何で、俺が魔王の花嫁?
020
夜会当日となれば、侍女達は朝から忙しい。己の主──特に女性の支度の手伝いをしなければいけないからだ。
その中でもエレーヌとエリザベートの侍女達はひときわ忙しかった。
今回の夜会の主催であるジョフロアの妻であるエリザベートはもちろん、主役となるエレーヌは他国からの招待客よりも美しくなければいけない。
彼女たちにとってみればそれは譲れない一線なのだ。そのためならば多少の忙しさなど気にならないらしい。
もっとも、飾り立てられる方はたまったものではない、と俺は小さく息を吐く。
「お飲み物をお持ちしましょうか」
それを聞きつけたのか。モーブがそう問いかけてくる。
「お願いします。それと、何か軽くつまめるものを」
おそらく夜会の最中は食べ物を口にしている暇はないだろう。飲み物ぐらいは大丈夫だろうが。そう思いながら口を開く。
「承りました」
モーブ達もそれはわかっているのだろう。うなずくと彼女たちはすぐに行動を開始する。
「サンドイッチでよろしいでしょうか」
戻ってきたホノラがそう問いかけてきた。
「お后様が今用意させるように命じられたとのことですが」
「かまいません。小さめに切ってもらってください」
さすがに大口を開けてかぶりつくのははしたないからな。最近ハンバーガーの夢を見たんだが、あれはここでは本当に夢だ。それが少し残念に思えるのはなぜなのだろう。
せめてハンバーグぐらいは食べたいなぁ。今度、料理長に頼んでみようか。あれならば小さな獣の肉でもおいしく食べられるだろうし。
何よりも小さすぎて俺たちの食卓には載せられない。だが、他の誰かに下げ渡すわけにもいかないと言って処分されていた肉の量が減るのではないか。
そんなことを考えているうちに軽食の準備ができたらしい。
「姫様?」
「あぁ、なんでもありません。手間をかけさせましたね」
やばい。表情に出ていたのか。心配そうにホノラが問いかけてきた。それにそれにごまかすように笑みを返す。
「お母様の方のお支度はすみました?」
そしてごまかすようにそう告げる。
「はい。今、陛下とご一緒にお茶をされているそうです」
「それは何よりです」
相変わらずラブラブなようで何より、と心の中でつぶやく。
俺の件が片付けば二人の肩の荷も下りるだろうし。となれば今以上にラブラブになるのだろうか。
それはお兄様達にとっては目の毒かもしれない。
あるいやプレッシャーになるかだ。アンリ兄様はあれで要領がいいから適当なところで交わすかもしれないが、ユーグ兄様はどうだろう。
いや、それ以上の問題児がいたな……と長兄の顔を思い出しつつつぶやく。
その瞬間、背筋に悪寒が走った。これはきっと、彼がまだ何もあきらめていないというか反省していないと言うことだろう。
本当、面倒な人だ。
心の中でそう吐き出しながらカップに手を伸ばす。少しだけ冷めたお茶でのどを潤すと、今度はサンドイッチをつまみ上げようとした。
だが、それよりも早く別の誰かの指がそれをつまむ。
いったい誰が、と思った瞬間、それが口元へと差し出された。
少し骨張った指の関節から判断をして、こうしているのは男性だろう。
しかし、いったい誰なのか。
自分にこんなことをするとなれば護衛の騎士ではないだろう。かといってこの手の感じは兄様達ではないだろうし。そう思いながら目線をあげる。
その瞬間、視界の暴力としか言い様がない美形が目に飛び込んできた。
天使の輪が輝いている黒髪とそれとは真逆のまるでボーンアクセサリーのような肌。何よりも特徴的なのはその紫の双眸だ。
それなのに、どこか既視感を覚えるのはどうしてだろう。
「……魔族の方ですか?」
ともかく、このままでは周囲のもの達がどう行動していいのかわからないままだ。そう考えて問いかけの言葉を口にする。
「是」
耳に心地よい声というのはこういうものを言うのだろうか。そう思わせるような声で肯定される。
しかし、モーブが何も言わないのはおかしい。そう思ってさりげなく視線を向ければ、信じられないものを見たような表情で彼を見つめている。口元を抑えているのは叫ばないようにという用心だろうか。
彼女がこんな表情を見せるのは珍しい。
と言うことは、この男性は魔族の中でも特別な存在なのか。
そう考えた瞬間、ある可能性が心の中に浮かぶ。
「ひょっとして、わたくしに印を刻まれた方かしら?」
慎重に言葉を選びながら俺は問いかける。
「是」
唇の端を持ち上げながら彼はそれを肯定した。しかし、こんな些細な表情の変化でも麗しさが増すとは本当に美形は得だな。
今の俺も美少女だと自覚しているが、こういう表情は無理だ。
いや、前世でも無理だったか。ここまでレベルは高くなかったが中学校に上がるまでは姉弟の中で一番の美少女顔とまで言われていたし。さすがに二次成長が始まってからは普通になったと思う。
俺のことはともかく、こういう表情が似合ったのはすぐ上の春佳姉さんの方だった。
ここまで連想してようやく既視感の正体に気づく。
彼の醸し出す空気が春佳姉さんのそれによく似ているのだ。いや、そっくりだと断言してもいいかもしれない。
「……殿方はここに入れないようにと命じていたのですが」
それよりも、とおれは首をかしげつつ言葉を綴る。
「父や兄たちですらそれを守ってくださっておりますのに、魔王様は無視されるのですね」
ついでにドアの外にいる護衛の騎士達が罰せられないかとも付け加えた。
「それはさせぬように頼んでおこう。我のわがままで無駄な犠牲が出るのは望むところではない」
魔王様はそう言う。
「ただ、事前にそなたに我の名を伝えておこうと思っての」
「魔王様!」
彼の言葉に驚いたようにモーブが叫ぶ。
「そうしておいた方がよいと世界がささやいておるのよ」
何という中二病的なセリフ。だが、本物の魔王である以上、当然なのかもしれない。
「我が名は《夜来香》(イェライシャン)。だが、普段は《夜来》(やらい)と呼ぶがよい」
そう彼が告げた瞬間、俺の中で何かがカチリと音を立てた。
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