出来なくても、自分からでて行くように仕向けることは出来る。その考えは確かに正しいかもしれないが、だからといって実際にやられるとムカツクなどというものでは収まらない。
 それ以上に腹立たしいのは、悟空がそれを信じているということだった。
「俺やジジィが、一言でモンなセリフはいたか?」
 怒りを押し殺している……と誰が聞いても気がついてしまうような口調で三蔵は言葉を悟空へと投げつける。
「……だって……」
 じいちゃんの怪我も、俺のせいだろう……と悟空は付け加えた。
「そのジジィが気にしてねぇって言うんだ。何でテメェがんなにぐちぐち言ってンだよ」
 いい加減にしろ、と三蔵は悟空を怒鳴りつける。彼の脳裏からは、先程の僧正との会話などとっくにどこかに吹き飛んでいたのは事実だ。
 そんな三蔵の剣幕に、悟空は大きく目を見開く。
「嘘、だろ……だって、皆が……」
「その皆って言うのは、いったい誰なんだ? 俺やジジィよりも信用できるって言うのか」
 反論を口にする悟空の言葉を途中で遮って、三蔵はこう問いかけた。
「……だって、向こうの方が人数多いんだろう……いくら三蔵とじいちゃんが頑張ってくれたって……」
 皆に追い出せと言われれば、三蔵たちだって頷かずにはいられないの絵はないか……と悟空は主張した。
(……何でこんなことばっかり聡いんだよ、こいつは……)
 どこかで『多数決』と言う言葉を仕入れてきたのだろうが……と三蔵はため息をつく。
「そんときゃ、こっから出てけばいいだけの事だ。俺はいたくているわけじゃねぇからな。出てっても文句は言われンさ。それに、ここじゃ多数決より俺やジジィの意見の方が優先されるんだよ。第一、テメェに関することは俺に一任されてんだ。その俺が追い出す気はねぇっていてるんだから、誰も追い出せねぇんだよ」
 そして、俺はテメェを追い出す気は全くねぇ……と付け加えながら、三蔵は悟空の顔を覗き込む。
 三蔵の視線の先で、悟空の瞳が不安と期待の間で揺れている。
 信じたいのだが、何かがそれを邪魔していると言う悟空の気持ちが三蔵には手に取るようにわかってしまう。
 そして、このまま悟空をおいていけば、さらにまずい状況になってしまうのではないか……という予感があった。
(仕方がねぇ)
 無理矢理にでも連れて行くしかないのだろうな……と三蔵は心の中で付け加える。だが、今まで布団の中から出ようとしなかった彼が、おとなしくついてくるだろうか。
(そんときゃ、引きずってでも連れて行くしかねぇか)
 あぁ、面倒くさい……と思いつつも、それ以外に方法がないこともわかっている。
「ともかく出かけるぞ。ささと準備をしろ!」
 当然のように悟空は逆に布団を体に巻き付けて嫌だと意思表示をした。
「なら、仕方がねぇな」
 三蔵はそう言うと同時に、布団ごと悟空の体を方に担ぎ上げる。そして、金冠を手にすると、そのまま部屋の外へと向かった。


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