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初めて見たときから、あいつは気に入らない……と言うのが三蔵の印象だった。 僧侶達の中で――もちろん、自分のことが棚上げである――武芸者という風体のその男は一際目立つ。しかも、いかにも攻撃的な雰囲気を身にまとっているのだ。 「……誰だ、あいつは……」 不機嫌さを5割り増しにした口調で三蔵は手近な小坊主に問いかける。 「あの方……ですか?」 最高僧の玄奘三蔵のことはしているのだろう。かしこまると、小坊主は彼が指さした方向へと視線を向ける。 「はっきりとは思い出せないのですが……確か、あちらの方々が武芸の指南を受けている武芸者の方だとか……」 そう言いながら、彼が指さしたのはこの地方では武芸で有名な寺の片割れだった。 その寺院は、同じように武芸で有名な寺とは系統が違うらしく、ことあるごとに対立をしていることは有名だった。 そして、彼らが最近優位に立っていることも、また事実である。 小坊主の言葉が正しいのなら、その原因はあの武芸者にあるということになるだろう。 「……気にいらねぇな」 例え、それが事実だとしても、今回の会議は高僧たちと斜陽殿から派遣されたもの――もちろん、彼らの意見は天界から命じられたことである――だけで行われるものだったはず。それなのに、何故、僧侶ではないものがこの場にいるのか。 「申し訳ありません!」 三蔵の言葉を聞いた小坊主が、あわててこう口にする。その事実に、三蔵は思わず苦笑を浮かべてしまった。おそらく、前の会議のとき――ひょっとしたらその前だったかもしれない――機嫌を損ねた三蔵が途中で帰ってしまって大騒ぎになったことがあったのだ。 途中でふてくされた三蔵が酒場で自棄酒を飲んでいる最中に、僧正が大あわてで寺院から悟空を呼び寄せて、その結果、三蔵が舞い戻る羽目になったのはまた別の話ではある。 閑話休題。 おそらく、そのことを聞き及んでいた寺院のものが、三蔵の機嫌を損ねるなときつく命じていたのだろう。小坊主は泣きそうな顔をしながら、頭を下げている。 「誰も、テメェに文句を言っているわけじゃねぇだろうが」 そんな小坊主に、三蔵はあきれたようにこう言う。そして、これ以上あの男の姿を視界に入れていたくないと言うかのようにきびすを返した。 「三蔵様?」 いったいどうしたのだろうと首をひねりながら、小坊主はその後を追いかける。 「控え室に戻るだけだ」 足を止めることなく、三蔵は小坊主に言い放つ。そのセリフに、彼は安心したようである。 「では、お茶の用意をさせていただきます」 かまいませんか、と問いかけてくる彼に、三蔵は頷いて見せた。 だが、三蔵の機嫌はその間にも自分を追いかけてくる視線を感じて坂道を転げ落ちるように悪くなっていく。 (いったい、何が目的なんだ……) その答えはまだわからなかった。 三蔵が会議の舞台である寺から宿舎である宿へと戻ってきたのは、夕食の少し前だった。もちろん、僧正も一緒である。 本来なら、彼らは寺の僧坊へと宿泊しなければならなかったのだが、今回は人数が多いと言うことともう一つ別の理由があって近くの宿へと部屋を取ったのだ。 「三蔵、お帰り!」 室内へ足を踏み込んだ瞬間、もう一つの理由である悟空が、寺院にいるときと変わらない声をかけてくる――長期間、自分も僧正もいない寺院に悟空をおいておくと、どのような結果になるか想像しなくても想像できるようになってしまった。今回も同じことが起きるとは限らないが、精神的不安は少しでも取り除いておくに限るとばかりに、つれてきた……というのが真相である―― 「今日はもういいのか?」 そして、まるで子犬が飼い主に駆け寄るかのように三蔵の方へと近寄って来た。 「馬鹿!」 あまりに勢いがよすぎて、悟空が三蔵に抱きついた……と思った次の瞬間、二人はそのままの体勢で床に倒れ込んでしまう。しかも、ダメージは三蔵の方が大きかった。 「おやおや。そんなに寂しかったのですか」 その様子を後ろで見ていた僧正がほほえましいというように口を開く。 「……どこをどう見たらそう言う意見になるんだ……」 悟空を胸につけたまま体を起こしながら、三蔵がため息をつく。 「少なくとも言いつけを守っていたことだけはわかるようですが?」 そう言いながら、僧正は部屋の奥を指さした。