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三蔵の一言が聞いたのか、それとも僧正が根回しをしたのか。 会議の最中、あの武芸者の姿を三蔵が眼にすることはなかった。しかも、いつもそばに誰かがいて、三蔵に近づく者をシャットアウトしているのだ。 「……ウゼェ……」 自分にあこがれのまなざしを送ってくるその他大勢が近寄ってこないことはましといえばましだろう。だが、すぐそばに自分以外の誰かがいると言うことは、三蔵にとっては大きなストレスだ。 宿に戻れば戻ったで、悟空がまとまりついてくるし――もっとも、悟空の気配はここにいる僧侶達ほど気にならないのだが、それでもうるさいことには変わらない――一人でゆっくりできる時間という者が今の三蔵にはないに等しかった。 「せめて、たばこぐらい一人で吸わせろ……」 三蔵は思わずこうぼやいてしまう。 「三蔵様」 何かおっしゃいましたか? と世話役の小坊主が声をかけてくる。 「一休みしたいんだが、どこか部屋は空いているか?」 場所があったら、絶対全員を追い出してやる……と心の中で付け加えながら、三蔵はこう問いかけた。 「それでしたら、すぐにご用意をさせていただきます。何でしたら、昼食もそちらでおとりになりますか?」 三蔵の機嫌が悪くなっていることに気がついたのだろう。彼はこんな提案をしてくる。 「……頼むか……」 少なくとも、じじいたちの顔を見ずにすむならかなり気分的に楽だろう。そう判断をして、三蔵は頷いて見せた。 「では、そのように手配をして参りますので、少々お待ちくださいませ」 おそらく悟空と同じ年ぐらいであろうに、あの小坊主はかなり有能なようだ。でなければ、三蔵の世話役を任せられないのであろうが…… (それにしても、猿に比べると、なぁ……) 比べる対象が違いすぎるという思いは三蔵にもある。それに、悟空の存在がかなり特殊だと言うこともわかっているのだが、やはり、あまりに思考がお子様すぎる。ひょっとして、これは自分の教育が悪かったのだろうか……などと三蔵はついつい考えてしまった。 「まぁ、猿はあれでいいんだが……」 あの小坊主のようなまねをされても、今更キモイけだ……と三蔵は心の中で付け加える。 その時だった。 三蔵は背後に人の気配を感じて振り返る。そこには窓しかないはずなのだ。しかも、ここは階段状の建物になっているために、外からのぞけないような作りになっている。普通の人間がそこにいるはずがないのだ。三蔵が、とっさに銃を手にしていたのは、今までの経験で身に付いた行動であろう。 「驚かせてしまったようで申し訳ありません」 そう言いながら窓から姿を現したのは、あの武芸者だった。 三蔵の表情がますます険しくなっていく。 だが、うかつに話しかければ、もっとやっかいなことになるだろう。そう判断して、三蔵はさっさとその武芸者から離れようとした。 だが、その三蔵の腕を武芸者のそれがつかんだ。 「玄奘三蔵様に、お願いがあります」 振り払おうと体の向きを変えた三蔵に、武芸者がこう言ってくる。 「放せ! 俺にはテメェの話を聞く気はねぇ」 三蔵は冷たい視線とともに言葉を投げつけた。そして、強引に男の手を振り払う。 「あなたにとってもよい話だと思うのですがね」 だが、そのくらいであきらめる男ではなかった。歩き出そうとする三蔵の僧衣の袖を今度は掴んでくる。 「聞く気はない!」 三蔵は思わず声を荒げてしまった。 その声を聞きつけたのだろう。 「貴様! いったいそこで何をしている!」 「三蔵様から手を放せ!!」 気を利かせて三蔵から少し離れた場所にいた僧侶達があわてて駆け寄ってくる。 「あの異端の妖を、是非ともお譲りいただきたい!」 彼らに引き離されては、もう機会はないだろうと判断したのだろう。武芸者が一気にこう叫んだ。 「……テメェ、馬鹿か?」 三蔵は口元に玲瓏とした笑みを浮かべるとこう言い返す。 「何でテメェごときに、家の馬鹿猿をやらなきゃねぇんだ。寝言は寝て言え!」 この言葉とともに、三蔵は武芸者の眉間に銃口を押し当てる。 「さっさと手を放せ。でねぇと、引き金を引くぞ」 周囲の気温を氷点下にまで下げてしまいそうな口調でこう言った。 「三蔵様、その男がどうしたのでしょうか?」 「無礼者! 三蔵様にそのような手で触れるでない!」 三蔵の気迫に気圧されたのだろうか。武芸者は三蔵から引きはがそうとする僧侶達の動きに逆らおうとはしない。 「……マジ、気にいらねぇな……」 引きずられるように連れ出される男の背を見送りながら三蔵は小さくつぶやいた。 「猿をどうしようって言うんだ」 どう見ても、あの男の言動から察するにろくでもない事だとしか考えつかない。 「ジジィなら、何か知ってるか」 自分にあんなセリフをはいた以上は、それなりの情報を握っていると判断できる、と三蔵は心の中でつぶやく。そして、早々に問いただそうと心に決めたのだった。 「……そうですか……」 三蔵から事の顛末を聞いた僧正が、あきれたようにこう口にする。 「まさかそこまでするとは私も思っておりませんでしたよ」 そして、ため息とともに言葉を付け足す。 「って事は、やっぱ、あのばか野郎の言葉の理由を知っているんだな、あんたは」 三蔵は僧正をにらみつけた。しかし、その三蔵の視線も僧正は気にならないらしい。 「私も偶然小耳に挟んだのですよ」 さらりとした口調で言葉をつづり出す。 「あの子を倒すことで、自分の強さと流派の名を知らしめたいのだとか…… あの子がかつて、天界で大罪を犯した異端の存在だと言うことを知っているものはそれほど多くなのですが……どこからか聞きつけたのでしょうね。そして『妖怪』なら、何をしてもかまわないと思っているようですよ」 嘆かわしいことです……と僧正は締めくくった。 「……マジで気にいらねぇな……」 悟空をあくまでも『道具』としか思っていないあの男の下卑た考えに三蔵は吐き気すら覚えてしまう。 「ともかく、もうしばらく私に任せてくださいませんか? 斜陽殿の方々とあの子の存在は観世音菩薩様からお預かりしたもので、我々の好きにはできないのだと周知させることで話がまとまりましたので……」 おそらく、僧侶関係はそれで収まりがつくのではないか……と僧正付け加える。だが、三蔵にはそう思えなかった。 「家の馬鹿どもにも通用しねぇのにか?」 その言い訳が通用するなら、寺院の者たちの悟空にたいする態度がもう少し変わってきてもいいようなものだろうと三蔵は懐疑的な声で付け加える。 「第一、その話を信用するものがどれだけいるんだ?」 軽々しく神の名を出して……と三蔵は思わずにいられない。 「それでも、何もしないよりもましだと思いますよ」 僧正はそのために斜陽殿の者たちを巻き込んだのだ、と付け加える。 「しかし、家の者たちは確かに要注意ですね……あの男を勝手に招き入れないとも限りませんし……」 僧正は何かを考え込むかのようにこう口にした。 「……猿にも言っておかねぇとな……」 うかつに変な奴に近寄るんじゃねぇと……と三蔵は小さくため息をつく。 「そう言えば、悟空がそろそろおなかをすかせていることではありませんか?」 三蔵のセリフで思い出したというように僧正が口にした。 「……騒ぎ出す前に喰わせに帰るか……」 でないと、何をしているかわかったものではないと言う不安が二人の心をよぎる。そのまま二人は急ぎ足で歩き始めた。 |