何で、俺が魔王の花嫁?

015



 その日からダンスの練習の時間が増えたのはどうしてだろうか。
「お兄様、ごめんなさい。お忙しいでしょうに」
 こういうときにつきあわされるのはアンリ兄様だ。
「気にしなくていいよ。私も復習になる」
 それに、とアンリ兄様は苦笑を浮かべた。
「私も婚約者が決まったようだからね。他の女性と踊るわけにはいかないし」
 妹ならば許してもらえるだろう。彼はそう言って笑う。
「それは知りませんでした。どちらの方ですの?」
 ステップを踏みながらそう問いかけた。
 脳裏にあったのは、もちろんユベール兄様の婚約騒ぎのことだ。あれと同じことにならなければいいが、と心の中でつぶやく。
「フェティダ王の孫姫だよ。確か君と同じ年かな?」
「では、ミケーレ様の妹君でしょうか」
「いや。ユーリア姫のお子様だよ。父君は学者だとか」
 王城ではなく父君と市井で暮らしているらしい。そういう所も好ましいと思える、とアンリ兄様は教えてくれた。
「……仲良くなれるかしら?」
 自分にとっての一番の心配事はそれだ。
「大丈夫だと思うが……」
 何よりも、今、ここにユベール兄様がいないから。アンリ兄様はそうつぶやく。
「あの時は兄上目当ての女性の暴走だっただろう?」
「そうかもしれません」
 だが、それだけではないような気もする。
 自分は何かを見逃しているような、そんな気がしてならないのだ。
「仲良くなれなかったとしても、私の婚姻は君のあれこれが片付いてからになるからね」
「それはそれで申し訳ないような気もします」
 自分のせいで婚姻を遅らせると言うことではないか。相手の女性の気持ちはどうなのだろう。
「母上にとってはその方がいいだろうからね」
 だが、アンリ兄様はこう言ってほほえむだけだ。
 同時に曲が終わる。
 手を離すと兄様と向かい合う。そして優雅にお辞儀をした。この中腰で体を止めておくというのが微妙につらい。
 空気いす五分間とどちらがつらいだろうか。
 そんなことを考えてしまうのは、間違いなく現実逃避だろう。教師の許可が出なければこの体制を説くことができないのだ。
 無様に倒れなければいいけど。そう考えたとき、ようやく教師から許可が出る。
「お二人とも、大変お上手になられましたね」
 その言葉にほっとした。
「ただ、笑顔が少し硬いようですわ。もう少し自然な笑みを作ってくださいませ」
 そう言われても、と思ってしまうのはどうしてなのだろう。
「ステップは身についたから、次からは大丈夫じゃないかな?」
 視線をさまよわせつつ兄様がこう告げる。
「アンリ兄様。その言葉は逆効果です」
 反射的に俺はそう言い返していた。
「殿下はもう一度踊ってくださるのですね。姫様には申し訳ありませんが殿下のパートナーをお願いしますわ」
 だが、それは遅かったようだ。教師はいい笑顔を浮かべるとこう命じてくる。
「……なんかすまないね」
 アンリ兄様がそう言いながら手を差し出してきた。
「仕方がありません。今度とお乗りにつきあってくださいませ」
 こう言いながら、俺はその手に自分のそれを重ねる。
「もちろんだよ。ユーグ兄上にも声をかけておこう」
 そのまま音楽が鳴るのを待っていた。

 刺繍や作法などと言った手習いを終えたところで動きやすい服装に着替える。
「姫様、どうぞ」
 ホノラがこう言いながら木剣を差し出してきた。
「ありがとう。あなたたちは少し休んでいてかまいませんから」
 それを受け取りながらこう言い返す。
「はい。くれぐれもおけがだけは気をつけてくださいませ」
 ユベール兄様がここを去って一番変わったのは、こうして鍛錬の時間を作れることだろうか。
 兄様がいらしたときはそんなことをしようとする旅に邪魔をされた。それがどうしてなのか、俺にはよくわからない。
 もっとも、母様があまりいい顔をされないのは当然だろうと思う。ただ、あちらはここのように安全な箱庭ではない。それをわかっているから、渋々と許可をしてくださっているのだろう。
 俺としては前世の経験もあるから、こうして体を動かす方が性に合っているんだけどな。
 そんなことを考えつつ庭に出る。そして、準備運動もかねて軽くストレッチをした。
 それからゆっくりと型をなぞっていく。
 こちらの剣は両手剣だから剣道のそれとは違う。ただ、剣道に慣れ親しんでいるから、どうしてもそちらの癖が出てしまう。いっそ、刀でもあればいいんだけど、と心の中でつぶやいた。
「片手剣の方がまだいいかもしれないな」
 あれは片刃だから、動きがまだ似ているような気がする。
 そう思いつつ剣道の動きを再現してみた。
「姫様。その動き、どこで学ばれたのでしょうか」
 そばに控えていたモーブが驚きを隠せないという表情で声をかけてくる。
「夢の中で見たの。それをまねしてみたのだけど、何かおかしいの?」
 まさか本当のことを口にするわけにはいかないから、とっさにこう言い返す。
「そうですか。あのお方が以前見せてくださった剣舞の動きに似ていたものですから……」
 予想通りと言うべきか。片手剣のそれは剣道──というよりは居合いの型に似た動きをするらしい。
「あるいは、あちらのことを教えてくださるために夢という形で見せてくださったのかもしれませんね」
 魔法があるならそのくらいできるのではないか。そう思って適当なことを言ってみる。
「きっとそうですわ。あの方なら我々のできないことも可能にされますもの」
 それでいいのか。一瞬、心の中でそう突っ込みを淹れる。だが、考えてみれば魔王というのは誰よりも魔力が多いらしい。それでごり押しをすれば不可能も可能になるのではないか。
 問題なのは、そんな相手に嫁がなければいけないと言うことだよな。
 体が女性なのはあきらめた。
 しかし、どうしても自分が男性とそういうことをするという状況が見えないことだ。
 次世代を生み育てるのが自分の義務だと言うこともわかっている。そのためには何をしなければいけないかもだ。
「本当にすごい方なのですね」
 そう言いながらも俺はその日のことを考えてため息をつくしかできなかった。


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