そこには、まるで巣のようになっている布団と、その周囲に置かれたおやつや何かがある。それのどこがいったい『言いつけを守っていた証拠』になるのだろうかと三蔵は考え込んでしまう。 「それに、宿の人がいっておりましたよ。お連れ様は部屋から出ませんでしたとね」 そんな三蔵に追い打ちをかけるように僧正はこう付け加えた。 「というわけで、ほめてあげたらいかがです?」 この言葉に三蔵はまだ自分にすがりついている悟空へと視線を落とす。すると、期待をするように自分を見上げている彼と視線がぶつかった。 「……後で、好きなもんを一つだけ買ってやる」 確かに、遊びに出たいであろう――その後で、絶対迷子になることは分かり切っている――悟空に部屋から出るなと命令したのは自分だ。そして、そのことを彼がきちんと守っていたこともまた事実である。仕方なく、三蔵はこう告げた。次の瞬間、悟空は本気でうれしそうな表情を作る。それが、三蔵が自分をほめてくれたと感じたからなのか、それとも好きなものを買ってもらえるからという理由なのかは定かではない。 「ともかく、ジジィと話がある。お前はもう少しおとなしくしてろ」 騒いだら飯抜きだぞ……と付け加えると、三蔵は悟空を自分から引きはがした。 夕食抜きにされると困ると思ったのだろう。悟空は素直に部屋の隅へと移動していく。 「もう少しかまって差し上げてもかまいませんでしたのに」 自分の前へと腰を下ろした三蔵に、僧正は笑いを含んだ声でこう告げた。 「別段、つけあがらせることはねぇだろう」 さっさと仕事を終わらせた方が、後々楽だ……と付け加える三蔵に、僧正はますます笑みを深める。 「わかりました。では、早々に終わらせます故、後は心ゆくまで悟空と遊んであげてください」 僧正のこの言葉に、三蔵はなんと言い返すべきか、本気で考え込んでしまった。 「そう言えば……」 明日の打ち合わせを終えたとき、三蔵がふと思い出したというように口を開く。 「どうかなさいましたか?」 三蔵の言葉を耳にした僧正がすかさず問いかけてくる。 「気にいらねぇ面の男が、あそこにいただけだ。どこぞの寺の武術指南……とか言ってたな」 このセリフを耳にした瞬間、僧正が珍しく険しい表情を作った。 「三蔵様」 そして、同様に険しい口調でこう話しかけてくる。 「何だ?」 「その男とは決して話さぬ方がおよろしいでしょう。とても頭に来ることを申しておったそうですから」 普段ならずばずばと三蔵に負けず劣らずの毒舌――ただ、口調と表情でそれと気づかせないだけなのだ、彼は――を披露してくれるはずの彼が、珍しく言葉を濁してくる。 「……何なんだ、思わせぶりな……」 気に入らないとしっかりと顔に描きながら三蔵は僧正を見つめた。しかし、彼はこの件に関しては口を割らないつもりらしい。それでも、先ほどのようなセリフを口にしたのは、三蔵があの男と話をするとまずいと判断したのだろう。 「ったく……マジ、ウゼェ……」 相手が相手なだけに、怒鳴りつけることもできない。三蔵は小さく舌打ちをすると袂からたばこの箱を取り出した。そして中から一本抜き出すと口にくわえる。 それを話し合い終了の合図と受け止めたのだろう。 「悟空。終わりましたよ。後は三蔵様にたんとかまっていただきなさい」 いすから腰を上げながら、僧正はこう言った。 「マジ?」 次の瞬間、部屋の隅でおとなしく絵を描いていた悟空が顔を上げるとうれしそうに笑ってみせる。 「じゃ、さ……もう、俺、おとなしくしてなくてもいいのか?」 こう言いながら、悟空はそのまま三蔵の背中に飛びついて来た。 「……離せ、猿」 他人に触れられるのが苦手な三蔵にしてみれば、この状況は不本意だといえる。だが、普段なら即座に相手を振り払っている彼が、おとなしくすがりつかれたままにさせておいているのは、おそらく相手が悟空だからだろうと、脇で見ていた僧正は考える。 「なぁ、俺、腹減った。窓から旨そうな飯屋が見えるんだけど……」 三蔵の機嫌など気にならないというように悟空はこういうと、勝手に三蔵の膝の上へと移動していく。 「連れてってくれるよな?」 俺、いい子だったろうと悟空は微笑みながらこう告げる。 「ったく……仕方ねぇな」 約束は約束だし……とつぶやくと三蔵は悟空に降りろと視線で命じた。そして、彼が膝から飛び降りると同時にいすから腰を浮かせる。 「楽しんでいらっしゃい」 部屋から出てていく二人に、僧正が優しい声をかけた。 |