何で、俺が魔王の花嫁?
017
書類に目を通していたジョフロアの表情が曇る。
「父上。どうされました?」
同じように書類を裁いていたユーグがこう問いかけてきた。
「あれが……不穏な動きをしているらしい」
「あれというと……兄上ですか?」
「そうだ。最近、妙に休暇が多いそうだ。そして、誰かと会っているらしい」
監視しているものもそこまでは確認できなかったらしい。ジョフロアはそう言う。
「逢い引きでは?」
彼も良い年だ。そういう相手がいたとしてもおかしくはないだろう。ユーグがそう口にした。
「……普通の相手であればな」
あるいは遊びで済ませられるような身分の女性であればかまわないだろう。火遊びぐらい、あちらで戦っているもの達には普通のことなのだ。
「問題なのはエレーヌを敵視している女性が相手の場合だ」
ジョフロアはため息とともにそう告げる。
「……兄上の場合、それはあり得ないかと」
彼がそういう気持ちは理解できた。少なくとも、今でもあれは過度の愛情をエレーヌに向けているらしい。しかし、それがゆがんでいないとは言い切れないのだ。
「かわいさ余って憎さ百倍、とも言うからな」
自分の望む行動をとらないのであれば、その心を壊し自分だけを見つめるようにさせる。そのような行為をしかねない危うさがユベールにはある。
それにあの姫が加わればどうなるか。
「何よりも心配なのは、魔王様の興味を失わせるために、あの子を無頼のものに襲わせることよ」
純潔を奪われたエレーヌの心がどうなるか。そして、己の印を刻んだものを壊された魔王がどのような行動をとるかを考えるだけで胃が痛む。
「最悪、我らは魔族の庇護を失い、この世界から消え失せるだろう」
自分たちだけではあれから民を守ることができない。この楽園を存続させるためには何があろうと魔族の庇護を請わなければいけないのだ。
ユベールはそれが理解できなかった。
魔力でかなわないのであれば他の手段を執ればいい。彼がそう言い出したのはいつだっただろうか。それすらも思い出せない。
「王族は民を守るために存在する。何を差しだそうとな」
自分の感情だけを優先するわけにはいかないのだ。
「わかっておるな。最悪、ユベールの命を奪おうとも、我らは民を守らねばならぬのだ」
その覚悟だけはしておけ。この言葉にユーグは唇をかむ。それでもしっかりとうなずいて見せた。
さすがに連日着せ替え人形とかしていれば鬱屈がたまる。
「遠乗りに行きたい」
それが無理なら思い切り剣を振り回したい、とそうつぶやく。もっとも、そう言ってもお母様が許してくださるかどうか。それは全くの別問題だが。
「警備の問題がありますから、遠乗りは無理かと」
さらにモーブまでもが反対をしてくる。彼女がこう言うのであれば遠乗りはあきらめるしかないだろう。
「仕方がありませんね……息抜きをしたかったんだけど」
それでもこうつぶやいてしまったのは自分の弱さのせいだろうか。
「馬での遠乗りは無理ですが……夜に抜け出すことは可能ですわ」
気分転換をするならそちらの方がいいだろう。彼女はそう言って小さな笑みを浮かべて見せた。
「モーブがそう言うなら、今は引き下がりますわ」
「ありがとうございます。では、準備のために少しだけ席を外させていただきます」
言葉とともに彼女は頭を下げる。そしてきびすを返すと部屋から出て行った。
「……いったい何をしてくれるんだろう」
夜と言うことは誰にも知らせずに出かけるのだろうか。それとも、と首をひねる。
だが、モーブはこういうときに嘘は言わない。だから、気分転換になることを用意してくれるだろう。
「問題は……それまでの時間、何をして過ごすかだな」
せっかく今日は着せ替えもない日なのだから好きなことをして過ごしたいのだが、おそらく体を動かすことはダメだろう。
他に何をすればいいのだろうか。
そう考えてもすぐには答えが出てこない。仕方がないから周囲を見回していれば、窓の外の光景が目に映った。
「そういえば、最近、庭の様子も見ていないな」
自分が植えた木が花をつけているだろうか。それを確認するぐらいならば誰にも文句を言われないような気がする。
「モーブが戻ってきたら相談しよう」
他の侍女達では万が一の時に彼女たちが傷つくかもしれない。嫁入り前の女性にそれはまずいのではないかと思うのだ。
だが、モーブなら近衛のもの達も舌を巻くくらい強い。だから問題はないと言えば語弊があるかもしれない。だが、安心していられるというのも事実だ。
「それにしても、今回もこれだけ警戒をしていると言うことは、何かまずい情報でも届いたのかな?」
覚えている限りの夜会ではここまで厳重な警戒をしなかったはず。
それとも、単純に魔王が参加するからなのか。
最悪のパターンはユベール兄様が押しかけてくることかもしれない。魔王に剣を突きつけるぐらいやりそうだ。
「……本当にどうしてそこまで俺に執着をするのか。
「ここがあちらなら『前世からの因縁』って言えるんだろうけどさぁ」
こちらではそんなことはないはずだ。
そう言い切りたいが、一抹の不安が消え去らないのはどうしてだろう。
そもそも、どうして俺が記憶を持ったままこの姿で生まれたのか。それすらもわかっていないのだ。絶対に、誰かの作為があるはずなんだけど。
そう考えつつ首をひねったときだ。
「姫様、戻りました」
言葉とともにモーブが姿を見せる。その背後にホノラ達の姿も確認できた。
「何かやらなければいけないことができましたか?」
彼女たちの表情からそう推測する。
「はい。申し訳ありませんが、こちらの招待状に姫様のご署名を」
言葉とともにホノラがお盆にのせられた紙の束を差し出してきた。その厚さは人差し指の長さぐらいあるだろうか。
「署名だけでいいのですか?」
「はい。他の部分はすでに陛下の右筆が書き終えておりますので」
それならばさほど時間はかからないだろう。
「これが終わった後で庭を散歩したいのですが?」
「準備をしておきます」
俺の言葉に即座にカミラが即座に言葉を返してくる。
「では、それを楽しみに頑張りますわ」
そう告げると俺はペンを手に取った。
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